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ルイース  作者: 希屋の浦
2/6

一、皇帝の娘

 これまで、ここまで人間が集まっているのを見たことがなかった。キリスは人の多さにうんざりしながら、首都の中心部へ向かっていた。歩きだと城まで二日かかると言われた。

 それほどまでに広い都。追っ手が掛かった時もさぞかし逃げやすいだろう。

「しかし呼びつけるのも手間だったろうな」

 宿の一室、キリスはマントを脱いで荷物を整理していた。

 外で大声がした。

「キリスという女はこの宿に泊まっているのか」

 黒髪を梳くキリスは全く慌てない。間もなく男ふたりが部屋に雪崩れるように入ってきた。

「関所を突破し、殺害の」

 そう言いかけた男が、キリスの左手を見咎めた。左手の甲には、はっきりと浮かび上がる花のようなアザがある。

「この女――悪魔か……!」

「退魔師と言ってくれないかなぁ」

 キリスは面倒そうに訂正をうながす。が、もうひとりの男はキリスに銃を向けた。キリスは両手をあげる。影からニュイがぬっと出てきた。

「悪魔が泊まれる宿など存在しない」

 キリスはニュイに視線を向ける。ニュイは首を傾げた。軽くキリスは頷く。ニュイは気怠そうに跳んで、銃を持つ男の喉笛を掻ききろうとする。

 だが――。

 宿の出入り口の方から何人かの悲鳴が上がり、ニュイは動きを止めた。

「悪魔が出た!」

 部屋の男ふたりも動きを止める。キリスは手をさげて、部屋の外に出た。

 平屋の宿は大混乱に陥っていた。何人かが倒れている。そのうちのひとりを踏みつけて、もはや人間の原形をとどめぬほど喰われた元人間がキリスを睨みつけていた。肩から四本の腕が生え、頭は膨張し、腹には向こう側の見える大きな穴が空いている。どろどろとした皮膚はどす黒い。

「随分変形してるね」

 キリスはつまらなさそうに言い、ニュイはねだるようにキリスを見上げている。

「わたしごと喰わないと無理そう?」

 ニュイは大きく頷いた。

「しょうがないなぁ」

 ニュイは嬉しそうにキリスに飛びかかる。ぐ、とキリスが呻くと、一瞬キリスは影のように黒くなり、またすぐに姿形は戻った。目をらんらんと赤く光らせている。

「ここにも悪魔がいたぞ」

「いや、左手を見ろ。ただの悪魔じゃない」

 声が複数あがる中、キリスは低く何かを唱えている。キリスの手が大きく膨れあがり、悪魔に憑かれた人間へとのびる。

「グわっ」

 元人間の頭部をキリスの肥大した手がもぎ取る。しゅううっと嫌なにおいのする煙が立ち上り、元人間は動きを止めた。

「マツェ・レ・キリスィア?」

 キリスの口から低い問いかけがある。おまえは何を望む、と。

「ル・ジグーロ」

 憎悪を、と苦しげに元人間が言う。頭がないのにどこから発声しているのか。

 からん、と音がしてメダルが地面に落ちた。元人間は灰になって崩れていく。キリスは膝をついて倒れ込み、ニュイがキリスから抜け出してきた。

 キリスは目を閉じたまま身体を起こす。

「ニュイ……」

 キリスは目を開ける。

 そこには誰もいなかった。皆逃げ出してしまったらしい。

 倒れている人々。

 キリスは後ろを一瞥し、メダルを拾った。この宿に一晩いる分には構わないだろう。

 少なくとも今晩は。キリスは部屋に戻り、泥のように眠った。ニュイに喰われるととても疲れてしまう。

 いつものことだ。

 いつもの、こと。


  * * *


 翌朝、キリスは固い地面の上で目を醒ました。髪をかき上げ琥珀の瞳を凝らすと、暗い中に鉄格子が見えた。

「なるほどね……」

 深く眠ったキリスを、なんらかの犯罪者に仕立て上げた――無理もない。累々と死体のある、壊されたばかりの建物で、唯一生きていた者は殺人犯。矛盾のないシナリオだ。

 からんからん、とランタンの鳴る音がした。鉄格子の向こう側に誰かがいたらしい。

 それから。この檻、動いている気配が伝わってくる。輸送されているのだろうか。

「気がつかれましたね、ルキリスィアさま」

「その名で呼ぶな」

 聞きたくない名前だった。ましてや敬語を遣われるなど。

「わたしのことはキリスでいい。いや、キリスと呼んでくれ」

 キリスは吐き捨てるように言う。がたがた、と悪路に入ったようである。石の檻の車に乗せられている。そして相手はキリスの本名を知っている。

 だから戒められてもいない。囚人ではない、犯罪者扱いされているわけではない。が、この護送方法、何か間違っているきがする。

 それが退魔師への対応というものか。

「この車はどこへ向かっているんだ」

「……陛下の下に」

 女は目を伏せた。

「呼びつけておいて面倒になって遣いを寄越したら、とんでもないことになっていた、ってことかな。ニュイ」

 むく、と殺気が檻の中に立ちこめる。

「ああ、大丈夫だ。いるなら」

「悪魔をお使いになりますな。私にとってもルキリスィアさまにとっても、いいことはございません」

「そこまで考えなしではないよ。少なくともわたしはね」

 ニュイの意思は異なる場合だってある。ニュイは血を欲している時もあるのだ。――どうしようもなく、人間の意思や世界とは関係なく。

「ところで、あとどれくらいわたしはこうしていればいいのかな。話し相手は目の前にしかいないようだ」

「もうすぐのはずです。今回は早駆けなので」

「馬乗り潰してく奴ね」

 話し相手に不足があるわけではない。そもそもキリスは人間が嫌いだ。できる限り他人との接触は持ちたくない。

 黙りこくったまま、数分が過ぎただろうか。

「着いたようです」

 がっ、たんと檻が大きく揺れた。開いた出入り口から、キリスはぱっと飛び出す。猫か何かのようなしなやかさと素早さだった。

 城は、塔の群れだった。石造りの堅牢な塔の立ち立つ、そんな光景。

 目の前には長い階段。これを上りきると、建物の出入り口に着くようだ。

 ざあ、と海辺のような風が吹いた。

 階段を上る。いっとう高い塔、そこにキリスを呼びつけた人間がいる。

「意外と、覚えてるものだな」

 キリスの記憶にあるサングリア城が、ほとんどそのまま目の前にあるように思えた。記憶はあまりに遠い日だったけれど、昨日のことのように思い出すものも点々とある。影からぬっと出てきたニュイが不思議そうにしている。

 まるでキリスに、ここにもう来ないのではなかったのか、と問いかけているかのようだった。

「――いや。ニュイ、わたしは自分のためにここに来たんだよ」

 自分に言い聞かせるようにキリスは言う。

 階段を上りきって、出入り口の門を開ける。正確に言うと観音開きをドアマンが開けた。

 入ってすぐは、広間だった。記憶の通りの冷たい広間、キリスが足を踏み入れると灯りが点いた。どういう仕組みなのか学のないキリスには分からないが、魔法は悪魔にしか使えない。人間で魔法が使えるなんて豪語している者がいたら、それは単に悪魔と取引しただけである。

「人が、いないな」

 ニュイが耳を立てて警戒しているから、人がいないはずはない。ここはそういう場所なのだ――本心や本音を言えばたちまち歴史の闇の中、という。

「面倒な仕掛けなら要らないと言ったはずだが」

 キリスは気怠げに言う。瞬間、銃弾が飛んできた。キリスは間一髪でかわす。

「わたしが退魔師だと何度証拠を見せれば信じてくれるの?」

 キリスは手套を外すと、ニュイに無言で行け、と命じた。ニュイは嬉しそうに銃弾の飛んできた方向に駆けてゆき、間もなく湿った悲鳴がした。

「悪魔は退魔師か悪魔憑きにしか見えないんだってね。知ってた?」

 広間の奧の扉をニュイが開ける。魔法とは理をねじ曲げるもの、人間の力ではどうしようもないものだ。

「なんだ、ひとりか。つまらない」

 広間には複数人の気配があったが、今は好機を待っていると見える。キリスは足音を消して広間を進む。何も、してくる気配は、なかった。

 呆気なく奧の扉に手を掛ける。

 扉を開けると、大勢の兵士が奧へ向かって道を挟むように並び、道の先には王冠を戴いた男がいた。目つきは鋭く、琥珀色をしている。キリスと同じ瞳の色、浅いが冷たい光を放っていた。

「おお、北か、我が娘よ」

 男――サングリアの皇帝は大袈裟に両手をあげて言った。口元は笑っているが、目は笑っていない。

「陛下。このルキリスィアをお忘れでなかったと見える」

「愛娘の存在を忘れたことがあろうか。ルキリスィア、今日はおまえに頼みがあるのだ」

 キリスは皇帝の横に立つ、腹違いの兄をそっと見た。彼こそが次の皇帝、とても正統な。彼も庶子であることに変わりない。兄はキリスを燃やさんばかりの憎悪をもって見ていた。

 無理もない。と、キリスだって思う。

「なんでしょうか、陛下」

「世界の管理者を名乗る男がいてな。何者なのか見極めよ。その後はおまえに任せる」

 頼みではなく命令。キリスは暗く笑う。

「ええ。わたしの手に足ることでしょう」

 中身は召喚状に書かれていたから知っている。

 とても皮肉なことだった。

 おそらく世界の管理者とやらは本物だろう、が、魔法の使えない人間では何かされた時に太刀打ちできない。

 魔法が自分の意思で使えるのは退魔師のみ。

 ただ、忌み嫌われる退魔師にそんな大事なことなど依頼できない。

 しかし今代の皇帝には、退魔師の娘がいた。

 それがキリスだ。

「本当におまえにできるのだろうな、妹よ」

 兄が憎々しげにキリスに問う。

「ええ、兄上。わたしの悪魔はとても良い子でね」

 キリスは余裕の笑みを浮かべる。

 キリスの知る限り、兄はプライドが高いだけの愚か者だった。愚かでない、その点においてのみ、現在の皇帝は勝っている。兄が皇帝となったら、この小国サングリアの滅ぶ日も近いだろうとキリスは思っている。

「まァ、いい。私は見ているだけだ」

 兄が悔しそうに言う。ここで下手なことを言わないあたり、少しは賢くなったのかもしれないな、とキリスは思った。

 と、どこからともなく若い男の声が降ってきた。

「皇帝、話はまとまったようだね」

 ブレて聞こえる、声。しん、と静まりかえる皇帝の間に、今度はキリスの声が響いた。

「ルキリスィアという。次元が異なるようだから、そちらへ招いてもらえるかな」

 次の瞬間、キリスの身体は強い衝撃を受け、壁も床も天井もない空間に投げ出されていた。


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