序
序
悪魔呼ばわりされるのは、もう慣れた。キリスはろくに礼を言いもせずに去っていく人々をただ眺めていた。
さきほどまで暴れ狂っていたこの村の男、名前を聞いた気もするが忘れてしまった、その男が魅入られていたモノが悪魔であり、キリス自身は悪魔ではない。人間だ。
正確には、キリスと契約しているこの黒猫が、悪魔である。
キリスは退魔師だ。悪魔に魅入られ自我を失うことなく、あくまで契約によって悪魔と関係を結ぶ、そういう人々を退魔師と人は呼ぶ。もちろん、差別的な意味合いも込めて。
「行こうか、ニュイ」
喋ることのできない、黒猫の悪魔に声をかける。耳は聞こえているので、ニュイはキリスの声に反応する。軽くキリスに向かって跳び、形をなくして影に潜り込んだ。ニュイが外にいると厄介なのだ、何も会う人全員に退魔師だと触れてまわることもない。
暴れ狂っていた男のおかげで、村の一部は廃墟と化していた。荒涼とした大地だけが広がっている。本当に何もない。キリスは特にその光景に感慨を抱くこともなく、村の教会へ行き、悪魔が持っていたメダルを納める。司祭は面倒そうにコインの詰まった袋をキリスに寄越した。このコインであと二カ月くらいは食いつなげるだろう。
この村に用はなかった。キリスは村から外に出る。フードを深く被り、手套をきっちりはめ直す。特に左手は見られるわけにはいかなかった。
しばらく歩いて着いたのが首都だった。サングリア国の首都、サングリア。キリスがこの街に来るのは初めてだった。もしかすると来たことがあるかもしれないが、キリスの記憶にはない。
首都の前には関所があった。キリスの予想外のことだった。ここで身分を確かにした者しか中に入れない仕組みなのだろう。生憎、キリスは身分を証明できるものを何ひとつとして持っていなかった。
「兄ちゃん、そんな怖い顔しないで」
関所の前で棒立ちになったキリスに職員が声をかけた。
「さすがにね、兄ちゃんを犯罪者扱いしたいわけじゃないんだけど、ちょっとね。何か身分証を持ってないかい」
「わたしは――」
「すまねぇ、姉ちゃんだったか。ほら、なんでもいいからさ」
キリスの高い声に、女だと気づいたらしい。肌も露出せず、ゆったりとした衣服では身体の線まで分からないというわけだ。性別をまちがえるよう仕向けているのはこちらなので何も謝られることはない。なにぶん、女ひとり旅は危険なのである。この国はそこまで治安がいいわけではない。
さて。どうしたものかとキリスは悩む。
悪魔と契約しているせいで、十四歳と若く見えるキリス、これまで年相応に世間知らずなふりをしてやりすごしてきたが、今回はそうはいかないだろう。
「わたしは、キリス、という」
「旅券はないの」
「ない、戸籍もあるかどうか……」
職員が建物の中に入り、話し合いが始まったようである。キリスは面倒なことになったなと思いつつ、ニュイ、と小さく話しかけた。影から黒猫が顔を出す。
「どうする?」
小声で問う。ニュイは他の悪魔と違って話すことができない。力がある分、できないこともあるのだ。キリスはニュイとの意思疎通に苦労はしていないが。
ニュイは首を傾げた。それだけで十分だった。キリスは頷く。
「喰っていいよ」
キリスの影から飛び出したニュイは、建物に入っていった。火の点いたような悲鳴がしたので、キリスは強行突破して首都に入った。キリスにあとから追いついたニュイに、
「何人喰った?」
とキリスは訊いた。ニュイは尻尾をゆらりと振って影の中に入っていった。
「何よ、教えてくれたっていいじゃない」
つめたいニュイに、キリスは頬を膨らませてみせる。
こうしてサングリアに入ったキリス、来たくなかったと言えば嘘になるが、来たくもなかったというのも事実だった。




