聖国と戦いの足音と私。
スリジエに向かって飛行する私の視界から、森がだんだんと少なくなっていき整備された道と、牧場の様なものがいくつか見えてきます。
ただ、動物達は小屋にいるのか、柵の中に動物達の姿を見ることは出来ませんでした。戦争の準備に忙しいと言っていましたし、それの為に様々な人達が普段とは違う生活を余儀なくされているのでしょう。
ひとまず町に行かなければ……このままでは情報もなにもあったものではないですからね。
道なりに飛んで数時間。要約視界の先に町のようなものがみえました。聖都まで後どのくらいなのか、あの町で聞きましょう。
「すみません。聖都への道はこっちで合って――」
「し、シオン様ですか……?」
「? ええ、そうですけど……」
「やはり……! すぐに宿を手配します! こちらでお待ち頂けますか?」
私の名前を聞くなり、門前にいた兵士の方が走って街の中へと入っていきました。残ったもう一人の衛兵の方も、直立不動で私の方を見てます。……別に私は貴方達の上司でもなんでも無いはずなのですか……
少しの間待っていると、先程の衛兵さんが息を切らしながらこちらへ戻ってきました。
「お、お待たせしました。ご案内致します。こちらです」
「あ、ありがとうございます……大丈夫ですか?」
「だ、大丈夫です。ご心配なさらないで下さい……」
衛兵の人に案内された先はというと、この町を見て回った訳では無いですが、それでも間違いなくこの町で一二を争う程に良い宿屋だと言う事は見て取れました。
私がその中に入ると――
「ようこそお越しくださいました。私、支配人の――」
そう言って支配人の人が出迎えてくれるではありませんか。一体全体どういうことなのか、私にはさっぱり検討もつきません。
ただ、この少ないやり取りで私が気づいた事と言えば、この町の人達はどうにも私を敬いながらも同時に畏れているようです。恐らく過去の私が何かをした結果こういう事になったのでしょう。にしても、本当に何をしたんでしょうね、私は。
支配人さんに連れられるまま、私は宿屋の三階にある見るからに上等な部屋に泊まる事になりました。そこは最早貴族の住んでいる部屋の一室と言ってもいい程で、床の敷物から細かな調度品まで高級感が滲み出ていて壊したら大惨事になるだろうな……なんて感想が出てきました。
時刻はまだ正午にもなってないでしょう。一先ずここが何処なのかという事を確かめる為に外に……出る必要もありませんね。ここの従業員の人に聞きましょう。
扉を開けて、ちょうど近くにいた従業員の人を呼び止めます。
「すみません」
「は、はいっ! 如何なさいましたか、シオン様!」
「別に大した事では無いですけど……ここの町の名前はなんと言いますか?」
「ペルディスと言います。それがどうかなさいましたか?」
「いえ、なんでもありません。教えていただきありがとうございます」
私はそれを聞いて部屋に戻りました。そして、鞄の中から地図を取り出してスリジエ領土内のペルディスという町の名前を探します。
「ここですか……としたら、スリジエまでは最速で飛んでも一日程でしょうか
」
私はこの町に入ってから僅かに痛む頭部を押さえながら地図をしまいました。
こういった頭痛は大抵記憶が戻る前触れ、なんて言われますが、あまりにも長いと嫌になってしまいますね。
動けない事は無いので、頭痛を我慢しながら外へ出て昼食を食べる店を探します。
「お、何やらいい香りが……」
匂いにつられて歩いていくと、そこにあったのはパン屋でした。店内に入ると、私の姿を見て少しの驚きを見せた後にいらっしゃいませ、と挨拶される。
店内を見回していると、どうやら店内で食べる事が出来そうです。いくつかパンを選んでコーヒーを頼んだ後、窓側の席に座って外の景色を眺めながらパンを口に運びました。
やはりパンは出来たてに限りますね……風味が全然違います。
シナモンの効いた甘いパンを食べながらコーヒーを飲むと、とても贅沢な時間を過ごしている気分になりますね。
……しかし、どうにも驚きと畏れの半々の視線に慣れません。慣れてはいけないとは思いますが。
軽食を食べて、私は宿に戻ります。本当は直ぐにスリジエに向かう予定だったのですが、宿を取ってもらっているので仕方ありません。
「っう……頭、痛い……」
帰り道から痛みがました頭痛に悩まされながら部屋に戻り、ベッドに倒れ込みます。
まだ陽も高いですが、毛布に頭を埋めているといつの間にか私の意識は、夢の中へと落ちていたのでした。
◇◆◇◆◇◆◇
「……これは、夢ですね?」
意識がハッキリとしている私の視界に飛び込んできたのは、一面の白と青色の花が咲き誇る花畑でした。
見たことがない筈なのに、見た事のある光景。懐かしさすらある、その花畑にいたのは――
「私……?」
「ええ、私です。ですが、貴女の知らない過去の私です」
「過去の……私」
私を見る私は、少しだけ悲しそうな表情で私を見ます。
「どうしても、私は過去の事が知りたいですか?」
過去の私は、そう聞いてきます。
「ええ、例え過去に何があろうと。私なら分かるんじゃないですか?」
「……わかりますよ。同じ私ですから。ですけどその私が捨てた、消したかった記憶です。それでも、私は取り戻したいですか?」
その言葉に私は、答えを出す事が出来ませんでした。私自身が消した記憶を何故取り戻す必要があるのか。このままだって、別に私の旅は続けられる。私の旅の目的の一つは記憶を取り戻す事でしたが……見たくない記憶なのなら、取り戻さなくてもいいのでは無いのでしょうか?
記憶なんていつかは薄れるものです。それなら、少しでも楽しい方がいいのでは無いでしょうか?
「分かったでしょう? 切り捨てた過去を、記憶を取り戻す必要なんてないんです。この夢から覚めたらここを発って、別の国へ行きましょう」
目の前の私がそう言って手を伸ばしてきました。
「……そう、ですね」
伸ばされたその手を――私は氷魔法で凍らせました。
「……どういう、つもりですか?」
「お断りします、という事ですよ。……それに、本当に私がかつての記憶をいらないと思っているのなら、この国に居た時の記憶を完全に消してしまえばいいでしょう? 出来ますよね、私なら」
過去の私はバツが悪い時にする顔で、
「……そうですね。私なら可能です」
「それに、本当に忘れたいと思っているなら、中途半端に残したりなんかしないし、勝手に忘れてますよ。でしょう?」
「……全部お見通しですか」
過去の私のその言葉にクスリと笑って、
「当たり前です。だって私なんですから」
◇◆◇◆◇◆◇
私が目を開けて、視界の先に飛び込んできたのは豪華な天井。という事は、夢ではなく現実ですね。
窓の外を見ると、陽が登り始めているのが見えました。……ということは、昼過ぎからずっと眠っていました?
寝過ぎた時特有の体の怠さを恨みながら荷物をまとめ、宿屋から出ます。ここペルディスからスリジエまでは、真東よりはほんの少しだけ北方向に真っ直ぐ。距離は私の普通の速度であれば丸一日程度、全速力で向かえばこの時間なら夜には辿り着けるでしょう。
「出立ですか?」
「はい。これから聖都へ行くつもりです」
「……お気をつけて、シオン様」
「ありがとうございます。では」
私は、衛兵に頭を下げてから空を蹴って飛び上がりました。そして、聖都へと向けて飛んでいきます。
「……シオン様。本当に記憶を失っていらしたんだな」
「ですね……でも、戻ってきて頂けただけ有難いです。今は……すぐにでも戦争が始まってもおかしくないのですから」
彼等の無言の敬礼は、誰に届くことも無く空に向けて捧げられていた。
◇◆◇◆◇◆◇
空を蹴り、聖都へとひたすらに飛んでいると、ペルディスから伸びていた道が大きな街道に交わりました。あの道の続く先がスリジエに続くのでしょう。
道にそって空を飛んでいると、先の方に何やら行列を見る事が出来ました。速度は私の方が断然早いのでその行列を追い抜くついでに見ると。
「これは……軍隊、ですか?」
何千人という数の鎧と兜を装備した軍勢がスリジエへと向かっていきます。その光景がこれから戦いが始まるという事をいやでも私に伝えてきます。
私はそれを見た後に、軍の人達よりも早くスリジエへと向かうのでした。
しばらくの間飛び続け、陽が天頂まで登った辺りで一度地上に降りて昼食の用意を始めます。
とは言っても、鞄の中に入れていた日持ちする食べ物を食べるだけですが。
中から取り出したのは干し肉と干した果物が入ったパン。硬い干し肉を齧りながら周りの様子を探ります。降りた場所は街道から少し外れた所。
あの行軍の人達からは大分先行しているので、追いつかれるという事は無いでしょう。
街道をのんびり歩きながら干し肉とパンを齧っていると、道の先から馬車がこちらに向かってきました。
私と御者の男性の視線が合うと、馬を止めてわざわざ私に声をかけてきました。
「……おや? こんなタイミングで聖都へ向かうなんて、一体どういうつもりなのかな? お嬢さん」
「聖都にどうしても行かないと行けない用事があるからです。私の人生に関わる大切な事なんです」
「へぇ……まあ、詳しい事は聞かないけれど、大変そうだね」
「……えぇ、本当に。貴方は聖都から……いえ、スリジエの領土から火の粉のかからない場所へ向かう所ですか?」
「うん。命あっての物種だからね、それに商人は戦場に出向く人間じゃない、商人ってのはどちらかと言うと切っ掛けを作って、商売させてもらってトンズラって人種だからね」
御者台で彼はそう自嘲気味に笑います。
「商人ですから、そういうものなんでしょう。私は少しでも早く聖都に向かいたいので、失礼します」
「仕方ないね、また何処かで会うことがあればよろしくね」
そう言って御者の彼は街道を下っていきました。
私は、彼の姿を見送って再び空を蹴りスリジエへと向かいます。
……私の記憶が例えどんなものであっても、受け止めなければならないのでしょう。そう、思いながら聖都へと飛びました。




