Twitterタグ『#RTした人の小説を読みにいく』を試してみた感想と、作者たちの心理
今回は「文章力」と「構成力」を分析し、改善点を挙げますという特殊条件を指定してためしました。
が、実際にやってみた感想を正直にいうと……。
――泡をぷくぷく吹きそうになるほどきつい。
です。
とにかく割にあわない。
なにがきついかというと、次から次へと作品が貼られる。
みんな普段の宣伝感覚で置いていきます。
そして、批評する側の相手の作品など見ません。
まるで赤い暴風のごとく、「ウラ――っ!☭ 」と、評価のみを求めてきます。
が、
これはこれで当たり前です。
理由として、読者さんがいなくて飢えているからです。
それについて詳しく書くと、また別のところから「ウラ――っ!☭ 」とくるので省略しますが、とにかく本当に読者さんがいない。
ちなみにわたし、上位にいる一部の怪しい作品の感想欄は九割以上サクラ、あるいは謎の陣営に属しているものたちの複垢とかだと思っている困った人です。
作品を書いている「本体」のほうは、親しい知り合いの作品や活動報告、本当の意味でさくっと読めるエッセイジャンルにしか生息していないのではないかとも思っています。
それは感想の熱量や質、そしてユーザー情報をみればなんとなくわかるし、ある意味で達観しているのですが……。
それにまどわされ、ポイントや感想が少ないと嘆く人は非常に多い。
――そして、だいたい飢えるのは真面目にやっている子たちです。
本当にずるい人は、こんなことをしないで機械や不正に頼ります。
総合上位どころか、ジャンル別ランキングでも厚かましく居座っています。
その結果、ツイッターなどの外部から呼び寄せた人もふくめて、どんどん人が離れているというのが現状だとわたしは考えています。
ツイッターの宣伝ツイートに関しても、RTしてくれるのは作者さんばかりです。
そして実際にリンクをたどって読んでくれる人って……なかなかいないと思います。
だれも水をやらなければ、植物は枯れてしまいます。
馬鹿な人たちが土や水を汚し続ければ、わたしたちは住む場所を失います。
そんな世界の中で、わたしたちは必死に生きているのですが……。
飢えるあまり誰かの食料を奪ったり、水を分け与えてあげることすら忘れてしまったら悲しいなとも思うのです。
『#RTした人の小説を読みにいく』
これはこれで、生き残るための手段だと思います。
だけど評価を求めてばかりではなく、見知らぬだれかに水をあげることも大切だと思ったり。
他の誰かを評価できる権利を持っているのに使わず、おのれの益となるものばかり求めてしまっては、もっと大切なナニカを失ってしまうのではないかと思うのです。
今回読んだ人たちは、それぞれに光るものがあった。
が、こんな過酷な世界で生きているからこそ、今度は自分から誰かに水をあげてほしいと思ったり。
そして、そんな見過ごしてしまいそうなナニカに気づくことができれば――。
明日の自分は、もっと大きく成長できるかもしれませんね。
誰かの痛みをおのれの痛みとし……。
気づいてあげられることは、すごく大切だなと思ったりしました。