029 : 夜の通商会談(前編)
財務大臣の私邸は、とてもお偉いさんの屋敷である。
そんなお方の寝室ともなれば、それはまた贅沢していながらも微妙に贅沢していない風で、目に痛くない感じの豪華な部屋である
割りと地味な色のベッドにソファ、趣味の良い作り付けの本棚と並べられたボトル、晩酌の出来るサイドテーブルなどなど。
どれもこれも大きさはそれなりだし、余裕がある。
特に、オーソドックスでありながら気持ちいいですよという主張のあるベッド。どうみても明日の活力が回復しそうな素敵アイテムである。見るだけでテンション上がるやつであるな。
言うなれば、ゆっくりたっぷりくつろげる幸せ満喫空間である。
そんな部屋に本人が帰ってくる前に入れたので、ふかふかソファでまったりする。
やわらかベッドに飛び込みたくなる気持ちは、頑張って抑えておく。
あとこう、大きめのグラスでいい酒を魔王的に傾けたくなるが、さすがに他人の部屋なのでこれも控えておく。
我にも遠慮というものはあるのだ。
そのまましばらく待たせてもらっていると、大臣が部屋に入ってきた。
「……何者だ?」
おお、入ってくるなりすぐ感づきおった。さすがお偉いさんの中のお偉いさんである。
別に気配や姿を隠しておるわけでもないのであるが、いつ気付くかなあと思いつつ部屋の主人の帰りをそっと待っていたのだ。
速攻で気付かれた。さすがである。
「うむ、ご無沙汰しておるぞ。ラウレリオ財務大臣閣下。失礼ながら危急の用向きなので、こうして大変無礼ながら夜分遅くにお邪魔しておる」
「……導師、か」
ソファから立ち上がり挨拶する我を見て、あからさまに苦い顔をしている。
この様子だと、スラムでのあらましは知っているようである。いたずらに衛兵を呼ばないというのも理解が早くて助かる。
こうやって部屋にいる以上、屋敷の護衛や防御呪なんかより腕が上なので今から騒いでも無駄だ、というのを理解してくださっているお偉いさんなのだ。
そこまでして来たのだから、それなりの要件であると分かってくれているのもありがたい。
「察しがよくてありがたい、感謝するのであるぞ」
「それが仕事だからな」
互いに全く笑ってない笑顔。
社交辞令とはいえ大変であるな。
「まあ、今日の用向きというのはスラムの件である」
「事と次第によっては聞いてやらなくもない」
脅しには屈しない、死んでも大事なところは守り通すという意志の表れである。
その上で内容次第で交渉には応じるということだ。
男である。嫌いではないぞ、こういうの。
「悪い話ではない。我も捕まった件を内密にするのでそちらも内密にすれば問題ないであろう、という話なのだ。どうせ、副大臣に貸しにするのであろう?」
「そこまでわかってるのか」
「そもそも、そのための活動である。そのついでと言ってはなんだが、と言っておいたのであるし」
「たしかに許可は出したが、小娘がここまでするとはな」
スラムでの取り組みによって一定の成果があり、国として見過ごせない程度には成長してしまったのである。
もともと、スラムの対処というのは面倒すぎて難しい。
組織であれば反発される、取り締まれば抗争になる、個人であれば影響力が足りないし命の危険にさらされる。スラムとはそういうややこしい場所である。
個人能力が高く命の危険を顧みない、しかも金も暇も、できればコネもある人物が必要だが、そういう人物は別の場所で能力を発揮する事が多い。
どうしても、わかっていながら放置される。
そんな場所において、個人での取り組みを開始し、やがて組織を巻き込み地域の協力を得るまでに成長した。
許可を出したのは大臣だが、我の活動は私人としての行為である。
副大臣もうかつだったとはいえ、国として必要だと理解している。
いろいろといい感じに入り乱れたので、食べごろなのだ。
まあ、だいたい予定通りである。
「うむ、もともと個人活動であるし、当初の目的がまだ果たされておらぬからな」
「さすがに、こちらも書簡に関してここまで本気とは思わなかったがね」
脂汗が滲んでおる。が、覚悟を決めた人間は頭の回転が早い。
つまるところ、ストレアージュが商業同盟の件に関して本当に本気で取り組むつもりであり、その全権として我を送った、というのをはっきり認識したのだ。
なので対応をどうするか、すぐには決めかねるというのが本音であろう。
よって、マシュケとストレアージュの第二次商業会談である。
「あー、できればもっと楽にして欲しいのであるぞ。と言っても、この対応でそうするのは難しいかもしれぬのだが、脅す気もなければやらかしたいわけでもないのだ」
「随分と無茶な要求をするものだな?」
ヒゲをいじりつつ、怪訝な顔をする大臣。
ゆるいことを言い出すときは危険だと知っている表情である。
部屋に入りこんだ時点で命を握ったも同然であるので、だいぶ無理をお願いしているのだが。
でも丁寧にお願いしに来たのに騒ぎを起こすわけにも行かないので仕方ないのだぞ。
我、これでもビビり魔王なのだ。
アンに思い切り否定されたけど。
「そもそも、この件は不問で構わぬし、同盟も大臣にだけお願いするものではない。むしろ本筋は誰かのお墨付きで社交の場に出して欲しいというだけなのだ。それ以上でもそれ以下でもないのでな」
「……!」
「国で評判の賢者、という触れ込みであれば多少の無理も利くのではないかと思うのだが、どうであろうか」
「……いったい、この国をどうするつもりだ?」
うむ、まあ懸念もわからなくもない。というか、すごくわかる。
国際的に重要人物が集まるような場に、魔族じみた輩を自分の権限で案内する、というのはなかなかに勇気がいることである。
いくら安全だと言われても、お偉いさんが一堂に会する場にドラゴンを連れ込むというのは、さすがにだいぶアレである。普通に考えて、ちょっと危ないと思う。
ひとつ間違えれば国家どころか世界を危険に晒すのだ。容易に判断できることでもない。
だというのに、生殺与奪を握られておるまま騒ぎもせず、丁寧に応じているだけでも大した胆力である。さすがは国の高官である。
お偉いさんはお偉いさんなりの理由があるのだ。
トップオブお偉いさんに数えてもいいと思う。
「どうもしない。というより、このゆがんでおる同盟の背筋を伸ばしたいだけであるぞ」
「本気で?」
「本気なのだぞ」
「……」
どうもこちらの真意を測りかねておるようである。
こちらとしては、特にそれ以上の目当てがあるわけでもないのだが。
同盟の改善要求を南部3王国に持ち込むには国際的なレベルで信用度がいるので、ちょっと背中を押して欲しいだけなのだ、国に。
聖王国領の大使でありながら国の使者ではなく、しかもマシュケが非公式に認めたとなれば、要は信用できる第三者である。
隣近所がゴタゴタしているときは、ちょっと発言権のある部外者がまとめるのによいのである。
世の中、当事者だけでは解決つかぬこともあるし、今回の件はちょっと複雑なのだ。
「どうして、そこまで丁寧に事を運ぶ?」
もっと楽に出来るはずなので、ワケがわからないのであろう。
2人きりなどという状態を作れるなら、最初から操作なり魅了なりすれば済むのだ。我がてれてれと説明した挙句、地道な交渉をする意味がどこにもない。
だからその理由を探りたいのであるな。
「こういうと笑われるかもなのだが、友人や知人に迷惑を掛けたくないのだ。そして、その中にはラウレリオ大臣閣下も入っておる。こうしてわざわざ了解を取りに来たり、スラムで学校を開いたりするのもそのためであるのだ。」
理屈が通らねば理解が出来ない。
感情が共感せねば納得が出来ない。
だが、それを無理にやろうとすると喧嘩になる。
仕方ないので、こう、友達になればよいのではないかと考えた。
ただ困ったことに、そうしたいのはやまやまなのであるが我は友達を作れた試しがない。誰も彼もが知人止まりである。
我が友人であると思いたいだけの者なら数多いが、向こうもそう思ってくれなければ、それは知人である。友というのは、よくない状態になった時にその真価が問われる。
もちろん確認はなかなかできる機会が少ないので、それまでは友人のような知人か、知人のような友人なのだ。
それでも、思うだけなら自由である。
だから我は皆を友人だと思っているし、そう願っている。
「まあ、私情はさておいたとしても、我にはこう、約束があってな。それを果たさないといけないのだ。それには他人に優しくせねばならぬ。それだけである」
600年前みたいなことになるのは、もうたくさんである。
我がこう、友人や周りの大切な者達になにかしてやりたいと。そう思うだけであるのに、世界が争いになるようなのは。
友人が友人と争うのは見ていて悲しくなるのだ。
争うのは食事のうまさだけで充分なのである。
あ、できれば胸の大きさで争うのもやめてもらいたい。