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憲法9条と新自転車

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幽霊屋敷事件があって以来、良秋はマリーを以前と同じように見る事が出来ないように成っていた。矢張り少年の目には、痴呆というものは異様に見えるものらしい。ましてや他人においては。会う機会が減る毎に、気持ちも段々疎遠に成って行く。

マリーがぼけて以後、マリーの噂も格段に広まった観がある。最初、良秋はこの手のデマに非常に苦しんだ。しかし、マリーが戦争を肯定しているからと言って、それが良秋にとって一体何だというのであろうか。戦前はみんな肯定していた。時と場所による。良秋も時と場所が違えば同じ事をやっただろう。思想は個人の自由である。誰しも身を守る権利がある。防衛のための戦争。思想ーー自分は自分、他人は他人である。親子と言えど思想は個人・個人、別々である。マリーのは、完全にデマであろう。デマに完全にやられた観がある。胃がやられた。胃が荒れた。肉体に反省させられた。苦しみの状態から抜け出す頃、マリーおばさんに限ってと、思い直す事が出来た。潔癖過ぎる少年なのだろう。

それでもしつこく考えてみた。永世中立というものは徴兵制度があるらしい。どう見ても日本の憲法の方が良かった。怠け者の良秋には徴兵制度が何よりも嫌だった。誰だって嫌に決まってる。平和主義の良秋には、武器を握っただけで、戦争に加担した気がした。

良秋は憲法9条の信奉者だった。そのくせ内容はろくすっぽ知らなかったが。良秋はこの国が好きだったし、この国の平和が好きだった。条文の一つ変えるのも嫌だった。条文の一つ変えただけでも、憲法が憲法で無くなる気がした。一つ変えれば、完全に別の物に成ってしまう。一寸の改変で、完全に偽物とすり替えられてしまう。完全なインチキだ。ペテン、大ウソ。或いは、子供騙しと言えよう。やがて次から次に変えられ、止めどなく、完全に元の姿を失ってしまうだろう。ついに最後に、独裁者が現れ、平和は完全に終わってしまうだろう。その途中、戦争は小出し小出しに行われ、もはやそれは平和と言えないだろう。善とは言えない。悪だ!日本は兎も角、世界はそう考えるに違いない。

良秋は、マリーが徴兵制度を押し付けて来る厄病神で、マリーと距離さえ取っていれば、徴兵制度の事を考えなくても済むと多少は思っていたかも知れない。いや実は、少し思っていた。

これらの事は未来の日本人にとってどうであろうか。今の日本人は永世中立について考えた事も無く、現憲法についても必死で守ろうとしていないのが現状である。現行憲法を不正に改竄(かいざん)しようとしている不逞(ふてい)のやからが、跋扈(ばっこ)している状況においてでも、である。白痴化した今の日本人にとっては、憲法9条よりも芸能界の話題の方が大事である。日本人は白痴化したトレンド・メディアが大好きである。良秋の方がよっぽどマシである。不正選挙かも知れないが、行って来い。政治の話題を喋れ。でなければ、大人しく口を(つぐ)んでおけ。どっちみち戦争に行くのは君達だ。

冬の寒空の日曜日、良秋は一人、緑地に来ていた。もうこの年で老人のように孤独癖が身についていた。非道い風で、これでは(たこ)も、上空に揚る前に、吹き飛ばされてしまうだろう。自転車に乗るのに、良秋は母に買って貰った、上等の厚手の黒い革手袋をはめていた。

良秋は困難な登り道を自転車を押し、霜で白くなった下草を踏んで歩いた。下で小気味のいい音が鳴った。こんな所に、人はほとんどいない。緑地にはこんな辺鄙な所が多い。やがて鶴見新山の一角に至る。

以前、友人とこの場所に来た時には、小高い山に、何やらブロックが置かれ、針金のような物が飛び出していた。思わず「戦争ゴッコしたくなるような・・・」と言いそうになった。止めたのは、子供っぽ過ぎる、と言う判断である。依然、そのままである。要塞でも造るつもりか?陰謀の匂いがする。

起伏は全部、人工の山である。山を登る。谷を()りる。大した高さもないので、自転車に乗ったまま登れる。やがて鶴見新山の頂らしき所に至れる。頂上には大きな偽物のオランダの風車が、いつの頃からかある。この羽根は回ったことがないと言う、人の噂である。

降りると、谷間の途中に、糸の様な、おもちゃの用水路、みた様な物、がある。何だろうか?Y字の分水まで作ってある。何の水質検査だろうか?

下には、どす黒い小川があり、極小さな水門がつけられている。水は全く流れていない。病葉(わくらば)が水門の歯にギュウギュウに詰まっている。ささ曇りの空の(もと)、悲しい風景である。

良秋はメランコリックな気持ちに成り、再び山に登って行った。その後、行き止まりに辿り着いた。最後の山の頂で、下りる場所がなく、いきなり行き止まり、なのである。多分向こうは守口側なのであろう。山の尾はスパッと切り取られ、白いペンキの鉄柵がグルリを取り囲んでいる。これで、この山が人工の山だと分かるだろう。

仕方がないので、鶴見側から下りる事にする。道が分からなかった。勘で、下りる道の一つを確保した。いまだによく分からないのだが、下りる道は、一つ、二つ、三・・・あるらしい。

良秋は今日一日、風にビュービュー吹かれて、冬を満喫した。頰が随分血色良く成っている。山を下りて来ると、変な色の砂地に、投げ出された工事の材料が放置されている。砂に色が着いている。ペンキの跡だろうか?さっきのブロックもある。人がいない。日曜だからか?陰謀の匂いがする。

いずれにしても最近、良秋の考える事は一つである。『新品の自転車が欲しい!』 良秋の体は大きく成り、自転車は小さく成った。それは事実だが、単に新しい物が欲しかったのも、事実。友達に自慢出来るカッコイイ物が欲しかった。子供の物欲は凄まじい。淀川を遡り、探訪してみたい、というロマンチックな興味も湧いてくる。それには、スポーツタイプが是非とも必要だろう。

帰り道、小学校を過ぎた辺りで、異変に気が付いた。いつもあった野池が、消えて無くなっているのである。こんもりと盛り上がった古墳状の物が、跡形も何もない。時代とともに、整備されたのである。良秋は、自転車を駐めて、暫し想いに耽った。往時を偲ぶと、無常の漣が押し寄せて来るのが分かる。良秋は、小学一年時、ぼおっと突っ立って、池を見ていた。(あの頃が、懐かしい・・・)。

鶴見には、この手の小池や小泉が多かった。多くは埋められた。『溜池』と、多分地元では呼ばれていた。

家に戻ると、早速良秋は母親に自転車をねだった。もうこれで二度目か三度目だろう。「今のがまだあるやろ」。暗い勝手で沈んだ声。この今の自転車は、もう小さくて非常に不便で漕ぎぬくい、と申し出た。

良秋は、さっきも言ったように、心の中で新しい自転車を巡らしていた。それは当然、スポーツタイプでシンプル、な物でないといかん、筈の物であった。

結果ははかばかしくなかった。母からは中々了承は得られなかった。矢張りうちが貧乏だからか?しかし、みんなは持ってる、新しい「大人の自転車」。曲がりなりにも兄も持ってるじゃないか。世の中今、景気も上向き。子供でも無意識に知っている。別の日、試みた。

「ふ~ん」と鼻息を出したきり、母は黙ってしまった。「お父さんに一度、訊いてみるわ」(母が言った)。内心、良秋は腹を立てたが、母はちゃんと考えていてくれたのである。自転車は高価だし、即答しないのは当たり前だ。物もデカイし。それに、今の自転車はまだ乗れるのである。勿体ないじゃないか。物は大切にしないと。子供の時から、贅沢を覚えてどうする。しかし、現実には、良秋は了承を得られないのにホッとした。大掛かりな物に、乗り気でない、タイプなのである。生来、気が小さく、優しい子なのである。物を大事にしようと思った。

ところが、一度立った腹は中々治らないもんで、内心、心変わりがした。

(この自転車はもう要らない!)

漠然と考えた。悪い心だろう。

(この自転車が無くなれば、新しい自転車を買って貰えるのに)

この考えは決定的だった。これを何者かに聞かれた気がした。恐ろしい事に、良心の呵責は後々(あとあと)まで付いて回った。

遊びから帰ると、夕方、自転車に対する愛着の薄れていた彼は、つい鍵も掛けずに、外に放置していた。明くる日に成ると、母は自転車が何処にも無いと告げた。動揺した。盗られたのである。

(どうしよう。もう自転車に乗れない。遊びにも行けない)

後日、あの時、自転車が無い方がいいと思ったので、バチが当たったのだ・・・。

歩く以外になかった。来る日も、来る日も、彼は歩いた。お陰で、足は丈夫に成り、心身爽快に成った。自転車の事は忘れた。

(自転車ない方がええわ)

この幸せな生活とも忘れを告げる時が来る。

いきなり「自転車買いにゆくで」母がそう言ったのである。寝耳に水である。兄も靴を履いて準備している。

準備出来ていない良秋は混乱した。自転車離れも有り、本当に欲しい物が何なのか、遠い記憶と、見事忘れ去ってしまっていた。余りの腹立ちに、物が見えなく成ってしまっていた。

「自転車要らんわ」

「何ゆうてんのー」

「今度で、ええわ」

「今日(土曜日) しか、日あらへんのんや」

「・・・・・・( 要らんゆうてるやん )」

そこは、近所の自転車屋だった。小さいので、種類が置いていない。自転車屋に来ると、不思議と機嫌が治った。どれにするか決めてない。おだてられて、CMでよくやってる、ランプばかりの『見せかけ宣伝』だけの自転車にしてしまった。それも、型落ち。店は在庫処分。母は安上がり。一石二鳥。

しかし、可笑しいのは、子供でも型落ちというのは分かるらしい。良秋は劣等感に苦しんだ。最初は欲しくて、このキンキラキンの自転車に手を出したのであろう。物欲は空し。

それでも、大きな自転車という物はいい物だ。それなりにスピードが出た。それなりに満足もした。やがてランプを取り除くと、それなりにいい自転車だった。要った。必要は全てだ。足は萎えた。幸福は忘れられた。スポーツ・タイプは何処へ行ったのやら。

学校でべら本が

「ムニャムニャ・・・似た自転車・・・、✖️✖️の壁に立て掛けてあっ・・・何とかかんとか」

べら本はちらとこちらを向いた。

「えっ?」

心臓がドキドキする。

どういう事か?迫ると

「誰か?夕方、しんどいから、別の?自転車、乗って帰った、嘘」

ニヤニヤ笑ってる。

胸騒ぎがした。意味がも一つ分からなかったが、学校帰り、見に行って見ると・・・壁に立て掛けてあった・・・。似ている?最初は分からなかったが・・・・・・本物じゃないか!オレの物だ!しかも、べら本のうちの「前」じゃないか・・・。長い事・・・・・・可哀想に、雨に打たれて、埃が点々に成っている。

あの男だ。どう見てもあの男だ。あの男ならやりかねない。(犯罪だぞコレハ・・・)

どうすればいいか分からなかったが、兎に角自転車を連れて帰った。うちに自転車が二個。兄のを入れると三台。結局、母が、ゴミの日に出す事が決まった。

べら本のうちは両親が教師で、某教育何とかの偉いさんを務めている。正に教育の鑑と云えよう。大人に成るとべら本は、鶴見におられず越して行った。

こんな彼だが、一つ「だけ」いい所があった。「べら本劇場」。奴と居ると、いつも退屈せずに済んだ。それでも最後、いつも非道い目に遭わされるのだから、結局いい所は無かった、とも言える。

スピーカー(スピッツ)は人望が厚く、みんなを連れて、宗教に走った。



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