マリーぼける
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マリーの様子がおかしいらしい。
巷では「痴呆症(『認知症』。当時、80年代・90年代までは『痴呆症』と呼ばれていた。だから、取り敢えずこの旧表現を使用する)」だと言われている。
大学を辞した後、彼女が何処で何をやっていたかについては不明である。一説によれば、生駒近辺やら和泉地方やらで、各種学校を渡り歩いていたとも言われる。
スイスから両親が彼女を引き取りにやって来た。マリーは猛烈に反対した。理由は不明。そんなに日本を気に入ってくれたのであろうか。
良秋の知っている限りでは、マリーが『メタル温泉』が出来た後、「ラドン」は放射能があって危険だからと言って警告を与えてる姿である。番台に行って、非常に強く物を言ってる姿もあった。風呂屋はカンカンに怒って、「マリーの悪い噂を流してやる!」と息巻いていた。「あれは気違いだ!」。マリーが風呂屋に「ガイガー・カウンター」を持ち込んだと尾鰭が付いた。
小松原一家が初めて見舞いに行った日、いきなり紙を見せられた。よく見ると「元素の周期表」である。この中に書かれていない未知の元素を見つけるのだと、マリーは息巻いていた。良秋達はこれがよく聞くあれかと思った。マリーは会う人毎にこれをやっていた。
良秋は既に五年生に成っていた。
本人は気づいていなかったのだけれど、既に孤独癖を生じて来ていた。本人にはこの位置が少し心地いい所もあった。だけど、本来はみんなとワイワイやっていたかったむきもあった。既に、内向的な性質が生じて来ていた。
緑地は様変わりして来ていた。
西側入り口の最奥の馬場は整備されていた。これ以上向こうに行けないのは従前通りであるが、馬場の手前に新設のゲートが設けられていた。
馬場口からは緑地に入れないので、その手前の(馬場口より南の)ゲートより侵入する。分かり易い入り口で、今までの緑地の取っ付きの悪さを解消したと言える。
良秋は一旦自転車を降り、車止めゲートを自転車を縫わせて緑地に入った。
一面綺麗な砂利道が敷いてあり、両側には林が設えてある。誰れもいなかった。自転車を思いっきり飛ばした。目前に大きな橋がいきなり出現した。自転車を降り、おそるおそる確認する。どす黒いどぶ川に架かっているその橋は『鈴懸橋』と言う名前だった。銀色に光り輝いていた。
良秋は再び自転車にまたがると、猛スピードで橋を渡り切った。
「ヒヤッホー!」
橋を渡り終えると今度は、広大な楕円形の『芝生公園』に出た。これは以前からも・・・何度か、見た。(そうか、こう繋がっているのか・・・)。
この芝生の東端に背の高い植林、石畳、噴水、人工池等が設けられている。北東から鶴見新山の登り口と成っている。
石畳を、自転車を転がし、東南にある出口に辿り着いた。銀の鎖のある車止めを擦り抜けると、目前には比較的大きな道路だ。左手に生駒の山並みが遥か遠くに小さく見える。冬などであれば空気が澄んでもっとはっきりと見える。滅多にはないが、積雪の美景が期待出来る。この道路を生駒と逆の方向に辿ればマリーのうちの方に出る。
生駒に見とれていて、さて、うちに帰ろうかと振り向いた瞬間、真近に大きな顔がある。ぎょっとして、飛び退くと、マリーの顔だ。心臓が止まるかと思った。
「マ、マーおばちゃん、こんな所で何してるの?」
何してる、かにしてるもないもんだろう。ここはマリーの近所だ。散歩だろ。
「ささ、帰りましょ」
今来たばかりのマリーを帰らせる。
世間ではマリーが緑地で石を採集してると言われた。荒唐無稽だろう。緑地に碌な石なんかない。
二人がマリーのうちに着くと、玄関を開けっ放したまんま、マリーは一人中へ入ってしまった。良秋は一人表に取り残される。どうしようかと、良秋は懊悩のまま、自分の運動靴ばかり眺めていた。(何て白いんだ!この白の白さは本当に白い!)。とっとと帰ればいいものを。すると、マリーが「上がり框」に戻って来た。
「まあ、お上がり」
ままよ、とばかり靴を脱いで上がり框に上がると、マリーはその靴をさっさと引ったくってとっとと行ってしまった。「あっ・・・あっ・・・」。
マリーは廊下を真っ直ぐずんずん行く。良秋はその後を追いかける。マリーのうちは何度かお呼ばれさせてもらったことがあるが、比較的大きな平屋で、そう言えば『サザエさん』のうちに似ているなー、などと思ったことがある。
右手の部屋に机が置いてある。カツオとワカメの部屋だな。左手は確か閉まってはいるけれど、押入れがあった。寝室だろうか、波平とフネが住んでいる。しばらく行くと右手にちゃぶ台。テレビの間か。続いてダイニング。続いてキッチン。サザエさんと皆同じ。左はと見渡すと、謎の扉が点点点。一番奥がトイレだとしても、手前は、風呂。して、この開かずの扉は・・・。噂によると・・・夜な夜な・・・老女が髪振り立てて・・・石をキイキイ錬磨すると言う・・・あのマッドなサイエンティストの間だろうか?死体が置いてあるかも知れない。マリーは「そこ=開かずの扉」を簡単に「スルー=パス」してしまった。
そして、ついに老女は家の最終、突き当たりの場所に来てしまった。裏口がある。そのまま老女は三和土に置いてあったサンダルを履いて、外へ出て行ってしまった。見ると、綺麗に良秋の靴が三和土に並べられている。良秋はそれを履いて、老女の後を追った。老女は庭の垣根を越えて外に出てしまっている。外は道だ。舗装してある。庭の中に舗装した道路があるなんて『城南宮』みたいでカッコイイなーと感動する。次に、「離れ」を目前に見つける。老女は離れの玄関をガラッと開け、黙って御免下さいをする。良秋も、もらったーっ、とばかり上がり込む。たちまち大混乱に陥る。誰れか知らないはげた爺さんが新聞を読んでお茶を啜っている。
「ばっか、もーん!ここは人んちだー!土足で入って来る奴があるかーっ!お前も土足で入って来てーッ!」
良秋はふぐりが震え上がった。
マリーのうちの隣りにいつの間にか人が越して来たらしい。後で聞くと、『岡山の善さん』は頗るいい人らしい。岡山から移り住んで来て、年寄り夫婦二人暮らし。定年後、家を買ったらしい。子供達はとうに自立している。マリーがほうけているとあって、火事でも出さないか、いつも気にかけてくれている。マリーの一番の恩人だ。善さんはステテコにラクダのシャツ、腹巻きをしている。
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