あの時君は若かった
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鶴見で頻繁に使われるバス停『鶴見西口』と『鶴見』の間、北側に日当たりの悪い小さな公園がある。
小学校の北が銭湯に当たり、、そのまた北が「この公園」に成っている。
今度の土曜日、この公園にコメディアンの『狭間田 寛兵衛』が来る。良秋の父が晩酌の席で、充や良秋に言ったのである。
土曜日の昼前、授業を終えた良秋は、意気揚々裏門を出て真っ直ぐうちまで帰ろうとした。すると、いきなり物凄い音がした。見上げると、雲一つない空、そこを飛行機雲が真っ直ぐ伸びてゆく。空が大あくびをしたのかと思った。続いて、物凄い轟音が響き渡る。近くのこうばの正午のサイレンの音だ。町がうなり声を立てたのかと思った。
家に帰ると鍵が掛かっている。母は内職の届け物をしてる。植木鉢の後ろに鍵が置いてある。家に上がるとランドセルを放り投げた後、しばし休憩する。背中を休めた後、鍋に水を張りコンロに乗せる。即席ラーメンを炊く。良秋の好物『えび玉塩ラーメン』。鍋のままちゃぶ台に持って行く。テレビを点ずる。『吉田新喜劇』が始まる。良秋のお気に入りは『室谷 伸郎』。「なにゆうとんねん、ワ〜リャ~」「なにゆうとんねん、ワ〜シ~」「なにゆうとんねん、ワ〜テ~」得意のギャグを真似する。痛食後、鍵を掛けて出掛けてしまった。
昼過ぎ、充が帰って来る。母に聞くと、良秋は出掛けてしまった。多分、寛兵衛のことなど忘れてしまっただろう。時間に成った。仕方がない、充は出掛けることにした。
公園には既に人が一杯、集まっていた。小さな子達ばかりだ。充のように大っきいのはいない。
寛兵衛は少し遅れているのだろう。子達は少しじれている。
大人が話し始める。
「それでは、かんべえちゃん、来られますんで、ネ。それでは、狭間田 かんべえちゃん、登場です」
ラジカセのボタンをパシャッと押す。
大ヒット曲♩『開くんだチューリップ』の曲が流れ出す。みんなは必死で見回して、寛兵衛を探す。寛兵衛はわざわざ風呂屋の裏手の細い道から姿を現す。照れくさそうに(どうもどうも)手を挙げる。子供達はうわっと押し寄せる。
「かんべえちゃーん!」
仕方がないので、輪の外に、充も加わった。子供達は大歓喜である。ほんまに実物なのか?試して見たくなって顔を見た。まごう方なき本物だ!テレビと寸分変わりない。『紛れもなく本人だ』、レシートを確かめるように納得した。ダダーン!所で、衝撃!実際に見る寛兵衛の顔は、テレビで見る印象よりも「遙かに若くて」「遙かに可愛げがあった」。(いい顔してる)。
子供達は寛兵衛をずんずん押して行く。もう後ろが無くなると、パッと体を入れ替えて真ん中に持って行く。この繰り返しをし、巧妙に後ずさって子供達を誘導する。ついに公園の隅まで行くと、残りはフェンスと植え込みだけ。ピタリと停まる。子供達も停まる。一呼吸空けて、お決まりのセリフ
「か、か、勘弁な。勘弁な。寛兵衛な~。負けてしまいそォ~」
子供達はどっと笑う。
充は舌を巻いた。絶妙の間。これがプロの底力というものなのか。
「パシャッ」。あっという間に、ラジカセが鳴る。
「それではね、かんべえちゃんね、帰りますからね」
再び寛兵衛は手を振り、暗い路地に消えて行った。
その後大人に成り、充に一つの疑問が生じた。これは一体何だったんだろう?小学校高学年当時の充にもこれは「営業」ーー言葉は分からなかったがーーみたいなものだということは分かっていた。問題は、この出来事の意味する物である。ただの歴史の偶然かも知れないが、充はこの出来事に深い意味を付け加えようとした。なんの脈絡もない、このようなハプニングが自分の人生に入って来た以上、エイリアンの悪戯でもない限り、何らかの意味があったに違いない。何か人生のページの「しおり」的な役割りを果たしていたのではないか。何の変哲もない日々の歴史の中で「しおり」の役割りでこの出来事が挟まれた気がする。丁度人生の折り返し地点・中間に当たるのではないか。当時、こう考えたとは言わないが、漠然と何かを感じていたのかも知れない。だからこそ、事態が急展開した時に、警戒感を強めたのだと。
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