第30話 緑の巨人の蹂躙劇
全身が焼けるように痛い。
こんなにも痛みを感じたのはいつ以来だろうか。
いや、ここまでの痛みを感じたことは一度もなかったかもしれない。
現実の日本は、痛みなど縁遠い場所だから。
紙の端で指を切った? フライパンでやけどをした?
せいぜいその程度、ひどくても骨折くらいだろう。
なのになぜ、俺はこんなにも痛みを味わっているのだろうか。
――一体、何があったのだったか。
「きゃあああ!」
「はっ……いっつ!」
叫び声で一気に意識が覚醒し、同時に全身に走る痛みにのたうち回りたくなる。
何とか、声がした方に首を向けると、倒れ伏したプレイヤーが消える瞬間だった。
見覚えのある姿。
先ほどまで俺と一緒に戦っていたプレイヤーだった。
「リュウ!?」
リュウが、死んだ?
なんで?
そこまで考えて、なぜ俺がここで倒れているのかを思い出した。
同時に、その原因となる姿に目をやる。
緑色のぶよぶよとした巨体に、手に握る巨大な棍棒。
よくゲームで見るトロールに酷似している。
だがそのニタニタと笑った顔を見るだけで全身に寒気が走った。
目の前のプレイヤーをせいぜいアリ程度にしか思っていないような。
むしろプレイヤーを殺すことを愉しんでいるかのような顔。
そしてその視線の先には尻餅をついたレイナさんの姿があった。
たぶん、リュウがレイナさんを突き飛ばしたんだろう。
だが再びトロールは棍棒を振り上げる。
「く、そぉ!」
震える体に鞭打って走り出す。
それだけで全身が痛みに悲鳴を上げるが、気合いで押し殺す。
なんでゲームであるはずのこの世界で痛みを感じているのか分からない。
でもここでレイナさんを死なせたらいけない気がした。
「レイナさん! [爆風]!」
レイナさんの腕を掴んで、トロールとの間で魔法を発動させる。
巨大なトロールはピクリとも動かなかったが、俺とレイナさんは風に煽られて後方へ離脱することに成功した。
「ゴルム!」
悲痛な叫び声をあげながら近寄って来たのは――アドリアさんだ。
「アドリアさん! 石化が治ったんだ!」
「は、はい! まだ状況が読み込めていませんが……」
ニタニタと笑うトロールと頭部を失ったバジリスクの死骸。
それらを見て困惑しているアドリアさんに、レイナさんを預ける。
他の石化していたプレイヤーも状況が分からないのか、何をすればいいか戸惑っているみたいだ。
「よく分からないけど、あれはヤバいよ……! たぶん、リュウが言ってた奴だ」
正直、半信半疑だった。
ゲームを超えた存在なんて、居るはずないと思ってた。
でもそれも、目の前の存在の発する威圧感と、全身の痛みから真実だと明らかだ。
「この封鎖されたエリアじゃどうしようもない! どうにか倒すしか……」
「そんな……一体どうすれば……」
アドリアさんが呟いた瞬間、トロールが動き出した。
強い踏み込みの後、その巨体あるまじき凄まじいスピードでこちらに突っ込んでくる。
「くそ!」
レイナさんとアドリアさんを守ろうと前に出るが、止められる気がしない。
そもそも、防御力とHPが2倍になっているリュウを一撃で殺すほどの攻撃力だ。
最初に地面に叩きつけられた所為で俺のHPは2割を切っている。
そして何より武器がないのだ。
せめて後ろの二人に攻撃を通さないようにと踏ん張ろうとした瞬間――。
――黒い影が間に割り込んできた。
「[強化盾]!」
トロールが振るった棍棒と、黒い影の持つ盾が激突する。
黒い影は少し押されたものの、トロールの攻撃を受け止めて押し返した。
「――全く、グダグダ何をやっているのかと思えば。クソな状況だってことは良く分かった。指示はなかったが入らせてもらったぞ」
黒髪に簡素な鎧、そして大盾を左手一本で操り、トロールの攻撃を受け止めた男。
「ルーク!」
ボスエリアの外で待っていたはずのその男は、いつも通り不機嫌そうに鼻を鳴らした。
「[エリアヒーリング]!」
ルークと共にボスエリアに突入してきたヒーラーが、周囲のプレイヤー達に範囲回復をかける。
俺のHPも[自動回復]と合わせて少しずつ回復してきている。
「ガアア!」
トロールが忌々しそうに唸り、棍棒を振り回す。
「チッ!」
その全てをルークが大盾で裁き切るが、いくらかのダメージは貫通して食らっている。
ルーク一人で戦えるのも時間の問題だろう。
「アドリアさん!」
ボスエリアの外で残っていた最後の一人である通信スキル持ちのプレイヤーが、アドリアさんに声を掛ける。
「リュウさんに、通信が届かなくなりました。……何かあったんですか?」
「……っ!」
考えたくはなかったが、リュウはやっぱりただ死んで神殿に送られた訳ではないようだ。
[情報伝達]は、他のエリアに居ようと通信を可能にするスキルだ。
そもそも、パーティーメンバーのHPを示すHPバー、リュウのそれが消えてしまっている。
これが意味するのは何らかの理由でパーティーが解除されてしまったか、もしくは――。
「……考えるのは後にします。今はとにかく奴をどうにしかしないと――」
「ゴルムさん!」
アドリアさんの言葉を遮ったのは、新たにボスエリアに入って来た小柄な影。
「ラナ!?」
生産者であり、カルカに居るはずのラナだった。
どうして彼女がここに居るのか。
戸惑う俺達を無視して、ラナは俺の方へ駆けて来る。
「これを!」
ラナが渡してきたのは布が巻いてある一振りの大剣だった。
「これって――」
「戦闘中にゴルムさんの武器が壊れたって連絡がアドちゃんから来たので、急いで作って来たんです! 鞘は時間がなかったので作れませんでしたが」
「え、私ですか?」
目を丸くして驚きを露わにするアドリアさん。
確かにそれはおかしい、アドリアさんはバジリスクと戦っていたときは石化していたはずじゃ――。
「敵も出てこなかったので、すんなりここまでたどり着くことができました。てっきりゴルムさん達が何かをしたおかげだと思っていたんですが……」
「……」
おかしい、何かが起こっている。
でも、それがあのトロールと関係があるのかは――。
「ぐっ!」
うめき声と共にルークが吹き飛ばされてきた。
「くそっ!」
「考えは後だな! 俺も戦うぞ! ラナ、ありがとう!」
ラナからもらった大剣の布を解く。
現れたのは柄までも白い大剣だ。
「大イノシシの牙を加工しました。切れ味は保証しますよ!」
「戦える人は戦闘準備! これはゲームとは完全に別物だと考えろよ! 攻撃が当たったら痛いよ!」
「面倒なこった……」
ルークの隣で大剣を構える。
相変わらず気味悪く笑うトロールはドタドタと足を踏み鳴らした。
「来るぞ!」
トロールが両足をたわめてグン! と凄まじい速度で走り出す。
「はぁっ!」
その突撃をルークが受け止め、同時に跳び上がった俺が上方から斬りかかる。
「アッハー!」
ルークの盾を物ともせずに腕を振り回すと、俺に向かって巨大な棍棒を振り回した。
「ぐっ!」
棍棒と大剣が激突し、凄まじい衝撃が俺の両腕を襲う。
空中で体勢を崩したところにトロールが空いている左拳を構えた。
「危ない!」
「うおあああ!」
呆然としていた一人のプレイヤーが、槍をトロールの足に突き刺す。
一瞬生じた隙に俺はトロールの拳撃を躱し地面に着地した。
「助かった! ありがとう!」
「俺たちも戦うぞ! ゴルムさんにばっか任せてられるか!」
「うおおお!」
トロールの威圧感に気圧されていたプレイヤー達も武器を構え始める。
一対一で敵わなくても物量戦なら――。
「アー」
面倒くさそうに呟いたトロールが再び凄まじい速度で動き出し、俺とルークを押しのける。
同時に丸太よりも太いその右足を一人のプレイヤーに叩き込んだ。
「ああああああああああ!」
剣をへし折られ吹き飛ばされたプレイヤーは、何とか死んでいないようだった。
いや、死んだ方がましだったかもしれない。
もしこれが現実なら、骨など簡単に粉砕されているだろう。
痛みにのたうち回るそのプレイヤーを見て全員の動きが一瞬止まった。
その一瞬にトロールは蹂躙を始める。
棍棒を薙ぎ払い数人のプレイヤーをぼろくずのように吹き飛ばし、倒れたプレイヤーを踏み潰す。
一瞬でプレイヤーの集団に突っ込んだかと思うと、拳を雨のように降り注がせ、ほとんどのプレイヤーのHPがゼロになった。
「ファ、[ファイアーボール]!」
放たれた火炎は振り回された左腕にかき消され、魔法を放ったメイジは一瞬で接近されて蹴り潰される。
「充電完了! [散光線]!」
ケイゴが銃を構えるとその銃口から光線が幾筋にも分かたれて放たれる。
「ハッハッハー!」
だがトロールは俊敏な動作でその全てを躱し切った。
「なっ!?」
驚く間もなく一瞬で近づいたトロールにケイゴは殴り飛ばされ、追撃で放たれた飛び蹴りに叩き潰される。
「ケイゴぉッ! [震撃槌]!」
[背後転移]でトロールの後ろを取ったショウマが大槌をトロールの脳天に振り下ろす。
「アー」
だがトロールは全く気にしていないかのように振り返り、ショウマの下から棍棒を振り上げた。
「ショウマ! ぐっ!」
俺が割り込み受け止めたものの、そのまま吹き飛ばされボスエリアの端にショウマ諸共激突する。
「ここ!」
その瞬間、無防備になったトロールの背後の空間が揺らぎ、アドリアさんがカマを構えて姿を現す。
一閃。
背中に大きな切り込みが走り――何事もなかったかのように塞がった。
「そんな――」
「アドリアさん、避けて! [氷散弾]!」
レイナさんの言葉に、アドリアさんが慌てて飛び退く。
しかし直後にトロールに襲い掛かった無数の氷礫も、身体の表面に傷をつけるだけで大したダメージを与えることができない。
「下がれお前ら!」
ルークがアドリアさんの前に出た瞬間、トロールの姿が霞み、次の瞬間にはアドリアさん諸共ルークが吹き飛び、レイナさんに激突した。
「いっ……たい……」
誰も、敵わない。
デタラメすぎる、なんだこいつは。
ほとんどのプレイヤーは殺されたか、瀕死の重傷で痛みに耐えている。
立っているのは、トロールに攻撃を仕掛けなかった数人のプレイヤーと、生産者であるラナだけだ。
こいつは一体、何を目的として――。
「アー……」
トロールは倒れている俺たちを眺めると、すぐに視線を外した。
そしてドスン、ドスン、とエリアの端に向けて歩き始める。
倒れているルークと気を失ったアドリアさんの横をすり抜け、ちょうど俺たちがボスエリアに入って来た位置でトロールは止まった。
「何を……」
俺は痛みに苛まされながら、トロールの動向を眺めることしかできなかった。
トロールが左腕を掲げ、薙ぎ払う。
次の瞬間驚くべきことが起きた。
何もない虚空がヒビ割れ、別の空間が現れたのだ。
そしてヒビの隙間から薄らと見えるのはつい数時間前まで居たゴルゴ山の景色。
「アッハッハ」
トロールが当然のように外に出ていく。
誰も、止めることはできなかった。
「く……そ……」
痛む体に鞭を打って立ち上がる。
ふら付きながらも取り落としていた大剣を持ち直し、トロールを追うべくヒビに近づく。
奴を追わなければとんでもないことになる気がした。
奴が何を目的としているのかは分からない。
でも、あの脅威がカルカに到達した時、どうなるかは容易に想像できる。
「ぐ……くそ……」
「私も……行くわ……戦わなきゃ……」
ルークとレイナさんがよろよろと立ち上がる。
二人の――特に、トロールの攻撃が直撃したルークの消耗は尋常ではないだろう。
痛みも、感じているはずだ。
「ほんとに、行くんだね? ……死ぬかもしんないよ?」
「ふん、やられっぱなしで……気が済むはずがないだろう」
「死ぬのなんて怖くないわ。それに……」
レイナさんがヒビの向こうを見て目を細める。
その視線が単純にゴルゴ山の景色ではなく消えてしまった俺の親友に向いているのは、容易に察することができた。
「じゃあ、行こう。あのデブを止めに」
言い、ヒビから外に出る。
怪鳥の影は見えない。
眼下は未だに分厚い雲に覆われている、恐らく雨は止んでいないだろう。
そしてぬかるんだ山道にはトロールの大きな足跡が続いていた。
「急ごう! カルカに着くまでに奴を止めるんだ!」




