第22話 闇との邂逅
突然現れたそいつ――いやそいつらは、俺と眠るレイナから30m程離れたところに突然姿を現した。
それを認識した瞬間俺の内に溢れるのは絶望的なまでの恐怖だ。
叫び出さなかったのは奇跡だと言って良い。
それ程、目の前に立つ存在は異様だった。
逃げ出したいと心の底から思うが、レイナを置いていくわけにはいかなかった。
少しずつレイナを庇う位置に移動しながらそいつらの観察を行う。
向かって右側に立つのは黒色の髪の男。
だがその姿は明らかに人間ではなく褐色の肌に鋭いキバ。
頭には角まで生えている。
身に纏うのは何かしらの獣の皮を加工したと思しきローブ。
腰には俺の頭二つ分はありそうな獣の頭も付いている。
そして左側に立つのは明らかに異形な何か。
大きさ3mはありそうな緑色の巨体。
何も着ていない上半身には幾つもの切り傷がついている。
手には荒削りの巨大な棍棒を持ち、まるでRPGに出現するトロールのような姿だ。
もちろんOOもRPGだが、あの異形からはゲームという枠を超越したような何かを感じた。
「……っ!」
そして中央に立つのが最も普通な見た目で、同時に最も人間ではないと感じさせられる男だった。
見た目はほとんど普通に人間と変わらない。
180cm程の身長に銀色の髪。
体は黒いローブに隠れてよく見えないが、全体的には普通。
強いて言うなれば目が赤いという事だろう。
だがその姿からは不快感しか感じない。
自分が何か途轍もないものと対峙しているという直感が、大イノシシとの激戦の疲れを遠ざける。
「なるほどな」
その銀髪の男の呟きに言い知れない恐怖が体の奥底から湧き上がる。
まるで心臓に手を添えられているかのような感覚。
奴はその気になれば俺など一瞬で殺せるのではないだろうか。
そしてその死が、ゲームという尺に収まるかどうかも俺には分からない。
「ここが箱庭か。随分と大層な場所を作ったものだ」
その男は、俺を気にも留めず周囲を見渡す。
「あの女神も面倒なことをする」
箱庭? 女神?
真意が分からない単語を呟く銀髪の男は気味の悪い微笑を浮かべている。
「全くですね。いつまでも我々の邪魔をする。忌々しい」
右に立つ黒髪の男は銀髪の男より立場が低いのか、敬語を使っている。
どれも流暢な日本語で、やはりこれはゲームのストーリーなのではないかという感情も捨てきれない。
「焦る必要はない。女神の加護もそう長くは持たないのであろう?」
「そのようです。我々が待っていればそのうちこちらへ来ることでしょう」
「ならいい」
話している内容がまるで理解できない。
こいつらは何を話して――。
「さて」
そこで初めて銀髪の男が俺を向いた。
「……っ!?」
凄まじい殺気に思わず声が漏れる。
言いようのない恐怖と不快感が身体中を駆け巡り、思考する能力を奪っていく。
まさに蛇に睨まれたカエルだ。
もうこの銀髪の男から、目を離すことができない。
目を離した瞬間、この男は一瞬で俺の命を刈り取るのではないか。
そんな恐怖が俺の視線を、ただその男に固定する。
「貴様が拳王か」
けんおう……?
その男の口から発せられた単語は、全く聞き覚えのない物だった。
「ふむ。まだまだ未熟か。此奴が本当にあの様になるとは思えんのだがな」
あの様…?
訳が分からない。
やはりこれはストーリーの一部か何かなのだろうか。
「確かに今のこいつは虫けら同然でしょうが、こいつが拳王であることは間違いありません。今は虫けら程度の力でしょうが、必ず我々の前に立ち塞がる」
「ああ」
虫けら程度というのは言われなくても分かる。
こいつらにはどう足掻いても勝てないだろう。
足を震わせながらも何とか立ち上がる。
「誰だ……お前ら。」
声を絞り出す。
語尾が震えるのを抑えきれなかった。
相手に向かって話すだけで途轍もない殺気が強まる。
「ほぅ、これ程の覇気を受けて立てるとは。やはり資質はあるということか」
面白がるようにこちらを見てくる。
「お前らは……なんなんだよ……!」
わけが分からない。
なぜこんな奴らが突然現れる?
「貴様に説明する必要などない。どうせ近い内に女神から聞くのだろう?」
女神ってのはなんなんだ?
こいつらの言っていることがほとんど理解できない。
「シルファリオン様。そろそろお時間かと」
シルファリオンと呼ばれた銀髪の男はつまらなさそうに鼻を鳴らす。
「まぁいい。直に箱庭を見れただけでも良しとしよう」
「お、おい!」
その時に何故追いかけようとしたのか分からない。
踵を返そうとした銀髪の男に、何をしようと思ったのか
気づいた時には前に足を踏み出していた。
バツン! と、目の前で火花が弾けた。
「ふむ、来たか」
いつの間にか銀髪の男が振り返って人差し指をこちらに向けていた。
攻撃されて、何かに弾かれたのだということに気付くのに少し時間がかかった。
「こらこら、攻撃は駄目だよ。大人しくお家に帰りなさい」
高く陽気に、けれど落ち着いた声が届く。
いつの間に、目の前に白い衣装を纏った女性が現れていた。
「相変わらず面倒ごとが好きなようだな。女神ライラ」
「どうせすぐ君の下に行くことになるんだから大人しく待っていればいいのに。わざわざ出向いてこなくてもね、魔神シルファリオン君」
三人の前に対峙する一人の女性。
白い衣装を纏い右手には装飾の施された杖を持ち、前を向いているので顔は見えないが、何かしらの威厳を感じる。
身長は160cm程だろうか。
気になるのは、なぜこの女性が突然俺の前へと姿を現したのかだ。
きっとプレイヤーではないのだろう。
先ほどの会話から察するにこの女性が女神……なのか。
魔神と女神。
やはりゲームのストーリーの一部なのだろうか。
「おい、ウルガッハ。帰るぞ、もうここにいる必要もあるまい」
「はっ」
ウルガッハと呼ばれた黒髪の男はシルファリオンの言葉に頷くと左手を掲げた。
攻撃かと身構えたが俺の前に立つ女神に全く動揺した様子はない。
「[魔天・黒龍門]」
そう呟いただけで空間が歪み、ウルガッハの前に黒い渦が出現する。
「さらばだ。またすぐ会うことになりそうだがな。その時には拳王、貴様も強くなっておくことだ」
そう言い残すとシルファリオンは黒い渦へと入った消えていった。
ウルガッハも、ヒラヒラと手を振る女神をチラリと一瞥すると無言で入っていく。
結局何もしなかったトロールは、最後に残り黒い渦を飲み込んだ。
そして空気に吸い込まれていくように消えていく。
後には何も残っていない。
今のやり取りが夢ではなかったと証明するのは目の前に立つ白い服を纏った女性だけだ。
「んー」
女神……ライラと呼ばれていたか。
ライラは何かを考えている様子で振り返ると言い放った。
「今の事は忘れて!」
「無理」
こいつは何を言っているのか。
強烈過ぎて忘れようとして忘れられるものではない。
狂った外見、禍々しい気配、そしてそれだけで人を殺せるのではないかという程の殺気。
これだけで数日間は悩まされることは確定だ。
改めて目の前に立つライラを見る。
白い髪が腰まで届き、目は澄み切った青色。
全身を白い衣装で包み、右手には青い水晶の嵌った杖を持っている。
言うなればゲームに登場するような典型的な女神だ。
「えーと……あんたはNPCか?」
本当のNPCに言っても通じないであろう質問。
失礼極まりない質問に、しかしライラは軽く首を振る。
「残念、ボクはNPCじゃないよ。まぁ何かって言われても説明しにくいんだけどね」
サラッとそう言い切った。
NPCじゃない……と。
あの場面に突然登場したことから考えてもプレイヤーという線はまず無い。
となると一体こいつは――先ほどの奴らは何なのか。
本当に、訳が分からない。
「ごめんね。面倒なことに巻き込んじゃって」
頭を抱えて蹲りたくなる衝動と戦う俺に謝罪が飛んでくる。
何への謝罪なのかもわからないのだが――。
「あいつらが何なのかも、ボクが誰なのかも、今は話せない。でもいつかは話す時が来ると思う。このゲームを攻略していればね」
何かこの世界の核心に触れている気がして、その言葉をしっかりと脳内に刻み込む。
「とりあえず、ボクはこれで帰るとするよ。あ、そうだ、君にこれをプレゼントしておくよ」
そう言うとライラは指に嵌めているいくつかの指輪の内の一つを取り、俺の手に握らせて来る。
「それじゃあね。さっきの事はあまり他に言いふらさないようにしてほしいな」
そう言うと杖を振る。
それだけでライラは光に包まれて消えていった。
「また会おうね、リュウ君」
何も分からないまま。
眠るレイナと、指輪を握る俺だけが残された。
別れ際にアイテムをプレゼントされた辺り、やはりNPCの行動なのではないかと疑ったのだが、もらった指輪はアイテムボックスに入れることができなかった。
ウィンドウを表示して詳細を調べることもできない。
やはり女神ライラと魔神シルファリオンはゲームとは関係ない何かなんだろうか。
「はー……」
仕方なく指に嵌め、その場に座り込む。
魔神シルファリオン、あいつはヤバかった。
けんおうがなんだかは知らないが、あれがもし俺達の敵なのだとしたら最悪の一言だ。
あの男なら俺が1万人いようと瞬殺できるだろう。
今の出来事に関して、謎なことが多すぎる。
魔神達の正体、ここに来た目的、女神ライラ、会話の内容。
気になるのは確かだが、考えて分かるものでないのも事実だ。
ゲームを攻略していけば分かるとライラは言った。
ならば、そうするしかないだろう。
もともとOOを攻略するのが目的だったのだから、俺がやることは変わらない。
問題はこのことを誰にも話さないでほしいと言われたことだ。
あくまで『ほしい』なので言っても構わないのだろうが、それで攻略に要らない問題を作りたくはない。
どうせやることが変わらないのなら俺だけに留めておくべきだろう。
言ったとしても信じてもらえるかは怪しいところなのだし。
そう決めて傍で眠るレイナに呼びかける。
「おーいレイナ? 帰るぞ、起きろー」
呼びかけても全く反応がない。
頬をペチペチと叩いてみたが同じだった。
少々不安になり少し失敬して脈を測ってみたが、正常だ。
「どんだけ疲れてたんだか」
呆れて呟く。
まぁレイナがシルファリオンが来た辺りで起きていなかったのはむしろ好都合かもしれなかったが。
レイナなら真っ先に攻撃してしまいそうだ。
仕方なくレイナを背負い、ボスエリアの出口へと向かう。
そこでふと気付いた。
女神ライラの声が、2日前に聞いたリリックのそれと同じことに。
「ふぅ、疲れたな」
「いやー全くだねー。でも勝ったんだし今夜は騒ごう!」
ボスエリアから出て呟くとすぐさま後ろから声が返ってくる。
「ぶっちゃけ私は活躍できた気がしませんでしたよ。ルークに助けられっぱなしで……」
「勘違いするな。俺はリーダーが府抜けている状況に嫌気がさしたまでだ」
「ケッ、俺のパーティは俺以外全滅かよ。カリス達も情けねぇなぁ」
「いやー疲れました! あんな強いのとこれから戦っていくんですねー!」
上からゴルム、アドリア、誰か、ショウマ、誰かだ。
ん?
「なんでお前らがいる……?」
「え?」
「リュウ!?」
「はぁ!?」
向こうもようやく気付いたようでそれぞれの反応を返してくる。
「お前らイノシシ倒したのか。随分人数減ったな」
ボスエリアから出てきたのは6人ほどだ。
開始時は30人いたはずなのでそれだけ苦戦したということだろう。
「え、いや、ちょっと。なんでリュウがいんの?」
「そうですよ……まさか倒せたんですか?」
「ああ、苦戦はしたけどな。レイナが居なかったらとっくに死んでるよ」
そう言って背中のレイナを示す。
「えーと、この方は……? 大丈夫なんですか?」
「ああ、俺と一緒にボスエリアに切り離された。今は眠ってるだけだからその内目覚ますと思う」
「変なことしてないですよね? 私が背負います」
「ん? いや、別に構わないぞ? 疲れてんだろ?」
「セクハラで訴えますよ」
「ちょ、ちょっとタンマ。分かったから」
慌ててレイナをそっと下ろす。
セクハラってなんだよ。訴えるってどこにだよ。
「いやーすごいなー。リュウは2人で勝っちゃったのか」
「俺達は中でちょっと手間取ったから出て来るのに時間が掛かったんだが。30人のそっちと出てくるのが一緒ってことはだ」
「はい、人数によってボスのHPも変わるんでしょう」
レイナを背負ったアドリアが断言する。
こういう場合は人数によってHPは増えるが一人当たりの削るHPは少なくなるというパターンか。
効率で言うなら揃う限り30人マックスで挑んだ方が良さそうだ。
「えーっと、それで、どこに行けばいいんでしょうか」
そう言われて初めて周りを見渡す。
ボスエリアを出た場所は全く変わらない広野。
まだこの景色が続くのかと思うとうんざりしてくるが、ジュラス広原とは違うところが一つ。
「あれゴルゴ山だよな」
もう東西南北はサッパリ分からないが、左手にうっすら山が見えていた。
「あ、そうかもしれないですね。良かった。あれを目印にすればここの探索はそこまで手間取らないかもしれないですね」
「どうやら探索する必要があるかも不明だがな」
そう言ったのは少し長めの黒髪の青年だ。
不愛想な顔をしているがかなりのイケメンである。
「えーと……どうしてですか?」
少し緊張した様子でアドリアが問う。
ここに居るってことはこいつもそれなりの実力者なんだろう。
「向こうに村か何かが見える。俺のスキルでギリギリ見える程度だから距離はあるだろうが、戻るよりはマシだ」
俺にはただの地平線に見える方向を指さす。
「へぇ、お前便利なスキル持ってるじゃねぇか。やるな」
「ではそこを目指していくということで。えー、ルークさん、先導お願いします」
「……分かった」
やはりどもりながら言うアドリア。
そんな恐れる必要がある奴なのだろうか。
近くにあるという村を目指して歩を進める。
レイナを背負ったままで戦闘は大丈夫かと考えたがこの付近にモンスターはいないようだ。
今のところはジュラス広原のように迷う仕掛けが用意されていたりもしない。
「あ、見えてきましたね」
5分も歩いたら村が前方に見えてきた。
いや、5分歩いてやっと見える場所を見つけてたルークってのがすごいんだが。
「よっしゃ、俺が一番乗りだー!」
ボフン、と風が爆発してゴルムがすっ飛んで行く。
「アホか……」
ちなみに全力疾走するゴルムの背には[背後転移]を連発したショウマがついて行っている。
アホか。
「そういえばアドリア、そっちはストーリー的なものはあったのか?」
魔神に関して気になりつつも、一度も話題が出なかったので探りを入れてみる。
「あ、そういえばありませんでしたね。もう少し進めないとダメなんでしょうか」
ボスエリアから出てきたときの様子で予想していた通りの答えが返ってきた。
やはりアレはゲームとは関係ない何かか……もしかしたらとんでもないイタズラクエストかもしれないのが何とも言えないが。
「村でのNPCにも話を聞いてみるとしましょう」
後ろでは赤い髪をした少年と青い髪をした青年が並んで歩いている。
青い青年がたまに隣に話しかけるが赤い少年には悉く無視されているようだ。
俺、レイナ、ゴルム、アドリア、ショウマ、ルーク、そしてこの二人の8人。
それが初回のボス討伐成功人数だ。