8月14日梅雨ちゃん飼育日誌5・生と死・その境界
止んだ雨空の下、全てを忘れた彼女は親友を傷つける。
気付いた彼女は死を望む。
人としての尊厳と狂気の狭間。
生と死の境界で、幻の白と紅の雪が降る。
十四日夜半から
『If you would like to be safe and to be, be quiet.
We are angel's shield.
You were come to help. 』
無事で居たいならば、静かにして。私達は「angel's shield」。君を助けに来た。
『angel's shield?』
エンジェルズ シールド?
俺を救ってくれたのは訳すなら、『天使の盾』という一団だった。
政府が作ったその組織は、攫われた子供の救助を基本目的として活動している。ソレに救われた俺は、現実の世界に戻り、日本に帰って戸籍が復活した。
そこで待っていたのは気が狂って何もわからなくなった母親。
表面上変わらず穏やかに見えたが、俺を明らかに蔑むように見る姉、会社の事を人に任せ、愛人と入り浸っている父だった。
親戚関係の奇異の目。
俺はその中で笑い続け、表面上の平和の中で、ある日から姉の執拗な暴力を受けるようになった。お前が攫われたのが悪いのだと、繰り返された。汚い世界で幼かった俺が、どんな事をされたか、どんな事をしたか、だいたいを姉は知っていた。
そして姉は愛しているのは、そして愛せるのは私だけだと繰り返す。そんな気がしてきたから何も言わなかった。その態度に姉の怒りはエスカレートする。俺はどうしていいかわからない。ある時は表情を消し、ある時は笑って見せた。その中で姉に対する愛情と、幼き頃より培ってしまった殺意を実行する力を秤にかける日々が続く。
孤独の中でこれではいけないと、俺の凶暴な部分が暴走する前に、海外留学の形を取る。父は風評被害や親戚関係を気にしたのか、俺が海外の学校に飛ぶのに反対しなかった。
だが三人を殺す算段をもう少しで立てそうだった自分に嫌気がさす。俺にはもう気力がなく、ダラダラと学校で過ごしていた所に現れたのが、篠生 誠だった。
「玲様、ここからは他の人を救うために、生きませんか?」
その組織は合法的に作られてはいたが、非公開組織でもあった。
メンバーは特定の退役軍人で構成され、各種情報をもとにその解放を行う。
「その情報を得る為には『大人』だけでは難しい。だから『囮』が、『子供』が必要だったんです。行き場のない俺は話を聞いて志願しました。銃も使えましたし」
「銃か、物騒と言うか、もう絵空事だな」
「絵空事?」
「架空っていうか、作り事の様だ、と」
「そうですね、そうだといいです。特にうろなに居るとそう思います」
俺は篠生に導かれ、『囮』としてまたタカさんが絵空事と言った、アンダーグラウンドに戻った。
そして篠生を介して、『エンジェルズ シールド』の手引きをした。命を賭けて、潜り込み、幾度かの救出を手掛け、俺は初めて生きている事、他人の命を救う喜びを実感した。
「無事解放された子供の全員に幸せはないと身をもって体験してましたけど、あそこで生きるより、美味い飯は食えますから」
年齢が二十歳を超えても、東洋人は子供に見える。それでも流石に非正規員ではなく、一度軍隊に入り、正規兵として迎えられる話が出た頃。
俺は仲間に裏切られ、作戦の失敗、助けるべき子供は目の前で死に、隊は全滅の憂き目に合い……その失敗はすべて俺のせいとなり……
「おめぇは逃げたのか?」
「裏切ったその人は子供を人質に取られていたんです」
「そいつは、今も生きているのか?」
「いいえ、口封じに殺されました。彼が命も仲間も売って助けようとした子供も、皆死んでしまって、助けるべきだった子供達も亡くなりました。俺だけで、残ったのは俺だけで」
俺は顔を伏せた。
膝が気に入ったらしい梅雨ちゃんに、何事かと見つめられた。美しい緑の瞳はうろなの森を思わせた。その中に輝く光にユキさんを見た。
「賀川の、そいつの泥をかぶったのか?」
「死んでまで自分の子供を助けようとした人ですよ、皆がそれで死んだ怒りはあります。でも俺は彼を責めたくなかった。責められなかった。だって……!」
俺も家族に手を伸ばして欲しかった。そう続けようとして止めた。……だがそれは口にしても仕様もない事だった。出来るだけ冷静に、
「……死んだ人に追い打ちをかけても何にもならないでしょう?」
「だがよ、賀川の」
「ほら、相談されるほどの信用があればとか、俺に力がなかったとか、考えて……だから誤解を解く気もなくて」
「まあ、おめぇの性分だろうが……それから日本に、うろなに住んだのか? で、ずっと実の姉にいびられてたのかよ」
「呼ばれたら応じてました。……情けないですよね? でもそうして痛めつけられる事で、俺の罪が軽くなる気がして。平穏に生きられていても、どこか疼く。それがそうすると忘れられたんです」
とん、と、俺の頭にタカさんの日に焼けた大きな手が載った。
「泣けや。その肩に更なる重石を載せようとしているオレが言えた義理じゃないが」
「泣きませんよ。俺はユキさんを守る、それだけで良いんです」
「うそぉ付け! 本当は、攫いたいんだろう?」
「う、でも、彼女を人柱になんかしたくないです」
「ふんっ、面白くねーやつだな。ま、どちらにしてもうちの娘は簡単にはやらねぇーよ。今日はとにかく飲めや」
「え」
「明日は道場、休んでいいぞ」
ニヤリとタカさんは笑い、俺も笑い返し、杯を空ける。
この後、タカさんに散々飲まされた。明日俺が休みと知っているとはいえ、仕事だったら酒が残って車に乗れそうにないほどだった。
ツマミにと開けた、スルメイカの匂いに梅雨ちゃんは反応していたが、
「辛いからダメだよ」
と言うと、大人しくしている。
たまに電気の線が揺れると、そこに結ばれた貝殻の辺りをじっと見たり、男二人が酒を飲むのを眺めたりしながら、ゆらーりゆらりと機嫌良さそうに尻尾を揺らしていた。
梅雨ちゃんの目には。
彼らを見ながら微笑む女性の姿が見えていた。
……かもしれない。




