観察中です
そっと、ね。
そーーーーーーっと、そーーーーーーっと、そーーーーーーっと。
ふすまを開くと、電気の消えた部屋に賀川さんが寝ています。
目は良いのです。暗くても良く見えます。
それも街灯の光がカーテンの隙間から落ちていて、彼の顔を照らしていました。
お祭りで、あんな事あったからでしょうか?
賀川さん、今日おかしかった気がします。
一度だって笑わなかった。
まるでそれは他人を見るような目で、いつも安心させるような眼差しは全くなくて。とても居心地が悪いのです。
それでも言わなければいけない一言を告げたのです。
でも私緊張して、賀川さんの事「「特別」好きじゃない」なんて言っちゃった。
じゃあ、特別じゃなかったら好きなの? 彼に突っ込まれるかと思ったら、スルーされました。
それも聞き違えれば、好きじゃない中でも別格で「好きではない方」に入るって取れる言い回しをしてしまっていますよね……私。
でも初めに考えた通り「好きじゃない」って言い切ると砂を噛んだような感じがして。彼の事、本当に好きじゃないのか悩んじゃって、何て言っていいかわからなくて、でも言わなきゃって口にしたらこうなったのです。
もう、細かい言葉を深く考えて取らなかった賀川さんに、感謝して良かったのか悪かったのかわかりません。
彼は何も感じない凍った顔のままで、変わらず側に居させてほしい、と。でも私の気持ちはどうでもいいぽかったです。
良いヒトが出来たら歓迎するよって言われた時には、そんな返事が欲しかったのではないって思ってしまって。
私って酷い、自分は「特別好きじゃない」って言っておきながら。
私は賀川さんに何を期待しているんだろう?
じっと背中を見ていたら、最後には息が詰まるほどの目つきを投げられて、咄嗟に退室してしまいました。
そしてだいぶして、暗くなったお部屋に、お水を入れたボトルを机に置きながら、遠目に彼を眺めて観察中。
彼の色は見えません。見えない処か、普通に感じていた優しささえ何処かに置き去りにして。今までが暖かい人なら、今は寒いなんて……生ぬるい表現で、本当に極寒の人です。目だけで人を殺せるのではないのでしょうか。
部屋はエアコンで涼しいのに、零れる彼の汗を拭ってやりたいと思えど、手が出せなくて。苦しげで、調子がとても悪いように見えました。腕を怪我しただけではないのかもしれません。
右手に握りしめた白い物はタオルかと思ったら、小さな白い猫の飾りでした。とても薄茶けて、大きな手に握り潰されて窮屈で可哀想。
でもその手に握られて、遠慮なくそこに居られるのは良いなと思いました。
そんな事を考えていたら、彼が身じろぎするのです。
その時に目が合ったように思い、驚きました。
黒い、黒い真っ黒な瞳、そして一瞬だけ、唇に微笑が乗りました。
ふわりと、自然に。いつも私に向けてくれていた笑みでした。
心配しなくていい、ああ、きっと、今は具合が悪いだけ。
これからの彼との関係はまた考えればいい。そう思い、起こしてしまわぬように私は部屋を出ました。
「暫くは一緒の屋根の下なんだから、また話せるし、剣道大会誘われたし」
そう呟いてから、私はハッとします。
「な、何か恥ずかしい気がする……」
彼とは一緒に小屋で部屋を挟んで寝たアレも、足を焼いてお姫様抱っこされたソレも……キスも思い起こせば全部恥ずかしかったけれど。
出会ってからは一年以上、でも親密になったのはちょうど一か月ほど前から。でも本当に何年も一緒に居るかのような笑みを向けてくれる眩しい人。
「母屋と離れで離れているし、お兄様方もタカおじ様も……えっと、えー……」
混乱しつつ下階に降り、お休みを告げて自室に戻ろうとしたら、タカおじ様と葉子さんが話すのが聞こえます。
「……かりました。気掛けておきますよ」
「すまねえ。でも今までいろんな人生を見聞きしてきたが、アイツの人生はちょっと想像できない悲惨さだ。詳しくは言えないが、家族に恵まれなかったようだ」
「そうなの。本人が知られたくないと思う事を漁る趣味はないけれど。賀川さん、そんなには見えないわ。普通の人よ?」
「ああ、聞いた今でも信じられない。それを普通に装えるヤツの精神力の強さが怖ぇ。それもオレが知っているのは半分にも満たないかもしれない。……しかし現場が忙しい、人が増えている所に済まねえな」
「一人ぐらい口が増え様が私は何も問題ないのよ。だってタカさんが世話焼きな事くらい知ってますから。じゃ、私は休みますよ」
「葉子さん」
「はい?」
「おめぇ、おんまが亡くなって、随分ここに勤めてくれているが、他にいい働き先や良いヒトでも出来たら遠慮なく言えよ」
やや間があって、葉子さんは笑った声で、
「私があの人を忘れる事はないわ。そして食事を作る以外とりえのない私を追い出さず、ココに置いてくれている事に感謝しているの……それとも肩叩きかしら?」
「何をっ! そんな事を言うもんか。この工務店におめぇが居なくなったらまわりゃしねぇよ。ただ、なっ」
「ふふふ。わかってますよ。ムキになる所が可愛い……と、よくあの人が言ってました」
タカおじ様、絶句してる? 葉子さんは面白そうに笑いながら、
「では、タカさん、このまま居させて下さいね」
「おう。頼むぞ」
顔は見えなかったのですが、二人の間には言い知れない絆を感じました。近付くわけでも、離れるわけでもなく、ただ自然とそこにある関係。
いいな、って思いました。
私もいつか、自然と一緒に居られる人が見付かるでしょうか?
葉子さんが出て行く気配、私はそっと部屋に入ります。
「タカおじ様」
「ん、ユキ。賀川の、どうしていた?」
「何だか汗かいて、寝苦しそうでしたけど、起こさない方が良いかと思って。お水置いて来ました」
「そうか、ありがとよ。後から氷枕とタオルでも持って行ってやろう。炎症で熱が出ているのかもしれん」
私が持って行くと言いましたが、夜に男の寝所を何度も入るもんじゃねぇ、と諭されました。
「じゃあ、お願いします。おやすみなさい。あ、これ」
「何だ?」
「今日、掃除の時に見つけたんです。じゃ、お休みなさい」
私はポケットに入れていた封筒を差し出しました。掃除中に見付けた封筒。黄ばんだテープがパリパリと縁についています。
それを受け取ると、タカおじ様が怪訝そうに中身を覗いているのを横目に私は部屋に戻りました。
次で十六日になります。




