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ゆき……一言目がそれかい…………賀川、頑張れ。苦笑
「…………アリ、踏まないで」
「はい?」
水を飲ませてくれたみたい。喉が冷たくて気持ちよかったのです。声がやっと出せると思いました。
ズボンが汚いのもわかっていて私の上半身を起こしてくれている水玉の服の男。悪いけれど彼に私が言い放った言葉はそれでした。
「おめえさん、命の恩人にそりゃないだろう?」
ダークブラウンの変わった服を着たオジサマがそう言ったけれど、私は態度を変えません。
「その子達、私の為に花や木の実をを運んでくれたの。重いでしょうに、ずっとずっと。ありがとうね、ありがとう。もうお帰り、踏まれてしまったら大変だから」
その台詞を聞くと、二人の男達はギョッとした顔になりました。
私の体の周りには山ほどの花びらが散らばっています。
畑で育てているセージ、他に山つつじやアベリア……最大の敵(虫)であるはずなのに、彼らは私を女王アリに仕えるように、私へそれらを運んでくれた。それらは今時期、蜜が吸える花でした。
一生懸命に運んでくれてもそれから吸える蜜はごく僅か。花弁自体も何度か食べたけれど、喉が渇き過ぎて次第に飲み込めなくなりました。
それから重くて何度もと言うわけにはいかなかったのだろうけれど、ヤマモモなどの木の実も時折運んでくれてそれで何とか飢えと渇きを凌ぎました。
だが、男達は私を随分かわいそうな子目線で見ている気がするんです。きっと熱で頭がおかしくなっているのだと思っているのでしょうね。けれど、アリ達が私に優しくしてくれたのは確かでした。
言葉を聞き届けたのか、アリが家から去って行きます。一列ではなく波のように。
「……こりゃあ……どうなってるんだ。あーーもう……俺はお湯を鍋に掛ける。そっから水道管と風呂釜を見て来るから、賀川の、ここは頼む」
残して行かないで、と言う顔をしたけれど、オジサマは鍋に水を汲んだり、小屋の下に仕込んである修理用のパイプなどを見つけたりと慌ただしく動き出します。
賀川さん、いつも配送を頼むお兄さんだと気付いたのはその時でした。持って来てくれた封筒に、目をやって、
「サイン……できるかな?」
「あ、出来なかったら印鑑でも……」
私は差し出された封筒に震える手で筆を取ります。賀川さんはその間に靴を土間に脱いで、洗面器に入った水に、タンスからタオルを出して浸してくれました。
「水はまだ飲める? 辛いなら横になるか?」
伝票だけは自分のポケットに大切そうに入れます。その後コップの水をくれて、何とか飲み込むと、体に染み込むのがわかるほど体の乾きに気付きます。だがたくさん飲めなくて。咳が出て、喉が鳴るのです。
「む、無理しちゃだめだ」
体を床に横たえてくれ、額に冷たいタオルが置かれます。
「ありがとう」
そう言うと、ふいと彼は顔を逸らせたのです。
アリを殺しそうな感じだったのを怒ったから、嫌われたかもしれない。
「よいのさん、その髪と目、本物?」
改めて呼ばれて、作品用の名前で呼ばれている事や、白髪のままなのに気付きます。いつも賀川さんが来る時は髪は染めたり帽子に隠したりしていたから、黒い私しか彼は知らないのでした。
「……気持ち悪いよね」
「いや、自然だと思うって言うか、それの方がしっくりくる……お湯、見てくるから」
お湯が沸いた気配に彼はイソイソと土間へ移動し、風呂場に入ります。
そこにはオジサマが居て、私には聞こえなかったけれど、こんな会話を二人はしていました。
「桶、取って下さい。タカさん、直りそうですか?」
「おお、賀川の。一応点火するし、井戸もやっつけたけど、本気でここに住むなら早いうちに全部やり替えだな。それよりあの嬢ちゃん、どうだ?」
「水も飲んでくれて、少しは良いけど。あの咳からして肺炎とか、ソレでなくても病院に連れて行かないと……」
「ガキで病気でないなら風呂に叩きこんでやるが、女の子だからそう言うわけにもいかねぇ。自分で着替えられればいいがな」
「あ、ゴミ袋あった、後バスタオルに……」
「おい、賀川の!」
「はい?」
「惚れるなよ、あいつはいけねぇ……」
「はぁ、いや、はい」
賀川さんが桶にちょうどいい加減のお湯を入れて持ってきてくれます。台所か風呂場の棚を漁ったのか、ビニール袋も一緒に。
「服は脱いで、これに捨てよう。体を拭いてやりたいけど。自分で出来るか? 汚れたらお湯を替えて来るから」
ここに来て、私はどうしようと思います。
服、ワンピは干す事もできず、部屋のそこで脱ぎ捨てたままシワシワになって乾いていますよ。とにかく何とか脱いで、体を拭きます。何度も何度も、でも文句も言わずに賀川さんがお湯を替えてくれました。
「終わったか? 応急処置は済んだが…………」
着替えて暫くした頃、オジサマの方が戻ってきます。汚いジャージは袋に入れられ外に出され、床は賀川さんが綺麗に拭いてくれました。
窓も開けて空気も入れ替わり、散らばった花弁が風に舞うのです。
私は賀川さんがアトリエの方にある藁ベッドから運んでくれたタオルケットに包まっていましたが、ずるずると起き上がります。彼にこのオジサマが修理を頼んだ『うろな工務店』の社長である事は聞きました。
「無理しなくて……おい……」
「この度はお二人に大変ご迷惑をかけました。ありがとうございます」
そう言って正座をして、深々と頭を下げます。さらさらと白髪が流れて畳に落ちます。
「こりゃあ……」
「ねぇ……」
二人が顔を見合わせています。着ているのがネグリジェだからおかしいでしょうか? それに髪も染めていないし、コンタクトだって入れてない。白髪に赤い目、日本では怖い姿形、でしょう。
「後は自分で何とかします」
「何とかって……嬢ちゃん、おぶってやるから森を出て病院へ行け」
「そうですよ、呼吸がおかしいのわかってる? さっきまで水も飲めなくて、意識を失っていたんだよ?」
私はふるふると首を振ります。
「母が帰って来た時、ここに私が居ないと困るので……ここに居ます」
「書置きでもしておけばいい、ほら、行くぞ。熱も凄いじゃないか、年端も行かねえガキを置いて帰れないだろうがよ」
「もう、高校の年です! 行ってないけど」
「母ちゃん待ってる奴なんかガキに決まっているだろう? ほれ、オヤジの背中が嫌なんだろ? それなら賀川の。おぶってやれ」
「俺ですか? いいですけど」
「そうじゃなくてっ。町に降りたくないんです。出来るだけ、隠れていないと」
「隠れて? 何かから逃げているのか、よいのさんは」
「何から逃げているのかは……母しか知らないんです。でもその母が、一年したら自分で生きる道を探せと消えました」
オジサマはフムと言って、私の顔を覗き込み、
「もう、一年経ったんだろう?」
何でわかったのかわかりません。
でもそう言われて覗き込む力強い瞳が、考えたくない事を考えさせようとするので、頭の芯が冷えるのを感じます。
「お前の母ちゃんはお前を捨てたか、もしくは……」
「母は私を捨てたりなんかしません!」
「なら…………」
「私はここに居ます! 町に、病院になんか行きません! 行ったら、たぶんもうココには……」
「タカさん、興奮させてどうするんですか!」
「でもよ……」
「ありがとうございました! だからもう、私の事は放っておいてっ」
勝手な言い草だとは思います。助けていただいたのだと理解してます。
もうお花をたくさんアリ達が運んでくれていても、手に取る事も億劫で。このまま花に埋もれて死ぬために彼らは棺を用意してくれているのだと思い出していたから。
でもココで町に連れて行かれたら、二度とここに戻してもらえない、それは母の事を諦めるという事で、いや、けしてそうではないのかもしれないけれど、今、ここを出ていく勇気はなくて。
「こら、投げるなっ」
「出てって!」
手当たり次第にモノを投げます。コップに洗面器に、タオルに……
「落ち着いて……」
「出て行って、お願い」
投げるのを止めて、彼らの当惑する顔を見ていると、自然と涙が零れて落ちました。途端にオジサマの方が踵を返しました。
「行くぞ、賀川の!」
怒らせてしまったのでしょう、オジサマが土間に降りて靴を履いて出て行き、賀川さんが頭を下げて、慌ててコップを拾って、土間に降りて水を注いで戻って来てくれました。
「熱を下げる為にも飲んだ方が良いよ。このくらいしか出来なくてごめん。ま、また、来るから」
二人が出ていくと、家が静かになりました。そうすると自分の息がおかしいのがわかります、それを忘れたくて布団をかぶって横になりました。
私が聞こえない家の外で、賀川さんはオジサマを食いつかんばかりの勢いで呼び止めていました。
「待って下さい、今ちょっと良いみたいですけど、あの子放っておいたら絶対ヤバいですって」
「わかっている」
「なら……」
「賀川の、あの子に惚れたな? 綺麗だがな。この世の生き物じゃないだろうあれは。止めておけって言ったのによ」
「なに、呑気に言ってるんですか!」
「今、無理矢理連れていく事は大の大人二人いるんだ、出来なくはない。でも無理に連れて行っても、病院から抜け出して森の中でふらふらになって、そこで死なせる事になるぞ」
「だからって、タカさん」
「病院行きを納得させられる、あの年頃の手合いに慣れた者に来てもらった方が良い。えきすぱーと、ってやつにな。これからのあの子の事を思うなら、任せた方が良いぞ。今から町に帰って呼ぶとなるとちょっと遅いな、いっちょ電話してみるか……」
オジサマは大きなポケットから携帯を取り出し、一本ではあったけれど、森の奥でもアンテナがちゃんと立っている事に感心しながら電話をかけだしたのです。
ここから、『"うろな町の教育を考える会" 業務日誌 』YL様作品、6月17日に繋がります。
清水先生が大好きです。
梅原先生が可愛いです。
お二人にユキをお任せしますので、こちらの連載はここで一度止まります。
次回は6月18日、飛んで6月24日以降をやっていく予定です。
YL様の方でお話、お楽しみください。
では。