第四話:美和子
あぁ…またこの夢なの?
おばぁさん…どうして泣いてるのよ?
私に何を言いたいの…?
そう思いながらも、真夜は黒衣の老婆の肩に手を置いた。
「どうして泣いてるの?」
老婆は真夜を振り向く。その目に涙は無い。
泣いているのは老婆ではなく、真夜なのだ。
「なんで……またなの…?また私が泣いているの…?」
どうしてこんなに苦しいの…?
苦しくて…
苦しくて…
それで涙が出るの…。
でも…
何が苦しいのかがわからない――
「案ずるな」
今度は老婆が真夜の肩に手を置き、真夜の頬に手を添えた。
「時が動き出した。もうすぐだ」
真夜は不思議そうな顔をして老婆を見る。
老婆は白と黒の空を仰ぎ見る。
「もうすぐだ」
誰に起こされるでもなく、真夜は自然と目が覚めた。
時計を見ればまだ起きるには早い時間。まだ思考がはっきりしないままゆっくりベッドから降りた。鏡を見てびっくりした。
顔には泣いた後がしっかり付いていた。
「やだ…目が腫れてる…」
軽いため息と一緒に階段を下りて顔を洗いに洗面所へ向かった。
「あれ…?お母さん?いないの?」
朝食の用意はしてある。毎朝出る味噌汁もある。しかしすっかり冷めていた。
「…お母さん?…二階かしら?」
二階の母親の部屋にも、トイレにも母親はいない。それどころか家中探しても見つけられなかった。
「…お母さんの携帯もここにあるし…いったいどこに――」
真夜はふと庭を覗いてみた。
いた。
真夜と千空を女手一つで育てた母・愛。
庭の一角で何かに祈りを捧げている様だった。
はて?家は無宗教だったはず。と真夜が小首を傾げていると、一瞬庭に光の線が走ったように見えた。
え…っと真夜が驚いて窓を開けるとそれに母・愛が驚いたように真夜を見た。
「真夜?早いのね?まだ6時前じゃない。どうしたの?」
「今ね!今庭に線が!光の線が!!」
興奮気味の真夜に母親は落ち着きはらった笑いを向ける。
「ひかりのせん?早く起きたと思ったら寝ぼけて…。ほら。まだ眠いのよ。もう少し寝てたら?」
「でも!今確かに…」
確かにこの目で、光が走るのを見たのに。すごく綺麗で、力強くて、それでいて優しい薄い緑の光。
「ほら。もう少し寝てなさい?」
母親はそう言いながら真夜の頭を優しく撫でた。
そうされると不思議なもので、真夜に眠気が押し寄せてきた。
「…う…うん。もう少し…ねる…」
真夜が自分の部屋に戻るのを確認した後、愛は低くつぶやいた。
「…こんなの気晴らし程度にしかならないわね…」
あの当時では私が一番だった。でも今じゃきっと自分より格上の術師がたくさんいることだろう。こんなの簡単に解かれてしまうほどの。
「どうしろって言うのよ…どうすればいいのよ…」
せめて、最先端の魔道書が手に入ればまだましなのに、と愛は頭を抱えて座り込んだ。
その一時間後。何事も無かったかのように真夜が降りてきた。その後すぐに千空も続く。
愛も何事も無かったかのように茶碗にご飯を盛る。
「おはよう。二人とも。千空。調子どう?ご飯食べれる?」
「ん。大丈夫!」
千空はそう言うと母親に向かってVサインをおくった。
「真夜?まだ眠いの?」
真夜は何かしっくり来ないような顔をしている。
「ほら!さっさと食べないと時間になっちゃうよ!」
木下家のいつもの朝だった。
当たり前すぎるくらいの
いつもの朝だった。
でも――
「え?休み?風邪?何で!!」
「何でって…そりゃ人だもの…風邪ぐらい引くだろ?」
「だって昨日あんなに元気だったのに!」
千空が問い詰めているのは同じ剣道部の友人で、佐久間美和子と同じクラスの八尋だった。
毎朝美和子と登校時間が合うように出ているのに、今朝は会えなかったので、クラスに行ってみたのだ。しかし美和子がクラスにもいないので、時間のある昼休みにまた覗きに来たのだ。
「あのなー千空〜。佐久間のどこがいいわけ?お前…聞いたぞ。一組の御堂さんフッたそうじゃんか。勿体ねぇ」
千空はちっと舌打ちをした。
「あのなー八尋〜。美和子は譲らんぞ!」
その台詞に八尋はブッと吹き出して慌てて言葉を付け足した。
「ばっ…!そういう意味じゃねぇよ!!御堂みたいなすんごい美人より佐久間を選ぶのは何でかって聞いてんだよ!!」
はーはーと声を荒げる友人にため息をつきつつ、千空は美和子の席に目をやった。いつもならあそこに座って、一人で昼飯を食べてるはずなのに、今日はいない。
「聞いてんのかよ!!」
「んぁ?あぁ。どこって…綺麗なとこかな?」
「はぁ?御堂の方がよっぽど…」
「顔じゃねぇよ。なんていうか…雰囲気?かな?あいつの周りだけすごい綺麗なんだよな〜。空気がもう違う。すごく綺麗なんだ」
そうか?と八尋が言えば千空は鼻で八尋を笑う。
「ふっふっふ…いいぞ八尋君。美和子のよさが分かるのは俺だけでいい。ふっふっふ…」
そのままその場を去ってゆく千空を怪訝に思いながら八尋は自分の席へ戻っていった。
「あら〜?千空。今日は美和子と一緒じゃないの?」
お弁当を持って、真夜と加奈子のいる席へ向かう茜は、珍しく男グループの中にいる千空に声をかけた。
「ん〜。風邪だってさ」
「あ〜風邪だったの?」
「ん?」
「昨日大変だったのよ?佐久間さん何の断りも無く学校からいなくなっちゃって。佐久間さん5組よね?5組総出で放課後探してさ〜。なんだ風邪で帰っちゃってたのか。」
そういい残すと茜はさっさと真夜達の所へ行ってしまった。
「…なぁおい。今の話ー…」
「あぁ。そういやお前も昨日早退したんだったっけ。本当に大変だったみたいだぜ?なー?」
周りにいた男子達も次々うなずく。
「でもよーどんなに具合悪くても勝手に帰るのはまずいよなぁ。」
「一言言ってから帰れって感じだし!」
「だよな〜」
あはは〜と周りが談笑してる中、千空は美和子もそんなことするんだな〜と軽く考えていた。
しかし、美和子は、その後四日間学校へこなかった。
美和子が学校を休んで五日目の放課後。
すっかり日の落ちた帰り道を一人で歩いていた。
そして、美和子と会った。
まるで千空が来るのを待っていたかのように、街灯の下に立っていた。
たった七日でショートだった髪が腰ぐらいまで伸び、顔つきも大人びている。着ている服も黒いスーツでスリットの入った黒のロングスカートをはいている。一般的には見ない、少なくとも千空は一度も見たことの無い服装だった。
久々に会えて駆け寄りたい衝動を千空は押さえ込む。
美和子の何かがおかしい。
「…美和子…だよな?」
「…」
「…風邪大丈夫なのか?その髪どうしたんだ?かつら?」
「…木下君」
「…」
「…ごめん――」
「美和子?」
「ごめんね…」
突然泣き出した美和子に駆け寄ろうとした瞬間、その場から美和子はいなくなった。
千空は呆然とその場に立ち尽くした。