第三話:予感
「木下君。熱は無いけど顔色が悪いから今日はもう帰ったら?授業は?」
「あ〜…五限は数学だから大丈夫です」
「そ?じゃこれ書いたから担任の先生に渡しなさいね。帰る前に保健室寄るのよ」
そういって保険医が渡した紙には『二年二組 木下千空、熱36.7℃顔色悪いので早退させて下さい』と書いてあるものだった。
千空はその紙を担任に渡し、帰り仕度を整えると言われた通り保健室に寄り帰路へついた。
授業中で、誰も千空の姿を見送るものは無いはずだったが、一人千空を見送る姿があった。今の時間には、どのクラスも使わない多目的教室の一角にいるのは。
佐久間 美和子だった。
千空が見えなくなると美和子は後ろを振り向いた。
さっきまでは美和子以外確かに誰もいなかったはずの教室に、今はカンフー映画に出てくるような黒服に身を包んだ、背が高く白に近い金髪が男の腰ぐらいまである20代前半の男が立っていた。
その男と面識があるのだろう。美和子は特に驚くでもなく感情の見えない目でその男と視線を合わせた。
「もういいな?」
教室に響く、感情の無い声。それに美和子はうなずくことで応えた。
男は無言で右手を自分の正面にあげる。
それが合図のように、美和子はまるで誘われるように男の元へ向かって静かに歩み寄った。
「千空?今日は早いわね〜」
千空を出迎えてくれたのは、母親である『木下 愛』少しぽっちゃりとした体系で、しわが目立ち始める四十台後半だ。高校生の子供二人を女手一つで育て上げた女性である。
「違うよ。具合悪いから早退してきたんだよ。吐いちゃってさ〜」
「あら!じゃ部屋行って寝てなさい。後でおかゆもってってあげるから。」
大変大変と、母親はパタパタとキッチンへと姿を消していった。
自分の部屋のベッドに体をあずけてしまえば眠りにつくことなど簡単なことだった。
そして、また夢を見るのであろうという予測も簡単についていた。
最近頻繁に見るあまりにも凄惨な夢。これをまた見るんだろうと意識がうつろになりながらそう思っていた。
モノトーンの世界。
正方形の部屋には家具も水道も何も無い。入り口と思われる扉もしっかりと閉じられ、その近くにはまた、あの見たことの無い動物の屍骸が転がっている。
辺りにを見回してみる。すると屍骸は扉の前だけにあるわけではなかった。よく見れば所々に散らばっている。
入り口から程遠い部屋の角に原型を留めている人の死体が置いてあるのが見える。全身を布で覆い、その体に似つかわしくない大き目の剣をしっかりと抱いている。
と、唐突にあの扉が開いた。
扉が開くやいなや、死体と思っていた体が驚くほど軽やかに起き上がり、剣を構えた。
女性だった。
それも、よく知る顔。
顔がおそらくは返り血なのだろう。汚れていて分かりにくくはなっている。
だが、間違いなく。
「――美和子――」
目を覚ました千空に、母親は苦笑した。
「ずいぶん深く寝てたわね。いっくら呼んでも起きないんだもの。」
母親の方を見ると、冷めたおかゆが机の上にのっていた。
「…かぁ…さん?」
「寝てなさい。最近部活で忙しかったでしょう?疲れが出たのよ。」
母親は冷めたおかゆを持って一階へと降りていった。
「…今のは…?夢?ずいぶん…ファンタジーな…しかも美和子が剣を振り回すなんてな…」
今の夢を思い出して軽く吹き出した。
あの大人しくて、静かな美和子が夢のように顔に血をつけて剣を振り回すなんて、地球がひっくり返ってもありえないことだ。
どっちかと言えば、茜ならやりかねないと想像をめぐらせていった。
ゲームのように、自分は盗賊で勇者、真夜は魔法使い。幼馴染の茜は剣士で加奈子は賢者。そして美和子はヒロインでどこかのお姫様。
魔王から美和子をかっこよく守る自分。
想像していて一人また吹き出した。
「早く明日になんねぇかな〜。美和子…今頃何してんだろ」
窓の外を見ると、満天に輝く星空が見えた。