第二十話:異界(2)
武道館を離れ、グラウンドの一角を目指して走っていたカイトは妙な違和感を感じた。
ちょうど、下駄箱のあった辺りからする微かな違和感。
直感的に言ってしまえば、良い感じはしない。むしろ嫌な感じに近い。
ふと足を止めて、一点を見つめる。
仮に、そこに何がいるかは分からないが、何か生き物がいたとして生きているとは思えない。
正面玄関はその形を留めてはおらず、完全につぶれてしまっている。
二階のベランダがそのまま落下し、入り口すら閉ざされている状態だ。
「気にする必要は無いか…」
そう思うものの、釈然としない何かが残った。
カイトは抱えていた二人をその場に置くと、その違和感のある場所へ向かった。
近づいてみても、見た目にはやはり何も無い。
どこか、人が隠れられるような隙間はないかと屈もうとした時だった。
「カイトー!無事〜?」
その声の方を向くと、リクが木の上から手を振っていた。
「おっ! アオイとミヤコじゃんか。息してんの?」
そう言うと木の上から飛び降り、ミヤコの口に手を当てて喜んでいる。
カイトはため息を漏らすと、リクの方に向かった。
「遊んでないで手伝えよ。二人運ぶのは結構大変だったんだから」
あどけない笑顔を見せるリクにアオイを渡す。
「シャクシが、本部に戻れってさ。」
その言葉にカイトが目を丸くする。
「本部に戻るのか? 候補はどうするんだよ。このままにして死なれでもしたら……」
「オレもそう思ったんだけどさ〜。イシズからシャクシに連絡があって」
リクは意味ありげに自分の倍以上あるカイトを見上げる。
カイトはピクリとその名に反応した。
「……本物なら、簡単には死なない。このまま放って置いて候補数を絞れたら本格的に計画を実行する。だから本部へ戻れ……って」
カイトは無言でミヤコを担ぐ。
自分より大きいアオイを背中に担いだリクは、カイトにささやく。
「シャクシが言うには……慌てて本部に呼び戻すとこみると……」
リクの目に、怪しい光が射す。
「今度こそ、シアが見つかったかも知れないって」
カイトが不適に笑み、リクを見下ろす。
「そういうことなら早く帰らないとな。いつまでもシアに構ってられないしな」
そう言うと、その場を離れようとした。
「あ、そう言えばさ〜。カイトさっきあそこで何してたの?」
そう言うとリクは今や瓦礫の山と化した下駄箱をアオイを支えていて、両腕が塞がっていたため顎で指した。
カイトはさっき感じた方を見つめる。
「……リク。オレがさっき立ってた場所から何か感じるか?」
リクはしばらく見つめていたが、首を軽く振った。
「そっか。ならいい。本部へ戻ろう」
首を傾げるリクをよそに、カイトは近くの木の枝に飛び乗った。
後ろを振り向き、さっきの場所をまた確認する。
「カイトー? 行こうよー」
リクの呼びかけに返事をすると、その場を離れた。
地面に足跡を残さないように、木と木を軽やかに飛び移る。
「なあなあカイト! なーんで親友を使ったんだ? 裏切るのなんて目に見えてたじゃんか。やっぱり逃がすつもりだったんだろっ? オウリには言わないからさ〜教えてよ」
視線は前を向いたまま、気配だけをリクに向けた。
「お前は勘違いをしてるよ。俺はミヤコを逃がすつもりは毛頭無いし、こいつ自身逃げようなんて思っちゃいない。俺はただ、チャンスをやったんだよ」
リクはあどけない顔でカイトを見る。
「このまま、過去の自分の友達を逃がすならイシズからの信用はなくし、自由な仕事は出来なくなる。でも逃がさず仕事を全うしたなら得られる信用は計り知れない」
目の前に迫る太い枝を器用に使って反動をつけ、また木に飛び移る。
自分が抱えているミヤコを軽く見ると、視線をリクに移した。
「何かトラブルがあったらしいが、こいつは自分の仕事を全うしただろう? 武道館への誘導は失敗したが、校舎からは出さなかった。まぁこの崩壊で生きてるとも限らないけど。でもこれでミヤコは信用を得た」
両腕が塞がっているリクの視界から木が消えた。
近場に飛び移れる枝が無いことを確認すると、リクは仕込んでおいたワイヤーを遠くにある枝に絡ませ、別の枝へ飛び移る。
「ふ〜ん。でもなんで裏切らないって思ったのさ」
ふっと笑うカイトにリクは不思議そうな顔をする。
カイトは木に飛び移りながら呟くように言う。
「こいつにも契約があるからな」
「カイ――?カイト! あれ!!」
突如リクが足を止め、指さした先にいたのは――
「千空!! 千空起きろ!!」
妙にくらくらする頭で、声の方を向いた。
視界がはっきりしないが、声を聞く限りは八尋だろう。
「良かった…気がついたか〜。お前腕怪我してるからな。あんま動かすなよ! 日下! 千空は大丈夫だ! そっちは?」
日下がいるであろう方向からは何の返事も無い。
八尋は千空を起こし、柱へ寄りかからせると日下のほうへ走っていった。
ようやく、焦点が定まってきた千空の目に飛び込んできた光景は目を疑うものだった。
あの地震のせいだろう。武道館の天井は落ち、青く澄んだ空が見える。だが視線を下に下げれば現実離れした現実。
ついさっきまで一緒に剣道をしていた仲間の死体の数々。
中には生きているのだろうか。必死に胸を上下させ息をしているが尋常ではない血が流れ出てそこに池を作っている。
手当てを試みたのだろう。胸の辺りには手ぬぐいが巻かれているが、それも真っ赤に染まっていた。その隣には、片腕に木片を当てて手ぬぐいで固定された後輩が必死に呼びかけをしていた。
視線を横にずらせば、片腕が無い後輩、下半身が照明に潰され身動きの取れない友人の姿。その周りに集まっている無事だった部員が必死に照明をどかそうと試みたり、友人の手をとって泣きじゃくったりしている。
そんな光景を見ていると、日下の方へ向かった八尋の声が響き出した。
そちらの方へ目を向ければ、日下と八尋に見守られる一人の女性。
「希美…!!! 希美―――!!!! 目を開けろ……希美……!!」
「俺が……見つけたときには…もう。……後は俺がやっとくから千葉は妹の側にいてやれよ」
そう言うと日下は奥へ入っていった。
後には、八尋の泣き声と、それにつられたのか所々からすすり泣く声が響いていた。
千空はしばらく呆然と自分の腕に巻かれた手ぬぐいを撫でながら、自身の双子の姉である真夜を想った。
病院にいるはずだからきっと怪我をしても治療してもらえるだろう。母も一緒にいる。きっと大丈夫。
そう自分に言い聞かせ、体を起き上がらせまわりを見回した。
「……あれ…?」
ここは、高校の付属の武道館のはずだ。
そして、地震が起きて、こんな事態になってるはずだ。
なのに、ここはどこだ?
武道館の周りには森など無かったはずだ。
住宅地の真ん中にある高校だ。
木自体そもそもこんなにも生えてはいなかったはず。
それなのに。
どう見ても外は森だ。
それも、学校で習ったような原生林のようにどの木も軽く樹齢300年越えをしてそうなものばかり。
「―――ここは……どこだ?」
山脈の中でも一際高い山に、洞窟が一つ。
中には周りを結界に守られた巨大な氷。
その近くに、十二単に似た服を着た女性がたたずんでいる。
氷を眺めていた女性が、冷やりとした汗を掻いた。
「……胎動が―――目覚めるの?」
そう語りかけた先には、巨大な氷。
その氷の中にいる一人の男。
髪は特徴的な白。フワフワとしたその髪が揺れた気がした。
覚めることのない目がゆっくっりと開かれる。
「――ディアス――」
女性は息を呑んだ。