第十九話:異界(1)
瓦礫と化した校舎を身軽に歩き、たまに立ち止まっては辺りを見回す。
黒のスーツに似た服を着た女性をかばったのだろう。しっかりと抱いたまま気を失っているミヤコを見つけると、その場に駆け寄った。
ミヤコもミヤコにかばわれた女性――アオイも、顔が真っ青ではあったが怪我らしい怪我をしているようには見えない。
ホッと肩を撫で下ろすと、二人を担いでその場を離れようとした。
だが、一瞬ためらうと武道館があるであろう場所へ体の向きを変え、軽やかに走っていった。
武道館への道すがら、辺りを見回すが絶望的な光景が広がるばかりだ。
出来るだけ瓦礫を足の踏み場に選んで走るが、瓦礫よりも人の肉片の方が多いように感じる。
血液に滑りそうになり、冷や汗をかいた。
その血液の元を辿れば、頭から白くまだ痙攣する脳が露見している女が、眼球をビクビクと動かしている。
視線をそらした所で、目に入るのはありえない方向に曲がった体を頭が半分に欠けた男が物悲しげに空を見つめている光景。
下手な戦争よりも凄惨な光景だと思う。
即死ならまだよかったろう。
中途半端に助かった命が憎く感じるだろう。痛くて、苦しくて、呻いても嘆いても、助けてくれる人はいない。助かることを諦めても、楽に殺してくれる人もいない。
深いため息を漏らしながら、武道館へ向けてまた走り出した。
武道館もその姿は保たれてはいなかった。
屋根は落ち、電球や窓のガラスがあたりに散らばり所々に血痕が見て取れる。
だが、ここはまだマシなようだった。
慌てて外に出たのだろう。長身の男や女数人は外に出て、天井の下敷きになるのを免れていて、ほぼ無傷だった。
視線を武道館内に移すと、天井が弧を描いていることが分かった。
軽く考えるようにすると、ミヤコとアオイを担いだまま武道館の内部の方へ入っていった。
武道館内部は、外観の崩れ具合から比べると、柱のしっかりしているところは建物の形を保っていた。
そんないくつかの柱の一つに目を凝らした。
――いた。
この崩壊の中、運よく生き残るとは。
周りに散らばるガラス片に気をつけながら、近寄った。
外見は何か大きな怪我を負ったようには見えないが、腕に木片が刺さっている。その木片も簡単に抜けそうだ。
頭には剣道で着ける面をかぶっているのでよくは分からない。
その面をゆっくり剥いで、無傷を確認した。
――やっぱり生きていたか。
なぜか、この男だけは絶対に生きているという確信があった。
ミヤコが危険を冒してまで会いに行った、この男が気になって仕方が無い。
男の顔を、凝視しているうちに気がついたのだろう。まだはっきりしない意識の中、目だけが自分を見つめる人物を探していた。
「生きてたと思ったよ」
今、話しかけてもきっと聞こえてはいないだろう。
「お前はミヤコのなんなんだ?」
聞いたところで返答なんて期待してはいない。
「……とにかく。生き残ることだ。この世界で」
うつろな目が、視線を絡め取った。
「……最後に一言だけ」
意識の戻りつつある目を直視した。
「――――」
千空は自分の腕に激痛を感じていた。
その痛みで、目が覚めた。
まだ、はっきりしない意識の中、何が起こったのかと周りを見回した。
まだ、体中が痛くて起き上がることもままならない。
うつ伏せになったまま、あまりの痛みに唸っていると、上から男の声がした。
はっきりしない頭では、男が何を話しているか全くわからない。
千空は、ただただ声の人物を目だけで探した。
「――生きることだ。この世界で」
ようやく声の主を見つけた。
長髪金髪で、かなり整った顔をしていたと思う。
だが、男よりも千空の目を奪ったものは、金髪の男――カイトが抱えていた女性。
――美和子……?
見知った顔。
――そいつを……どうするつもりだ……?
名を呼びたいのに、うめき声しかでない。
体の自由が利かず、カイトを下からただ見ることしか出来ない。
「……最後に一言だけ」
目の前の男は、千空にきびすを返しながら言った。
「ミヤコはお前にはやらないよ。木下 千空」
男は、そのまま歩いてその場から去っていった。
千空はその言葉の意味を理解する前に、意識を再び失った。