第十七話:今日(6)
真夜達は、校内でも人気のあったアイスクリーム屋に向かおうと一階へ降りるために階段に足をかけるところだった。
時刻は4時50分。
真夜は、唐突に足を止めた加奈子と茜に目を目を向けた。
加奈子も茜も一点を見つめている。
二人の見つめる先に目を向けようとした時だった。
先に動いたのは茜だった。
無言で真夜の腕を慢心の力を込めて引き、来た方向を戻るように素早く体の向きを変えながら加奈子に向かって叫んだ。
「走って!」
加奈子は茜の声に金縛りにでもあったかようだった体が開放され、茜の後に続いて走り出した。
だが、その足はすぐ止まる。
じりじりと後ずさりする茜の後ろに、まるで姿を隠されるようにいた真夜は、茜の視線の先にいる人物に目を奪われた。
「あ…えぇ…??」
自分の弟が必死になって探していた人物。
何故ここに?
一度はここからその存在自体までもが消えてしまっていたのに。
真夜の目を奪った人物は、真夜に一瞥すると静かに口を開いた。
「…どこに行くんですか?そっちじゃないでしょう。階段を下りたら下駄箱ですよ…」
後ろで一つにまとめた特徴ある長い黒髪が揺れている。
廊下の窓から差し込む夕日に照らされた顔は少し、寂しげにも悲しげにも見えるし、何も感情を抱いていないようにも見える。
茜は喘ぐ様にしながら必死に言葉を探していた。
そんな茜の横から加奈子が必死に冷静さを保ちながら、長いスリットの入った黒のロングスカートを風でなびかせ、こちらを表情一つ変えずに見つめている人物と対峙した。
「…無駄な言い訳は通じないと思うし、相手があなただから言うわ。どうか見逃して。このままここにいたら、あなた達の言うあちらへの道が開いてしまうのでしょう?…真夜は渡せないわ」
真夜は思わず加奈子の顔を見つめた。
唐突に出てきた自分の名前。
そして、千空の話をする時にしか登場しなかった今目の前にいる人物と話なれた様子で話しかける加奈子。
「…加奈子?…どういう…知り合いだったの?佐久間さんと」
真夜の言葉に、茜も加奈子も真夜の顔を見れない。
真夜は答えをくれない二人から目の前にいる佐久間美和子に視線を移した。
たった数日で見た目が変わった美和子を目の前に、真夜は心中穏やかではなかった。
そんな真夜に美和子は抑揚の無い声で一言
「申し訳ないんですけど佐久間じゃないんです。今はミヤコ。ただのミヤコです」
それだけ言うと、視線を加奈子に移す。
「申し訳ないんですけど、見逃すことは出来ないんです。私も、試されているのであなた達を逃がすと立場が危うくなるんです。言うなら、今ここであなた達を向こうへ責任もって連れて行くことが、信用を得ることに繋がるんですよ」
加奈子は無意識に自分の握る手に力を込めた。
「自分の立場を守るためだけに同じ学校に通う仲間を売るというの?」
「私はあなた達を知りません。ここにいる時は話したことも無かったはずです。それでも仲間と言うのは都合が良すぎるんじゃないですか」
「私達は――真夜は、千空の双子の姉なのよ?どうなってもいいと言うの?」
「ちあき?誰ですか。それ。全く関係ないです」
次の言葉が全く出てこなかった。
加奈子はただ美和子――いや、ミヤコを侮蔑にも似た表情で見つめるだけだ。
加奈子だけではない。茜もまた加奈子同様、同情のかけらもない言葉を話す人をただ見ていた。
と、ミヤコは窓の外を見る。
「いいんですか?」
視線を加奈子と茜に移し、校庭をゆび指しながら言う。
「道、開く前にここを逃げたいんでしょう?」
その言葉に、加奈子が慌てて腕時計を見る。
その時刻
4時59分
血の気が失せた気がした。
「茜!時間が!早く…」
軽く舌打ちをもらすと、一層強い力で真夜の腕を引き、階段を走る。
その背後から無情な声がかかる。
「残念。もう少し早くここから出ていれば間に合ったかもしれないですね」
茜はとにかく走っていた。
階段を降り、出入り口である下駄箱まで全力で、真夜の手を引きながら。
出口まであと少し。
あとちょっと。
もう少しで手がかかる…
その時だった。
立っていられないほどの衝撃。
地震かと思うほどに激しく揺れる校舎。
近くにある無数にある下駄箱から、靴が地面に落下する。
しっかりと固定されているはずの下駄箱も、激しく揺れている。
そんな中でも茜は真夜の手を離さなかった。
手を握ったまま、地面を四つんばいになって進もうとする。
だが、目の前に人が立ちはだかる。
ミヤコだった。
「私と話なんてしている場合じゃなかったですね。話し合いなんてしないで一人を囮に使って私を引き付けて、もう一人が木下さんを連れて逃げる…」
ミヤコは申し訳なさそうに顔をうっすらと曇らせる。
「仲良しこよしでは、この先生きていけませんよ。この経験を覚えておいた方がいいですよ。きっと、この後何度も似たような場面に遭遇すると思いますから」
茜は憎憎しげにミヤコを睨みつける。
「…くっそ…」
茜が悔しそうに地面を握り締める。
「…あなた達は何をしたいのか…したかったのか。これも覚えておいた方がいいですよ。向こうへ行った後…何故木下さんを守りたいのか…それが分からなくなることもきっとあるでしょうから。その時に今の気持ちを覚えているときっと役立ちますよ」
茜と加奈子が不思議そうにミヤコを見たときだった。
今までとは違った揺れを感じた。
ミヤコが外に目をやると、いつの間にか外には闇が広がっていて、だがただそれだけで特に何もない。
だがミヤコには何か見えたのだろう。
明らかに焦っている。
「――まさか…何かあったのか…?」
まさか。
いまさら何か起こるなんてありえない。
方向も
魔力の量も
質も
何よりコントロールは自分が完全に制御したはずだ。
「…魔力の暴走…?」
だが暴走するほどの魔力が…
いったい
どこに――?
揺れはどんどん激しくなり、ミヤコも地面に膝をつき、片手で壁に寄りかかる。
こうなると、もう体の自由は利かない。
天井からはぱらぱらと塵が降り、壁には亀裂が入り崩れ出した。
「…茜…まずいわ!ここ一階なのよ…校舎に潰されてしまうわ!」
そうは言うものの、もはや動くこともままならないこの揺れの中ではどうしようもない。
真夜を自分の腕の中に入れ、右手は加奈子と繋いだ。
とにかく、道が開いてしまったのなら、三人離れ離れになることは避けなければならなかった。
「…加奈子…どうしよう?」
加奈子はハッとしたように、ミヤコのほうを見た。
「真夜が必要なら助け……って…」
今さっきまでいた場所に、すでにミヤコの姿は無かった。
「いない!?どこ行きやがった?こんな時に〜〜 !!」
慌てたように加奈子は辺りを見回した。
「…なにか…上に守るものがないと…」
「茜!加奈子!危ない!」
真夜は二人の腰に抱きつくとそのまま力任せに二人を引っ張った。
その直後に落下してきたコンクリートの塊。
唖然としている暇はもう無かった。
崩壊が始まったのだ。