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新しい涙






「うーん……。“聖気”が使えるようになる伝説の魔法薬みたいなものは無いの?」


「イ、イザベル様! あ、あまり薬品棚を引っ掻き回されては困ります!」


「あら。別にいいでしょう? 減るものではないし」


 夢だろうか。淡い光景が見える。宮廷の工房だ。

 イザベル様と父が、わちゃわちゃと言い合っている。


「瓶を落として割ったりしては危ないのです! 工房内でお怪我などされては、私は公爵様に顔向けできませんゆえ……!」


「大丈夫よ。父上はそのようなことでは怒らないわ」


「その脚立の上からイザベル様が落ちて怪我をすれば、私の首が飛んでしまいます!」


 遺跡調査をする冒険者にでもなったつもりなのか。まだ10歳頃のイザベル様が脚立に昇って、大型の薬棚に並んだ魔法薬や触媒を珍しそうに、探るように観察していた。


 一方で、脚立の下でアワアワとしている父は、イザベル様が足を滑らせて落ちてきても自分が下敷きになれるよう、真剣にポジションを調整している様子だった。


 まだ錬金術士見習いだった頃の私が、工房でよく見た景色だ。懐かしい景色だ。


「ねぇ、ユリカ」


 脚立の上から、イザベル様が無邪気に私を見下ろしてくる。


「ユリカは、この薬棚に並んでいる魔法薬のこと、全部分かるの?」


「え、ぁ、は、はい。薬の効果や、主な調合例などは覚えました」


 作業台の上に広げた触媒をすり潰したり、煮込んだりと作業をしていた私は、振り返りながらイザベル様に応じた。


 今にして思えば不敬な態度だったかもしれないが、イザベル様は気にしたふうでもなく、「ふぅん」と何度か頷いていた。


「そっか……。私と違って、ユリカは凄いわね」


 当時のイザベル様は、自分が“聖気”を扱えないことを気にしているふうだった。


 公爵家は中央教会に大きな影響力を持ち、いずれはイザベル様も教会内部に立場を持つことになると言われていた。


 その際にはやはり神聖法術を修めている方が公爵家としても、イザベル様の有能さをアピールできて望ましいのだろう。だが、神聖法術を編むには“聖気”が必要だった。


 そしてイザベル様は、生まれつき“聖気”を操れない体質だったらしい。


「やっぱりユリカも、宮廷錬金術士を目指しているの?」


 あの頃の私は、イザベル様の、あの寂しげに羨むような表情には気付けなかった。


 努力ではどうにもならない体質に対し、イザベル様は幼いながらも諦念の覚悟をしていたのだろう。


 一歩の私も“聖術”は扱えなかったが、魔力を操ることは得意だった。生まれながらに備わっていた魔力量も多く、恵まれていたのだ。


「はい! 父さんに負けないぐらい、立派な錬金術士なります!」


 無邪気に私がそう答えたとき、父さんは嬉しそうに顔を綻ばせかけて、慌てて「ウォッホン!!」と威厳を取り繕うような咳払いをした。


「いいか、ユリカよ。錬金術士への道は、そう簡単なものではないぞ?」


 嬉しさを誤魔化すためか。厳めしい表情で苦労顔を作った父は、わざとらしく声を低くしてみせた。普段から優しい父には、全然似合っていなかった。


「でもきっと、ユリカなら宮廷錬金士になれるわ! 私の友達なんだもの!」


 健気なイザベル様が、私のことを友人として応援してくれた。公爵令嬢様からの激励だった。振り返ってみれば、本当に光栄なことだ。


「錬金術士になったら、きっと私のことも助けてね。ユリカ」


 温かな言葉だった。今でも嬉しく思う。夢の中の幼い私が、イザベル様の可憐な笑みを見上げている。そこで目が覚めた。




「んはっ……!?」


 いつかのように変な声を洩らしながら、私はガバッ!と飛び起きた。


「おぁっ……!?」


 直後に激痛が走る。背中と右脇腹、右の腰だ。

 私は起こしたはずの身体を倒してしまった。


 脳天まで痺れるような痛みの余韻に、ちょっと涙目になってから、自分がベッドの上で寝ていたことに気付く。


 私、い、生きてる……?


(……というか、此処は?)


 小ぢんまりした部屋だった。清潔感のある雰囲気。ベッドの傍に窓が一つ。隅には魔法薬の薬瓶が並んでいる。壁や床の質素な質感から、神殿の一室だろうか。


 長袖の被術衣に、手袋――。私の傷に治癒施術を行ってくれた人が、気を遣って着せてくれたのだろう。


(……穢いものを見せちゃって、申し訳ないな)


 ベッドから天井を見上げた私は、小さく息をつく。ふわっと風が吹きこんできた。カーテンが揺れている。差し込む陽射しが、ベッドの隅に静かに溜まっていた。


 遠くからは、金槌で何かを叩く音、何かを掘るような音、重たいものを崩す音が聞こえる。力強く弾む掛け声。軽快で誠実な、労働のリズム。


(あぁ、そうか。この町はヴァルグ様たちに守られたんだ)


 外から聞こえてくる町の音と気配。そこにはもう、邪教徒とワーウルフ・ゾンビに脅かされているという緊張と恐怖、焦燥が消えているのを感じた。


(よかった……)


 そう思い掛けて、ハッとした。アルの姿が浮かぶ。


 彼女は大丈夫だったのだろうか? 彼女の家族は――?


 確かめないと。全身に鳴り響くような痛みを堪えながら、私がゆっくりと身体を起こしたときだった。


 そっと、扉が開いた。


 ノックが無かったのは、私が意識を取り戻していないことを想定してのことだろう。或いは、無理に私を起こさないようにという配慮のためか。


「……っ! 目が覚めたか!」


 静かに部屋に入ってきたのは、軽装服のヴァルグ様だった。私が起きていることに気付くなり、ベッドに駆け寄ってきてくれる。


「あの、助けて頂いて――」


 私はベッドから降りようとしたが、「そんなことはいい」と低い声に制されてしまう。


「意識や記憶に、混濁は無いか? 傷の痛みは?」


 ベッドの傍に立ったヴァルグ様の声は、尋問のように鋭いが威圧感はない。私のことを心配してくれていることが伝わってくる。


「目を覚ましたばかりですが、意識はハッキリしていますし、記憶にも問題は無いと思います。あの……」


「む。どうした?」


「私と共にいたアルという少女と、彼女の家族が――」


「あぁ。それなら心配は要らん。無事だ。既に家に戻っている」


「そう……、ですか」


 瞑目した私は全身の力を抜きながら、息を吐き出す。家族を探していたアルの、あの怯えた表情が脳裏にチラつく。彼女が家族と再会できて、本当によかった。


 ようやくの安堵を味わおうとしたとき、背中と腰にズキズキッ!と痛みが走った。


「うはぅ……!?」


 ヴァルグ様の前で変な声を洩らしながら、ベッドの上で身体を硬直させてしまう。


 だが今は、恥ずかしさよりも痛みが勝った。顔を顰めたままの私は、ぷるぷると身体を震わせてしまう。ぁ痛たたたた……。


「そんな状態の自分よりも、町の少女のことを心配するとは」


 ヴァルグ様はやれやれといった風に腕を組んだ。


「やはり、まだ痛むか?」


「は、はいぃ……。背中と脇腹に、まだ痛みが残っています」


「大きな負傷だったからな」


 眉間に皺を刻んだヴァルグ様が、申し訳なさそうに声のトーンを下げた。


「もっと早く助けに入ることができればよかったんだが……」


「い、いえ! そのようなことは、決して!」


 私は反射的に、ベッドに寝たまま慌てて手を振った。その拍子にまたズキズキズキィッ!ときて、「んんひっ!?」と声を裏返しつつも言葉を繋いだ。


「わ、私が生きているのは、ヴァルグ様のおかげです。感謝しております」


「……いや、感謝されるのは早いかもしれんぞ。アリサ嬢。むしろ俺は、嫌悪の対象になるかもしれん」


 ヴァルグが一瞬だけ目を伏せて、扉を一瞥した。部屋の外に、誰の気配も無いことを確認したのだろう。


「気を失った貴女に、魔法薬による応急処置を施したのは俺だ。その際に――」


 眉間に皺を寄せるヴァルグ様が、申し訳なさそうに言葉を切った。そのあとを引き受けるつもりで、私は首を振った。


「いえ……。助けて頂いたうえ、忌まわしいものをお見せしてしまうことになって、重ね重ね申し訳ありません」


「……謝らなくてもいい。貴女は優秀な魔法薬を提供してくれただけでなく、身を挺して一人の少女を守ったのだ。町の住人たちも、貴女には感謝している」


 むすっとした顔になったヴァルグ様は、周囲に人の気配がないことを確かめるように、再び扉の方を一瞥した。それから、私だけに聞こえる程度に声を潜める。


「本格的に貴女に治癒魔法を施したのは、女性神官が一人、女性医術士が一人、その手伝いに、女性看護士が二人」


 ヴァルグ様が言わんとすることを何となく察して、私は頷く。


「私の服を着替えさせてくれたり、手袋を用意して下さったのも」


「そうだ。貴女の治癒を担当した、この4人だ。……既に口止めも頼んである」


 私はそもそも大罪人として処刑されたことになっている。その罪人と同じく呪紋を帯びた者が目撃されたとあっては、領主であるヴァルグ様も見過ごせない。


 証拠や証言の隠滅処理に、ヴァルグ様が神経を尖らせるのも理解できた。


 いや、厳密に言えば、もう一人いるかもしれんが……。そうヴァルグ様が零して、口を噤んで振り返った。扉の向こうに気配。私も目を向ける。


「おっ! 意識が戻ったのかい」


 そっと開かれた扉。入ってきたのはクゼル様だった。


「顔色も良さそうだねぇ。ちょうどよかった。ほら。アリサ嬢が目を覚ましたよ」


 クゼル様に促されて入室してきたのは、緊張した様子のアルだった。


「あ……っ」


 最初は沈痛な面持ちだったアルは、私がベッドの上に身体を起こしているのを見つけて、ぱっと表情を明るくした。


「アルちゃんはここ数日、アリサ嬢の様子を心配してくれてねぇ。こうやって顔を見に通ってたんだよ」と、飄々としたクゼル様が説明してくれる。


「れ、錬金術士様……! 意識が戻られたのですね!」


 ベッドに駆け寄ってくるアルのために、ヴァルグ様はそっと場所を譲った。


 領主貴族であるヴァルグ様に頭を下げることはおろか、挨拶も見向きもしないアルの無礼については、この場では不問にしてくれるようだ。


 むすりとした態度のヴァルグ様だが、やはり優しいひとなのだろうと思う。


「心配をかけてしまったみたいね。アル」


 私もアルの元気そうな姿を見て、自然と笑みが零れた。喜びと安堵を実感しようとしたとき、アルに抱き着かれた。その軽い衝撃でさえ傷に響いた。


「はぉぅ……ッ!?」


 今日で何度目だろうか。変な声を漏らす私を横目で見て、ヴァルグ様とクゼル様がちょっと心配そうな顔をしているが、敢えて気付かないフリをした。


「よ、よかったです……! ぅぅ、ほ、ほんとうに……!」


 見る見るうちにアルの表情がくしゃくしゃになって、泣き顔に変わっていく。快活で明るい彼女の声にも、涙の潤みが満ちていった。


「錬金、じゅ、術……、士様が、し、しっ、死……ん、じゃったら、と、思ったら、わ、わたし……」


 このとき私は、胸を強く打たれるのを感じた。


 泣いているアルの姿と涙声が、いつかの私自身と重なったのだ。


 私を庇ってナイフで刺され、今にも命を終えようとしている父に縋りながら、私も顔をぐちゃぐちゃにして泣いていたはずだった。


 死んでいく父の身体の重み、消えていく父の体温と死の感触が、肌に残った痣のように蘇った。そして頭に響いてくるのは、あの宮廷貴族、諸卿達の声。


『忌々しいグランハース家の生き残りめ』

『卑賎な血は宮廷には要らぬ』

『まったく。父と共に死ねばよかったものを』

『しかし、あの娘。……呪い持ちですゆえ』

『えぇ。いずれ、近いうちに死ぬはずです』


 ……そうだ。私は生きていることを望まれていなかった。


 私は、死を望まれていた。破滅を望まれて濡れ衣を着せられた。


 何らかの悪意と謀略の中で私は、ロレンス殿下を毒殺しようとした大罪人に仕立て上げられ、表向きは処刑されたのだ。


 父の名誉も誇りも、汚されて壊れてしまった。私は必死に宮廷で生きたが、何も守れず、何も残すことができなかった。


 だが、そんな私が生きていることを、アルは涙を流すほどに望んでくれているのだ。


「あ、ぁ。ぁ。い、生き、て下……さって、よ、よかっ……ぁ。ぁあ」


 私の腕の中で泣きじゃくるアルの声は、私自身でも手が届かないような心の深いところを揺さぶった。


 多くのものを一度に奪い去られた喪失感によって、王都を離れてからの私の心は、今まで干乾びたように麻痺し続けていた。だが、濁りけのないアルの体温と涙が、私の心を温め直してくれたのかもしれない。


「ぁ、アル……」


 そう呟いた私の声も、アルの泣き声に引き摺られるように震えた。頭の後ろの方が痺れて、しゃっくりが出た。鼻を奥がツンとする。唇と喉が揺れて言葉が出ない。


「あぁ……、私は……」


 ただ、呻き声だけが漏れた。胸がギシギシと軋んで、何かがせり上がってくる。身体が震えてきた。必死に洟を啜って歯を食いしばる私を見上げたアルが、心配そうに聞いてくれる。


「錬金術士さま、ど、どこか、ぃ、痛いのですか?」


「ぁ、ち、違う、の……。アル、ご、ごめんな、さ……」


 アルの素朴な優しさに触れて、もう限界だった。


「私は、だ、だいじょ……ぅぅう、う、うう、ぅ、あ、ああ……!」


 傷の痛みと、自分が失ったものの大きさ、本来の人生を奪われた無力感、その実感に伴う悲しみ、後悔、父への申し訳なさ――。


“はい! 父さんに負けないぐらい、立派な錬金術士なります!”


 幼く無邪気な私の声が、遠くで響いている気がした。


“錬金術士になったら、きっと私のことも助けてね。ユリカ”


 優しいイザベル様の声と、父の笑みが過った。もう決して辿り着けず、取り戻すことのできない景色であり、私の人生の残骸だった。


「あ、あ。あ、ぁ……あ。ああ。ああ…ぁ…ああ」


 あらゆる感情が胸に殺到して突き上げ、言葉の形を成さずに溢れた。


 ヴァルグ様とクゼル様が傍に居ても、気にする余裕など全く無かった。取り繕うことができない。自分自身がバラバラになってしまいそうな、呼吸を奪われるほどの嗚咽だった。


「ぅああ……。あ。あ。あ。あ、あ、あ、あ、あ……。あぁああ」


 私は、ほとんど縋りつくようにアルを抱き竦めた。その小さなぬくもりが、壊れそうになっている私を繋ぎ止めてくれているのを感じた。


「ああ。あ、あ、ああ。あ、ああ。あー。あー。あー……――」


 処刑場に埋めてきた私の内部が、心が、私の身体に追い付いてきたのかもしれない。新しい涙が、次から次へと零れて止まらなかった。


 アルの御蔭で私は、ようやく自分自身に向けて泣くことができた。









第15話まで読んで下さり、ありがとうございます!



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