第三十話 模倣される未来
夜の街は、雨上がりのあと独特の光を持つ。
アスファルトが薄く水を含み、街灯と信号の色を引き延ばしていた。赤は長く、白は滲み、青は硬い。足元の反射がもう一つの都市を作っている。
灯は歩きながら、その反射を見ないようにしていた。
反射面は未来が出やすい。
ガラス、水面、金属、鏡――光を返す場所は、観測の“入口”になることがある。理由は分からない。ただ経験的にそうだった。
東堂から送られてきた位置情報は、駅から少し離れた雑居ビルを指している。
未解決事件ではない。
未発生事件だ。
だが放置できない理由があった。
「絵が出回っています」
電話口で東堂はそう言った。
「私の?」
「君の“風”の絵だ」
その言い方が引っかかった。
本人の絵ではないが、似ているという意味だ。
雑居ビルの三階。
小さなギャラリースペースだった。
白い壁。仮設照明。簡易パネル。
展示というより、試験的公開に近い空間。
灯は入口で足を止めた。
中に入る前から分かる。
これは良くない空気だ。
未来が“商品”として並べられているときの圧力。
「入るか」
東堂が横で言う。
「入ります。ただし、私は中央に行きません」
「分かった」
壁に掛かっていたのは、スケッチだった。
鉛筆画。
人物の横顔。
振り向きかけの首。
背後のガラス破片。
灯の呼吸が止まる。
自分が描いた事故未来と、構図が酷似していた。
だが違う。
線の“呼吸”がない。
形だけをなぞった線。
「……模写です」
「やはり分かるか」
「はい。未来から描いた線じゃない」
観察から描いた線だ。
未来描画には特有の圧がある。
この絵にはそれがない。
だが問題は別にあった。
横の解説プレート。
【事故予測ドローイング】
「予測を名乗っています」
「危険だな」
「はい」
灯は壁の絵を見続けた。
視線を切れない。
模写でも、構図が一致すると対象認識が誘発される。
描画圧が立ち上がる。
「……来ます」
東堂は黙って小型メモ帳を差し出した。
ペン先が紙に触れた瞬間、
展示室のざわめきが遠のいた。
線が走る。
展示壁。
同じスケッチ。
その前に立つ観客。
スマートフォン。
撮影。
さらに次のカット。
階段。
押し合い。
転落。
照明破損。
ガラス。
連鎖。
これは単発事故ではない。
誘発事故未来だ。
線が止まる。
「この絵は危険です」
灯は言った。
「なぜ」
「未来を模倣すると、行動も模倣される」
「再現衝動か」
「はい。人は絵を見て、動きをトレースします」
未来が伝播する。
予測ではなく、誘導だ。
そのとき、背後から静かな声がした。
「正確には、構図模倣誘導です」
振り向かずに分かった。
神代景だった。
「人物動作ではなく、配置再現による事故連鎖」
灯は答える。
「あなたも描きましたね」
「ええ」
「同じ未来を」
「少し広い単位で」
景は壁の模写絵を見た。
「これは未来ではない」
「ですが未来を作ります」
「だから危険です」
評価が一致した。
「どう止めますか」
東堂が聞く。
景が言う。
「展示をやめさせても遅い」
灯が続ける。
「構図を崩します」
二人の声が重なった。
「未来は、再現できない構図にすればいい」
景が静かに言う。
「点と面を同時にずらします」
灯が答える。
二人は同時に描き始めた。




