第二十二話 構図の違い
封筒に入っていた紙は、机の中央に置いたままにしてあった。
朝の光が斜めに差し込み、線の濃淡を強調している。印刷ではなく、手描きだ。インクのかすれがあり、線の入りと抜きに呼吸がある。だが灯の描き方とは違う。迷いがなく、感情の揺れがない。
必要な線しか存在していなかった。
交差点の俯瞰構図。道路幅、停止線、視線導線、車両侵入角度。
人間だけが、意図的に省かれている。
人物ゼロの未来予測図。
それでも灯には分かる。これは単なる地図ではない。
“起きかけていた事故の瞬間”を切り出した配置だ。
余白の端に小さく書かれた数字――18:40。
時刻指定の未来。
時計を見ると、まだ二時間近く余裕がある。
「……早描き」
自分より先に描いている。
しかも構造単位で。
灯は自分の鞄から昨夜のスケッチを出さなかった。並べたくなかった。並べると一致してしまうからだ。同じ未来を、違う単位で描いた証拠になる。
携帯が震えた。
『現場にいる』
東堂の声は周囲音を含んでいた。屋外だ。
「もうですか」
『下見だ。事故はまだ起きてない』
「全面誘導はしないでください」
『理由は』
「未来が固定されます」
短い沈黙のあと、
『部分変更にする』
と答えた。
「紙を持って行きます」
『見せなくていい。言語化で十分だ』
その一言が、灯の肩の力を少し抜いた。
交差点は昼の光で乾いていた。ガラス面の多い通りで、反射が強い。視線が散りやすい場所だ。事故未来が出やすいのは、こういう“光が多い”地点が多いと灯は経験で知っている。
東堂は歩道の端で交通導線を観察していた。制服ではない。私服のまま現場に溶け込んでいる。
「中央には立たないでください」
「分かってる。君は入るな」
灯は封筒の紙を開かずに説明した。停止位置、侵入角度、視線死角。東堂はそれを現場と照合しながら聞いている。
「描いた本人は、かなり冷静です」
「性格まで分かるか」
「線で分かります」
感情線がない。圧が均一。観測者の線だ。
そのとき、横断歩道の向こうに、見覚えのある輪郭が入った。
似顔絵の特徴に近い。
灯は即座に視線を落とした。だが一瞬で十分だった。
対象認識が深まる。
指先に熱が集まる。
「……来ます」
「描くか」
「止められません」
東堂はポケットからメモ帳とペンを出した。ためらいがない。
「どうぞ」
紙に触れた瞬間、世界の音が一段遠ざかった。車の音も足音も、水中のように鈍る。
線が走る。
正面構図。人物の上半身。腕が半分上がっている。反射的防御の途中姿勢だ。背後に縦長の光面。ショーウィンドウ。中央に放射状の亀裂。蜘蛛の巣状のひび割れ。
中心点が低い。
腰の高さ。
足元に細い円。スポーク線。
自転車の前輪。
人物の口はまだ閉じている。声が出る前。
回避可能な三秒前。
線が止まると同時に、音が戻った。
「低位置衝突です。右から」
東堂は無線を入れ、右側導線だけを調整した。数分後、自転車が急制動で止まり、ガラスは割れなかった。
未来が外れた。
「もう一枚の絵と一致している」
東堂が言った。
「人物と構造で同じ瞬間を指しています」
「会いたいか」
「まだです」
「なぜ」
「描き方が違いすぎる」
灯はメモ帳を閉じた。自分の線は感情を含む。呼吸がある。あちらは設計だ。だが精度は高い。
その差が、少しだけ怖い。
帰り道、コートのポケットに違和感があった。入れた覚えのない紙片。
開く。
階段の構造スケッチ。人物なし。視線導線だけ。
【人物絵はノイズが多い】
灯は思わず笑った。
「……言い方」
反論できないのが悔しかった。
未来は、同じだった。
見え方だけが違う。




