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第十三話 先生

 鷹宮恒一からの連絡は、唐突だった。


『久しぶりだね、不知火くん』


 電話口の声は、記憶の中とほとんど変わっていなかった。

 落ち着いていて、柔らかく、相手に考える余地を与えない。


 灯は、スマートフォンを耳に当てたまま、窓の外を見ていた。


「……どうして、番号を」


『君の作品が、少し話題になっていてね』


 作品、という言葉に、胸の奥がわずかに軋んだ。


『展示室の件も、耳に入った』


 やはり、繋がっている。


「先生は、どこまで知っているんですか」


『知りたいところまで、かな』


 答えになっていない答え。


『会えないか。不知火くん』


 昔と同じ呼び方。

 名前を呼ばれるたび、時間が巻き戻る。


「……何のために」


『確認だよ』


 鷹宮は、穏やかに言った。


『君が、まだ“描ける”のかどうか』


 指定された場所は、都内の小さなギャラリーだった。

 表向きは閉館中。

 だが、内部の照明は点いている。


 灯は、約束の時間ぴったりに中へ入った。


 白い壁。

 高い天井。

 絵が映える空間。


 鷹宮恒一は、中央に立っていた。

 白髪が増え、眼鏡の縁が細くなっている。


「大きくなったね」


 灯は、何も答えなかった。


「展示室を見たそうだね」


「……ええ」


「どう思った」


 質問の形をしているが、

 返答はすでに決まっている口調だった。


「間違っていると思います」


 灯は、はっきり言った。


「未来を並べて、

 意味を与えるなんて」


 鷹宮は、微笑んだ。


「意味は、最初からあるよ。

 人は、そういうものだ」


 彼は、壁際に立てかけられたキャンバスを一枚、持ち上げた。


 白。

 何も描かれていない。


「君は、描かない未来を選ぼうとしている」


 灯の心臓が、少しだけ速くなる。


「それは、勇気だ。

 でも——」


 キャンバスを、壁に戻す。


「社会は、勇気よりも予測を求める」


「それは、管理です」


「違う」


 鷹宮は、静かに首を振った。


「救済だ」


 その言葉が、灯には一番怖かった。


「火災のことを、覚えているだろう」


 灯は、視線を逸らさなかった。


「君は、あの時、何かを見た」


 断定だった。


「だから、生き残った。

 だから、描けるようになった」


 灯は、唇を噛んだ。


「それは……」


「偶然ではない」


 鷹宮は、近づいてくる。


「才能は、事故から生まれる。

 だが、事故のままにしてはいけない」


 灯は、一歩、下がった。


「先生は……

 展示室の人たちと、同じです」


「同じだよ」


 鷹宮は、あっさり認めた。


「彼らは、若すぎる。

 君は、感情に近すぎる」


 その言い方が、

 灯の中で、何かを決定的に切った。


「私は、描きません」


 静かな声だった。


「描かないことが、

 私の選択です」


 鷹宮は、しばらく黙っていた。


 やがて、溜息のような笑み。


「残念だ」


 それは、本心だった。


「だが——」


 彼は、灯をまっすぐ見た。


「君が描かなくても、

 君は描かれ続ける」


 その言葉が、

 最後の警告だった。


 ギャラリーを出た灯は、

 冷たい夜気の中で、深く息を吸った。


 過去は、引き戻そうとする。

 未来は、固定しようとする。


 その間で、

 自分が立っている。


 東堂からの着信が入った。


『大丈夫ですか』


「……はい」


『鷹宮に会いましたね』


 否定は、意味がなかった。


『彼は、

 引き金になる』


 東堂は、そう言った。


「私は、

 引かれません」


 灯は、はっきり答えた。


 電話を切り、

 夜の街を歩き出す。


 灯りは、どこにでもある。

 だが——


 点けるかどうかは、

 まだ、私が決められる。

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