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第八話 故郷を離れた朝

 目を覚ますと窓から差し込む光が白いカーテンを透かしていた。王都の朝は、辺境と違って静かだ。鳥の声も、風が草を撫でる音もない。

 どこからか微かに聞こえるのは、鐘楼の低い響きだけだった。

 そうして慣れない部屋でぼんやりとしていたら扉が控えめに叩かれた。

「フィーネ殿、朝食をお持ちしました」

 昨晩、晩餐の席で私を案内してくれた犬獣人――ロトだった。王の食卓に同席した緊張で彼の顔をよく見ていなかったが、改めて対面するとしっかりとした体躯と鋭い金色の瞳が印象的だ。

「おはようございます、ロト殿」

「おはようございます。……お加減はいかがですか」

 銀のワゴンに乗せられた朝食は、白い皿に彩り鮮やかな野菜と香草入りのパンに黄色のポタージュだろうか。昨晩の晩餐に比べれば控えめだが、十分に豪華だった。

 ロトが手際よくテーブルに並べる間、私はなんとなく彼の周囲を見ていた。

 (あれ?)

 昨晩よりも、はっきりと見える。彼の肩口あたりに淡い緑色の光がふわりと揺れていたのは風の精霊だ。辺境ほど鮮やかではないが、確かにそこに在る。

 気づけば、思わず言葉が口をついた。

「ロト殿は……風の属性魔法が使えるのですね」

 ロトの手が止まった。金の瞳が一瞬だけ細まり、耳がぴくりと動く。

「……なぜ、それを」

「えっ……あ、その……精霊が、すこし見えたので……」

 口にした瞬間、しまったと思った。辺境では精霊が見えるのは当たり前だったが、王都ではどうなのか。

 ロトは皿を置くと、わずかに身を屈めて私を見た。その目は警戒を隠しておらず、それどころか私に喰らいつかんとばかりに鋭さを含んでいる。

「フィーネ殿。殿下からもご命令があります。――ここから出ないでください」

 唸り、低く響く声に背筋が凍った。

 “出ないでください”――言葉は丁寧だが、命令に近い。

「わ、わかりました……」

 私は思わず耳を伏せ、尻尾をきゅっと体に巻きつけた。


 ロトが去ると部屋に再び静寂が戻る。豪奢な客室は昨日よりも広く感じる。

 精霊たちの囁きも遠く、外に出られない時間だけがゆっくりと積もっていく。

 静かな食事を終え、窓際に座りながら思う。

 ――暇だ。

 辺境の地では朝から畑仕事や薬草の仕分け、それから領民たちとの交流で一日があっという間だった。部屋から出ることを禁じられた私は……ここでは、何もできない。せめて本でも読めたらいいのに、と思ったら口から独り言が漏れた。

「本が……読みたい」

 そうだ。王都の図書は、辺境では手に入らない貴重なものがあるはずだ。せめてそれで時間を紛らわせれば、残り二日も耐えられる。


 昼近くになり、再び扉が叩かれた。耳馴染みのない厚い扉の音に一瞬だけ尻尾がキュッとなる。

「失礼します。昼食をお持ちしました」

 ロトは朝と変わらない態度でやってきた。ワゴンには香草を添えた魚料理とデザートに林檎と葡萄。そして、もう一つ。革張りの本が数冊、丁寧に積まれている。

「殿下のご許可を得て本をお持ちしました」

「殿下が……?」

「……外出は許可しねますので、退屈しのぎに、と。それとも不要でしたか?」

「とんでもないです! ありがとうございます!」

 私は取り上げられる前に差し出された本を手に取った。

 一冊目は厚い魔法書だ。それはどこか懐かしい匂いがした。

 (――あれ?)

 表紙に記された紋章に見覚えがあった。辺境で両親が私に与えてくれたもので、魔法学術を代々継承する鷹族のもの。高度な術式や古い言葉が並ぶそれは、私にとっては慣れ親しんだ本だった。

 そして、二冊目、三冊目は見たことのない王都の歴史や神話の本。パラパラとめくると繊細な絵と地図が描かれており、さらに色付きとくれば興味が尽きない。尻尾が思わず揺れた。

「これなら……残り二日も退屈しません」

 喜びを隠せずつぶやくと、ロトがわずかに眉を上げた。その瞳に一瞬、計算違いの色が宿る。

(……読めないと思った?)

 なんとなくだが、ロトもきっと私を“辺境の田舎者”と見下しているのだろう。胸の奥で小さく笑う。辺境育ちだからといって、学ぶ機会がないわけでもなく、また私自身も怠っていない。両親や他の白猫族の年配者たちは種族の誇りと知を私に施してくれたのだから。


「……お気に召したようで何よりです」

 ロトはわずかに咳払いし、表情を整えた。

「しかし繰り返しますが、客室からは出ないでください。殿下のご命令です」

 その言葉に、私は軽く頷いた。

「わかっています」

 耳がぴんと立ったまま、目だけで彼を見つめる。ロトはほんのわずかに視線をそらし、扉を閉めて出ていった。

 昼食を終えると、私は早速本を開いた。革の表紙に指を滑らせ、文字を追う。精霊と神々の古き契約、王家に伝わる歴史、そして、魔法陣の構造――。

 読み進めるうちに、部屋に満ちる静寂が少しずつ心を和ませていった。

 窓の外では、昼を知らせるものだろうか、馴染みのない鐘の音が鳴っている。精霊の姿や声は依然として遠いままだが、ページをめくる音が、不思議とその代わりになってくれているようだった。


 ***

 

 翌日、三日目の夜明け ―アルヴァート視点―


 王宮の空は澄んでいた。

 だが、胸の奥に積もる苛立ちは朝の光に溶けることなく、むしろ硬く濃くなっていく。

 ――フィーネに、三日間会えていない。

 初日の晩餐であの白猫を見て以来、側近たちは何かと理由をつけて私から彼を遠ざけている。

 大神殿からの使いが滞在中で、候補者の身辺を警護する必要がある、などと適当なものばかりで苛立つ一方だ。

 「神託を受けるまでは接触を控えたほうが良いかと」

 そんな言葉を盾に、彼らは俺の足を縛った。

 だが、真実は別にある。

 ――彼らは、あの辺境の白猫を小馬鹿にしているだけだ。

 王宮の一室、長卓の上に地図と報告書が散らばる。

 俺は椅子に深く腰掛け、指先で机を叩きながら、犬獣人のロトが持ち帰った報告に耳を傾けていた。

「フィーネ殿は終日、客室でお過ごしです。読書と、与えられた食事を静かに……」

 ロトの声は低く、しかしどこか怯えが混じっている。その震えがなんなのかはわからないが、こいつもフィーネを馬鹿にしていたはずだ。

「……読書、か」

 俺は短く呟き、片眉を上げると他の側近たちが鼻で笑った。

 金髪の若い参謀が肩をすくめる。

「辺境の白猫が本など読めるものか。せいぜい絵を眺めて時間を潰しているだけだろう」

 だが隣で静かに立つ、長い銀髪を揺らすエルフーー幼馴染のセレスタンが淡々と口を挟んだ。

「そうとも限らぬだろうよ」

 周りはそれすら嘲笑したが、セレスタンは気にすることなく、俺の眼を真っ直ぐ見た。このエルフが真面目に語る時、それは“真実”だ。

「アルヴァート、苛立つ気持ちはわかるが……あと一日我慢したまえよ。フィーネ殿は私から見ても、間違いなく“白き導き手”だ」

 静かな声に嘲笑はピタリと止んだが、側近たちは眉をひそめた。

「エルフ殿まで……」

「神託が見えぬはずのあなたの目にも、あの白猫が特別に映ると?」

「まさか、あなたまで魅了されたわけではあるまいな」

 ひくり、と口角を歪ませ薄笑いとともに放たれる嫌味に、セレスタンは表情を変えずただ肩をすくめた。

「私が魅了されたかどうかなど問題ではない。ただ、精霊は嘘をつかない」

 その一言に室内の空気がしん、と張りつめた。

「……お前たち」

 己の唸りと低い声が石壁に響く。魔力に呼応して周囲の空気がわずかに震え、壁に掛けられた燭台の火が、ぱちり、と音を立てて揺れる。

「俺が誰の目を信じるか、お前たちが口を挟むことではない」

 剣呑な気配が走り、獣人の側近たちの耳が伏せられた。セレスタンだけが薄く微笑み、私を見つめ返す。

「……明日までは、我慢してやる」

 唸るように告げると、ロトが小さく手を挙げた。

 犬獣人特有の耳が、不安げに揺れるが気にするものではない。顎をしゃくり続きを促す。

「し、失礼いたします、殿下」

「何だ」

「フィーネ殿が……私の属性魔法を、精霊が見えると言って当てられました」

 室内が一瞬、凍りついた。

「……精霊を、見える?」

「ええ。私は風の魔法を使います。フィーネ殿は昨日の朝に“風の精霊が見える”と言いました……」

 側近たちがざわめいた。

 「まさか」「白猫の戯言だろう」「いやしかし……」

 疑念と驚愕が入り混じる声が飛び交う。俺は息をのみ、セレスタンに目を向けた。

 エルフの青年は、金緑色の瞳に柔らかな光を宿して微笑んだ。

「……やはり、間違いない」

「セレスタン……」

「殿下。フィーネ殿は本物だ。精霊を視る者は、神々が選ぶ“導き手”以外にあり得ない」

 その断言に、胸の奥に熱が広がる。心音も心なしか早まっている。そう、これは歓喜と高揚だ。

 初めてあの白猫を見た収穫祭の夜、感じた直感が形を得ていく。

 俺は緩む口角をわずかに上げ、机に片手を置いた。

「……ははは! 明日が待ち遠しいな!」

 セレスタンも頷き、同意する。

「ああ。明日が楽しみだ」

 その声は、ただの期待ではない。

 神託を待つ者としての確信が、確かにそこにあった。

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