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第五話 波乱の始まりと差し出される手

 祭りの灯りが消えてから、辺境の地は再びいつもの空気に戻った。

 五日間続いた収穫祭の余韻は残っていたけれど、酒に浮かれた笑い声も、舞に合わせて響いた太鼓の音も、もう聞こえない。広場を四方に伸びる道沿いの市場や住宅地は普段の賑わいを見せる。ただ、収穫祭が終われば次は冬支度が少しずつ始まる。それがこの辺境の地の日常だ。

 私はその広場を横切り、森から摘んできた薬草の束を抱えて歩いていた。

 収穫祭の後も酒の余韻が抜けない者たちがいるから、滋養の効能を持つ草は欠かせない。乾かして刻んでおけば、冬の間にも使えるからできるだけ多く収穫するのだ。


 けれど、その日。

 いつもの日常は、思わぬ形で破られることになる。

 村の子供が駆け込んできたのは、私が薬草を店の棚に並べているときだった。

「フィーネ兄ちゃん! お客さんが、領主様の館に来てる! 王都からだって!」

 私は思わず手を止めた。

 ーー王都から? こんな辺境に? 

 定期便の商会以外に、わざわざ来る者など滅多にいないのに。

「……分かった。すぐに行くよ」

 なんとなく胸騒ぎを覚えながら、薬草を置いて館へと向かった。

 館の広間には、見慣れない獣人たちが立っていた。

 虎族の青年、黒豹族の壮年、狐族の魔術師らしき者、そして護衛らしい屈強な獣人兵。彼らは皆、上等な衣をまとい、ただ者ではない雰囲気を漂わせていた。

 椅子に腰かけていた領主が私へと視線を送る。

「フィーネ、こちらへ」

 私は小さく頭を下げて前に出た。すると、虎族の青年が口を開いた。

「白猫族のフィーネ・ルナリス殿だな」

「……はい」

「我らは王都より参った。大神殿において神託が下り、若き獅子王を支える“白き導き手”の存在が告げられた。各地で候補が探されたが、該当者はいなかった。そして――この辺境にただひとり、白き毛並みを持つ者がいると報告を受けた」

 私の背筋に冷たいものが走った。

「……まさか、私が?」

「そのとおりだ」

 広間の空気が一瞬で張り詰める。領主が眉をひそめ、他の役人たちも顔を見合わせた。


 知らせは瞬く間に村へ広がった。

 広場に集う人々も、畑にいた農夫も、皆が口々に「フィーネが“導き手”だって?」と、領主の館に集まってきた。

「冗談じゃねえ、フィーネがいなくなったら薬草は誰が調えるんだ」

「冬前にいなくなるなんて、どうすりゃいいんだ」

「王都に行ったら、いじめられるんじゃないか……」

 心配する声、不安げな声が交錯する。私自身も、どう答えればいいのか分からなかった。

「……私には、そんな大役は務まりません」

 正直な気持ちだった。辺境の暮らししか知らない自分が、王都に呼ばれるなど想像もつかない。だが、王都からの使者は首を横に振った。

「神託は絶対だ。我らは急ぎ、導き手を王のもとへ連れて行かねばならぬ」

「だが、この領はどうするつもりだ」

 領主が口を挟んだ。まわりも「そうだそうだ!」と声をあげる。

「フィーネは村にとって欠かせぬ存在だ。馬車で一ヶ月も王都へ向かえば、冬の備えが遅れる」

 使者は静かに応じた。

「その心配は無用。我らが転移魔法陣を使う。辺境から王都までは一瞬だ」

「……転移、だと?」領主は目を細め、皆がざわめき、私は呆然とした。

 転移魔法陣――商会の者たちが使う以外では、自分の“空間魔法の一種”しか知らない。それだって白猫族のなかでも稀とされ、両親たちやほかの白猫族の者たちから絶対に誰にも言ってはいけないと、幼い頃から何度もキツく言われたこと。

 だが、やはり王都の、いや王族に近しい彼らなら持っていて当然なのだろうか。と、なると先日の旅人風情の彼らももしかしたらーー

「ただ陣は来た時よりも大きくしないといけない。どこか場所を貸してほしい」

 領主はしばらく考えた末、渋々と頷いた。

「……ならば、この館の庭で展開してくれ。外でやられては領民たちが混乱する」

「承知した」

 そうして移動した館の庭で、魔術師が見たこともない魔法陣を描き始める。ざわつく領民たちの声など気にもせず書き上げられていく柄は繊細で、白猫族に伝えられているものよりも複雑だ、と私は思った。

 やがて光る線が地面を走り、紋様が完成した。拒否権などないとばかりに使徒の者らに囲まれ、その中心に立たされながら、私はごくりと唾を飲み込んだ。

「安心せよ、害はない」使者が短く言う。

 領主をはじめ、集まってきた人々が庭の外から見守っていた。

 泣きそうな子供も、心配そうな大人も、皆がこちらに視線を注いでいる。私は振り返り、できるだけ穏やかに笑ってみせた。

「大丈夫です。……すぐ戻ってきますから」

 その言葉が、自分でもどこまで本気だったか分からなかった。


 ***


 眩い光が収まり、足元の感覚が定まったとき――私は知らぬ部屋の中央に立っていた。

 高い天井には繊細な彫刻が施され、壁には大きな絵画が並び、深紅の絨毯が床一面を覆っている。燭台に揺れる炎は金細工のように美しく、窓から射す光は淡い香を含んで柔らかに広がっていた。あまりの豪奢さに、思わず息を呑む。

 辺境で1番の豪邸は領主の館だ。あの館にも様々な蒐集物が置かれていたが、この場所はまるで別世界だった。

 呆気に取られて立ち尽くしていると、不意に――室内の奥から声がした。

「……ずいぶんと、早かったな」

 はっとして視線を向ける。そこには、豪奢なソファに腰掛けるひとりの青年がいた。金の長髪が光を受けて揺れ、朱の瞳が炎のように輝いている。

 背は高く、ただ座っているだけなのに、空気を圧するような威容を漂わせていた。

 私は一瞬、その声に聞き覚えを覚えた。――祭りの広場で、旅人に掛けられた声。

「あなたは……先日の、旅人の方?」

 口にした途端、周囲の空気がぴんと張り詰めた。

 私をここまで連れてきた使者たちが慌てて膝をつき、深々と頭を下げる。

「無礼を! このお方こそ、神々に選ばれし若き王――獅子族第一王子、アルヴァート・レオグランツ殿下にございます!」

 青年――アルヴァートと呼ばれたその人は、ちらりと側近たちを見やった。

「頭を下げるな。俺は命じていない」

 静かに放たれた声は、鋼のような強さを含んでいた。使者たちは顔を上げ、しかし畏怖を隠せぬまま姿勢を正す。私はただ、目の前の現実を飲み込めずにいた。

「……殿下?」

 アルヴァートの朱の瞳が、真っ直ぐに私を射抜いた。

「そうだ。俺がアルヴァート・レオグランツ。お前を“導き手”として迎えに来た王だ」

 その言葉に、鼓動が早鐘のように鳴った。まさか――祭りの夜に声をかけてきたあの旅人が、王都の人々が口にしていた“戦場の王子”その人だったなんて。

 室内には沈黙が落ちた。誰も口を開かない。けれど、アルヴァートの瞳は逸らされることなく、私をまっすぐ見据えている。

 息を呑んで、その眼差しを受け止めたとき、不思議な感覚に包まれた。

 ――熱を孕んだ炎のようでありながら、凍てつく風のように鋭い。

 矛盾する二つが、ひとつの存在に同居している。

 私は無意識に囁いた。

「……どうして、私なんかを」

 アルヴァートは僅かに口角を上げた。

「神々がそう告げた。だが……俺自身が選ぶにしても、答えは変わらんだろう」

 その意味を理解する前に、胸の奥に熱が広がった。

 虎族の側近が慌てて口を挟む。

「殿下、この者は辺境で薬師の真似事をしていただけの青年。王都の大役など、とても――」

「黙れ」

 低く放たれた声に、室内の空気が震える。側近は慄き、唇を噛んで口を閉ざす。

 アルヴァートは再び私を見つめた。

「フィーネ。お前は今日から俺の側に立つ」

 一度だけ問われ、答えた名を呼ばれて目を見開く。

 その言葉は、命令の響きを持ちながらも、不思議な温かさを帯びていた。私は返す言葉を失い、ただ胸の内に広がる動揺を必死に抑えようとする。辺境の片隅で生きてきた自分が――今、この瞬間から王の傍に置かれるというのか。

 信じられない現実に、足元が揺らぐように感じた。

 アルヴァートが立ち上がり、私のもとへと歩み寄る。背の高い彼が近づくにつれ、影が覆いかぶさり金の髪が炎のように揺れ、朱の瞳が至近で輝く。

 彼は私の前に立ち止まり、低く告げた。

「導き手が誰であろうと、俺は必ず王となる。そしてお前とならば、共に戦場を越えていける」

 私が答える前に、アルヴァートは片手を差し出す。

「来い、フィーネ。これが始まりだ」

 ――その手を取るかどうか。迷いと戸惑いの狭間で、私はただ、その掌を見ることしかできず、立ち尽くしてしまった。


 胸の奥がぎゅっと縮む。

 殿下、と呼ばれた青年の視線が怖くてふい、と逸らすと、頭の上の耳が自分でもわかるほどしゅんと下がってしまう。

 ――怖い。

 収穫祭のときに見かけた旅人の青年とは、まるで別人のようだ。

 あのときは柔らかに笑みを浮かべていたのに、今は王の威をまとった存在として、強烈な圧を放っている。

 手を伸ばすことも、声を出すこともできずにいる私に、不意にアルヴァートの瞳が揺れた。彼は小さく息を吐き、わずかに焦ったような色を見せた。

「……怖がらせたな」

 その声は、さきほどまでの鋭さを削いでいた。

 低く穏やかに響く声音に、私は顔を上げた。アルヴァートはゆっくりと手を下ろし、代わりに私の目線まで腰をかがめる。朱の瞳が至近で柔らかな光を宿し、先ほどの王の圧とは別の温もりを放っていた。

「お前が俺の“白き導き手”であることは変わらない」

 言葉は断言でありながら、押しつけではなかった。

「だが勘違いするな。俺はお前を奴隷にしたいわけじゃない。縛りつけたいわけでもない。ただ……共に歩みたいと思っただけだ」

 その声音に、胸の奥の恐怖が少しずつほどけていく。

 ――この人は、ただ強さだけで王になったのではない。

 人を導くための柔らかさを、きっと持っているのだ。

 アルヴァートはさらに微笑んだ。

「まずは互いのことを知ろう。名も、日々のことも、好きな食べ物も。そういうことからでいい」

 その笑みは、収穫祭で見せた旅人の笑顔に重なった。

 今度は、さきほどのような威圧を帯びていない。ただ「共に」と告げるように、穏やかな温もりを宿した掌だった。

 私は小さく息を吸い込み、恐る恐るその手に自分の手を伸ばそうとした――


 その瞬間。

「お待ちください!」

 張り詰めた声が割り込んだ。

 振り返れば、私をここへ連れてきた使者たちが一斉に一歩前へ出ていた。

 虎族の側近が声を張り上げる。

「殿下の命で連れてきたこの者を“白き導き手”とお決めになったとはいえ、早急な判断かと! 候補者とされた者はすべて、大神殿にて神々の判定を仰がねばならないのです!」

 別の使者も頷きながら言葉を重ねる。

「大神殿にて“白き導き手”と認められた者こそ、真に殿下の隣に立つ資格を持ちます。……たとえこの青年が殿下のお目に適ったとしても、それを正式とするのは危険にございます」

 私は反射的に手を引っ込めてしまった。

 胸に広がった温もりが、たちまち冷たい霧に覆われる。

 ――そうだ。

 私は辺境の、ただの白猫族にすぎない。

 王の隣に立つ資格など、本来ならあるはずがないのだ。


 アルヴァートが私から視線を側近たちに向け見据えた。その朱の瞳には、先ほどまでの柔らかさではなく、再び王の鋭さが宿る。

「……大神殿か」

 ふん、と鼻を鳴らし短く吐き捨てるように呟いたその声音に、誰もが息を呑んだ。

 けれどアルヴァートは、再び私の方へ視線を戻した。その瞳はすっと細められたが柔らかなもの。

「フィーネ。お前をここへ連れてきたのは、俺の意思だ。だが……大神殿の判定が必要だというのなら、ともに受けよう」

 まるで、宣言するかのような言い方だったが、強制でないことは感じ取れた。

 だからーー

 私も釣られるように頷いたのだった。

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