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第一話 若き獅子王

 帝都グランディアは、熱狂に包まれていた。

 四千年の歴史を誇る大神殿の白大理石の回廊に、数えきれぬほどの旗が翻っている。獣人たちの喉を震わせる咆哮と歌声は、まるで大地そのものを揺るがすようであった。

 その日、二百年近く帝位を担ってきた鷲族の王、イーグリス四世が退位を宣言したのだ。

 五百二十歳を数える鷲王は、長きにわたり帝国の空を守ってきた。彼の眼差しは鋭く、広げた翼は誰よりも雄々しい。彼らの種族も寿命は長く人々は「まだ数百年は王でいられる」と信じて疑わなかった。

 だが、王は静かに告げた。

「我は“つがい”を得た。余生を共にするため、玉座を退こう」

 それは、長命の獣人にとっても極めて稀な決断だった。伴侶を得ること自体は珍しくない。かの王も3人の妃がおり子もそれぞれ数人ずつ成している。

だが、“つがい”は別だった。魂の共鳴、とも呼ばれるその存在が現れること自体が珍しく、生涯にわたり現れることは稀である。まさか帝王に“つがい”が現れることも、玉座を自ら退き、ただひとりのつがいと共に生きる道を選ぶなど、前例がほとんどなかったのだ。

 大神殿の大広間に集まった諸侯、各部族の長たちは一斉にざわめいた。

 けれど、その後に下った神託がすべてを覆した。

『獅子族、レオグランツ家の若き者を、新たなる王とする。

 そして――その王を支える“白き導き手”が現れるだろう』

 その瞬間、帝都は歓喜と動揺に揺れた。


 ***


 アルヴァート・レオグランツは、大神殿の奥に設けられた控室に立っていた。

 金色の鬣を背に流し、朱の瞳を細める。鍛え上げられた体躯は獣人の中でも抜きん出ており、190センチを超える巨躯は、それだけで威圧感を放っている。

 豪胆、誇り高い――そう評されることは多い。だが、本人にとってはただの鎧にすぎなかった。アルヴァートの胸の内には、常に責任が燃えている。獅子族の第一王子として生まれたときから、帝国を背負うことを叩き込まれてきた。その覚悟を疑ったことはない。

 だが、神託の言葉が胸を刺して離れなかった。

(“白き導き手”……か)

 それが誰を指すのか、皆が躍起になって探し始めているのを、アルヴァートは知っている。白き毛並みを持つ種族は多くはない。雪豹族、白兎族、あるいはーー白猫族。だが、神託の導き手とはただの色を指すのではないだろう。

 控室の外では、諸侯たちが口々に意見を述べていた。

「我が領に仕える白兎族の娘こそが導き手に違いない!」

「いや、雪豹族の若き戦士こそ……」

「神託を言い訳に、己の血族を王に近づけたいだけだろう」

 獣人たちの声は時に咆哮となり、壁を震わせる。アルヴァートはそれを背に受けながら、ただ静かに瞼を伏せた。

(導き手が誰であろうと……我は王として、帝国を背負わねばならぬ。それだけだ)

 炎を操る力も、雷を呼ぶ力も、風と水を制する術も持つ。戦場では誰よりも先陣に立ち、血を流す覚悟もある。だが、神の言葉が意味するものが単なる戦力ではないことを、アルヴァートも理解していた。

(俺を“支える”者……)

 その言葉の重みを噛みしめたとき、大神官が入室し、厳かに告げた。

「アルヴァート殿下、大神殿があなたを新たな帝王として認めました。さあ、民の前へ」

 アルヴァートはゆっくりと歩を進めた。

 扉が開かれると、白光が溢れる。

 万を超える民衆が広場を埋め尽くし、その視線が一斉に彼に注がれた。


 轟く咆哮。揺れる大地。

 金の鬣を靡かせ、アルヴァートは壇上に立った。

「我が名はアルヴァート・レオグランツ!」

 声は雷のように響き渡る。

「神々の御心により、このたび帝位を継ぐこととなった! 我は誓う。獣人たちの誇りを守り、この帝国をより高みへと導こう!」

 その言葉に、歓声が爆発した。だがアルヴァートは知っている。この声援の裏に、期待と同時に策略が渦巻いていることを。彼は決して、それを見過ごすことはしなかった。


 ――こうして、新たな獅子王の時代が始まったのである。


 戴冠式の翌日、帝都の空気は熱を帯び続けていた。城下町の酒場では、“白き導き手”を巡る噂で持ちきりだった。

「きっと雪豹族のあの戦士だろう」

「いや、大神殿が隠しているのでは?」

 それは市井の者に限らず、貴族や将軍たちの間でも囁かれていた。

「殿下、各地の領主が“導き手”に関する推薦状を送りつけてきております」

 執務室に山のように積まれた文を見て、側近が苦笑した。アルヴァートは机に肘をつき、溜息をついた。

「……愚かしい。神託は、己の利益のために利用するものではない」

「しかし、それが政治というものでもあります。殿下がいかに武に優れようと、帝国を治めるにはこうした駆け引きも必要でございます」

 側近の言葉は正しい。だがアルヴァートの胸には、戦場で培ったまっすぐな信念があった。

 帝国を守るのは、派閥争いではない。剣と爪と、そして民を思う心だ。

 彼はふと、窓の外に目を向けた。帝都の空は澄み、遠くに大神殿の尖塔が白く輝いている。だがその輝きの裏で、精霊たちがざわめきを増しているような気がした。

(鷲王が退いたのも……ただ“つがい”を得たからではないのかもしれない)

 鷲族のイーグリス四世は、戦場においても天空を支配した覇王であった。いかに“つがい”が稀有な存在とはいえ、それだけが彼の退位の理由ではないのでは。何か、帝国全土を揺るがす兆しを感じ取ったのではないか――そんな予感が、アルヴァートの背を冷たく撫でた。


 数日後、大神殿で再び神官たちが集められ、帝国各地へ通達を送るための儀式が行われた。巨大な魔法陣が広間一面に刻まれ、術者たちが祈りの言葉を紡ぐ。

「我らの王は獅子族アルヴァート・レオグランツなり。神々の御心に従い、この帝を導かん」

 光が弾け、帝国中の伝達陣にその声が響いた。


 ――ただし、辺境の壊れた魔法陣を除いて。


 帝都の民はその声を聞き、改めて新王を称え、各地の領でも同じように歓声が上がった。“白き導き手”とは誰なのか、祭りのように語り合う光景が広がった。

 アルヴァートはその中心にいながらも、浮かれた様子を見せることはない。彼は知っている。神託の裏には、必ず試練があることを。

(“白き導き手”……お前はどこにいる? 俺はお前に出会うのか。それとも……)

 朱の瞳が、遠くを見つめる。

 そこにはまだ、彼自身も知らぬ運命が待っているのだった。

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