精霊女王ミュリエルとの邂逅
「立ちなさい」
ミュリエルの声は鈴を転がすように美しく、同時に深い慈愛に満ちていた。
「ずっと魔導書の番をしていたのよ。あなたのように争いが嫌いな使い手を待っていた」
カズマは圧倒された。目の前の存在があまりにも崇高で、自分などが言葉を交わしてもよいのか分からなかった。
「争いが嫌い...確かにオレは戦いなんて大嫌いだ。でも、古代魔法なんて向いてない。オレには立派な正義感もないし、世界を救いたいなんて大それたことも考えてない」
ミュリエルは優しく微笑んだ。
「だからこそ、あなた以上に向いている人などいない」
「えっ?」
「古代魔法は破壊のための力ではない。守るため、そして異なる種族間の橋渡しをするための力。争いを嫌い、他者を思いやるあなただからこそ、真の古代魔法使いになれる」
ミュリエルの言葉に、カズマの心が震えた。
「でも、オレはまだ何も分からない。この世界のことも、古代魔法のことも」
「それでよい。力を求めるのではなく、理解を求めなさい。相手を理解し、自分を理解し、この世界を理解する。そうすれば、必要な時に力は宿る」
ミュリエルがカズマに向かって手を差し伸べる。
「この魔導書を受け取りなさい。そして、旅を続けなさい。あなたが歩む道の先に、きっと答えがある」
カズマは恐る恐る魔導書を手に取った。瞬間、頭の中に大量の知識が流れ込む。時空境界の鎖の詠唱法、魔力の流れ、術式の構築方法...しかし、それは押し付けられた知識ではなく、まるで思い出しているような感覚だった。
「すごい...頭の中に術式が」
「古代魔法適性が開花したのです」セージが感嘆の声を上げた。「現代において、これほど高い適性を持つ者を見るのは初めてです」
新たな目標
魔導書を受け取ると、ミュリエルの姿は徐々に薄れていった。
「また会いましょう。あなたが成長した時に」
最後の言葉を残し、精霊女王は光の粒子となって消えた。
「すごいことが起きた」リーフィアが興奮気味に呟く。「精霊女王が直接現れるなんて...カズマ、あなたは本当に特別な人なのね」
「そうかな...よく分からないよ」
カズマは魔導書を大切に胸に抱きながら首を振った。
「でも、これで少しは分かったような気がする。オレがここにいる意味が」
セージが立ち上がり、本棚から地図を取り出した。
「同じような古代魔導書は、少数ですがこの大陸のどこかにまだ残っているはずです。エルフの森にも、魔族の領域にも、そして人跡未踏の遺跡にも」
地図に印をつけながら、セージは続けた。
「ただし、どの魔導書も強力な守護者が付いています。精霊、古代の魔物、時には封印された古代文明の番人も」
「危険ってことですね」
「ええ。しかし」セージがカズマを見つめた。「キミには魔導書と共鳴する力がある。直感を信じて旅を続けることです。必要な力は、必要な時に身につくでしょう」
旅立ちの準備
書店を出ると、既に夜が深くなっていた。二人は宿に向かいながら、今後の計画を話し合った。
「まず、どこに向かう?」リーフィアが地図を広げる。「セージさんが印をつけた場所、いくつかあるけど」
カズマは魔導書を開きながら考えた。先ほどから、別の方向に微かな共鳴を感じている。
「実は...さっきから、別の方向にも何かを感じるんだ。あっちの方向に」
カズマが指差した先は、地図上では深い森の地域だった。
「その辺りは...確か、古い精霊の住処があるって聞いたことがあるわ。でも、とても危険な場所でもある」
「でも、感覚は確かだ。何かがオレを呼んでる」
リーフィアは少し心配そうな表情を見せたが、結局頷いた。
「分かった。私も一緒に行く。でも、十分に準備してから」
宿の部屋で、カズマは新しく手に入れた魔導書を詳しく読んでいた。時空境界の鎖について書かれた内容は、想像以上に複雑だった。
「これによると、術式発動には強い意志力と、守りたい対象への明確な意識が必要らしい」
リーフィアも隣で自分の弓の手入れをしながら耳を傾けていた。
「守りたい対象...それなら問題ないでしょう。あなたには守りたいものがたくさんある」
「そうかな」
「エルフの村の人たち、そして...」リーフィアが少し頬を染める。「私も、守ってもらいたい人の一人よ」
カズマも頬が赤くなる。
「当たり前だろ。リーフィアを危険な目に遭わせるなんて、絶対にしない」
二人の間に、優しい沈黙が流れた。窓の外では月光が街を照らし、平和な夜の気配が漂っている。
「明日からまた旅が始まるのね」
「ああ。でも、今度は目的がある。古代魔導書を集めて、この世界の真実を知る。そして...」
「そして?」
「いつか、種族の垣根を越えた平和な世界を作りたい」
リーフィアが驚いた表情を見せた。
「それは...とても大きな目標ね」
「大きすぎるかな。でも、ミュリエル様が言っていた『橋渡し』って、そういうことなんじゃないかと思うんだ」
リーフィアは微笑んだ。
「私も同じことを考えてた。あなたと一緒にいると、不可能なことも可能になるような気がする」
新たな力の兆し
その夜、カズマは不思議な夢を見た。古代の文明が栄えていた時代の夢。人間もエルフも魔族も獣人も、皆が協力して美しい都市を築いている光景。そして、その中心に立つ自分の姿。
目が覚めると、魔導書が微かに光っていた。
「これは...」
本を開くと、昨日は理解できなかった術式の一部が、今度ははっきりと理解できた。まるで眠っている間に知識が整理されたかのようだった。
「カズマ?」リーフィアが隣のベッドから声をかける。「どうしたの?」
「魔導書が光ってる。それに、新しい術式が理解できるようになった」
リーフィアも起き上がって魔導書を覗き込む。
「本当? すごいじゃない!」
「少しずつ成長してるってことかな」
「きっとそう。ミュリエル様が言ってたでしょう?必要な時に力は宿るって」
カズマは魔導書を大切に閉じ、胸の内ポケットにしまった。
「明日から、また新しい冒険が始まる」
「ええ。今度はどんな出会いが待っているのかしら」
朝の出発
街を出ると、すぐに森の道が続いている。朝の木漏れ日が二人の行く手を照らしていた。
「カズマ」歩きながらリーフィアが話しかけた。「あなたが感じてる共鳴って、どんな感じなの?」
「そうだな...まるで糸で引っ張られてるような感覚かな。あっちの方向に何かがあるって、はっきり分かる」
「不思議ね。私たちエルフも自然との共鳴はできるけど、魔導書との共鳴なんて聞いたことがない」
「多分、古代魔法適性のおかげだと思う。セージさんも言ってたし」
歩きながら、カズマは胸の魔導書を確認した。共鳴はさらに強くなっている。目的地が近づいている証拠だった。
「あと二日くらいで着きそうだ」
「分かった。気をつけて進みましょう。森の奥には危険な魔物もいるから」
一日目は平穏だった。小さな魔物はいたが、リーフィアの弓術で簡単に退散させることができた。町で一泊した二日目も順調に進んだ。
しかし三日目、森の様相が変わり始めた。木々はより古く、より大きくなり、空気中の魔力濃度も高くなっている。普通の動物の鳴き声が聞こえなくなり、代わりに不思議な音が森に響いていた。
「この辺り、普通の森じゃないわね」リーフィアが警戒しながら弓を構える。「魔力が濃すぎる」
「ああ。でも、共鳴はもっと強くなってる。目的地はもうすぐだ」