第3章「逃避行と絆の深まり」
共同生活の始まり
森の奥深く、青空の下に薄っすらと煙が立ち上っていた。カズマが作った焚き火の周りには、効率的に配置された石の囲いと、雨風を防ぐための簡易的な屋根が設けられている。現代日本で培った知識を総動員したキャンプサイトは、この異世界の野宿としては驚くほど快適だった。
「すごいのね。人間の住処ってこんなに工夫されているの?」
リーフィアが感嘆の声を上げながら、カズマの作った風よけの設備を眺めている。彼女の手には、この世界特有の薬草や食べられる木の実が握られていた。
「いや、これは俺の世界の知識だから」カズマは苦笑いを浮かべつつ、石で囲んだ火の調整をしている。「君の方こそすごいよ。どの草が食べられるか、どの水が安全か、全部知ってるじゃないか」
「当然よ。森で生きるっていうのはそういうことだもの」
リーフィアの表情が一瞬暗くなる。故郷の村のことを思い出したのだろう。カズマはそれ以上追及せず、代わりに話題を変えた。
「今日は鳥肉のスープにしてみたんだ。君が取ってきてくれた薬草も入れたよ」
「本当に?楽しみね」
二人の共同生活も一週間が過ぎようとしていた。最初はお互いの癖や価値観の違いで小さな諍いも起きた。カズマは現代的な効率重視の考え方で行動し、リーフィアは自然との調和を重んじる伝統的なエルフの価値観を持っている。
例えば、カズマが川で体を洗おうとした時、リーフィアは「川の精霊に挨拶をしてから」と言い、カズマは戸惑った。逆に、カズマが時間を節約するために魔法で火を起こそうとした時、リーフィアは「自然の方法の方が美しい」と異議を唱えた。
しかし、そんな小さなぶつかり合いを経て、二人は次第に息の合った連携を見せるようになっていく。カズマの現代的な知識とリーフィアの自然との共生術が組み合わさることで、より快適で安全な旅が実現できることを実感していた。
夕食の準備をしながら、カズマはふと思った。エルフの村での生活は確かに平穏だったが、どこか居心地の悪さを感じていた。村人たちは親切にしてくれたが、やはり「よそ者」「人間」という壁があった。しかし、リーフィアとの二人だけの生活は、不思議なほど自然に感じられた。
「カズマ」
リーフィアの声で現実に戻る。彼女は焚き火の向こう側に座り、オレンジ色の炎の光に照らされた顔でこちらを見つめていた。
「何?」
「あなたの元の世界って、どんなところなの?」
カズマは手を止めて考えた。どう説明すればいいだろう。
「平和で便利だけど…なんか息苦しいところだった。みんな他人に関心がないっていうか」
「それは寂しいわね」リーフィアの表情が少し驚いたようになる。「私たちエルフは森全体が一つの家族みたいなものなのに」
「家族か…」カズマは遠い目をした。「俺には本当の意味での家族って感覚がよく分からないかもしれない」
「どういう意味?」
「両親はいるよ。でも、お互いのことをあまり知らないんだ。忙しくて、家にいる時間も少なくて。学校でも特に親しい友達はいなかったし」
リーフィアは黙って聞いていた。カズマが続ける。
「だから、この世界に来てからは不思議なんだ。君と一緒にいると、初めて誰かと『つながってる』って感じがする」
その言葉に、リーフィアの頬がほんのり赤らんだ。
「私も…」彼女は小さな声で呟いた。「村では『リーフィア』じゃなくて『生き残り』って見られることが多かった。みんな優しくしてくれたけど、同情の目だったの」
「同情の目?」
「私の家族は、人間の侵攻で全員死んだから」リーフィアの声が震えた。「村人たちは私を憐れんでくれた。でも、それは『かわいそうな子』としての優しさだった」
カズマは何と言葉をかけていいか分からなかった。リーフィアが続ける。
「でも、あなたは違う。私を『リーフィア』として見てくれる。過去ではなく、今の私を」
「それは…当然だろ」カズマは照れくさそうに頭をかいた。「君は君だ。俺にとって一番大切な人なんだから」
その瞬間、二人の間に流れる空気が変わった。お互いを見つめ合い、何かを言いかけて、しかし言葉にならない。焚き火の音だけが静寂を破っている。
「あの…」リーフィアが口を開こうとした時、遠くから獣の鳴き声が聞こえてきた。
「魔物か?」カズマがすぐに警戒態勢に入る。
「いえ、普通の森の動物よ。でも念のため、火は小さくしましょう」
二人は手慣れた様子で焚き火を調整し、周囲を警戒する。この一週間で培った連携が無意識のうちに発揮されている。
異常がないことを確認すると、二人は再び火の前に座った。しかし、先ほどの雰囲気は既に変わってしまっている。
「そろそろ休もうか」カズマが提案する。
「そうね」
二人は並んで寝床に横になる。最初の夜は遠慮してかなり離れて寝ていたが、今では肩が触れ合うほど近くで眠るのが当たり前になっていた。
「おやすみ、カズマ」
「おやすみ、リーフィア」
星空の下、二人はゆっくりと眠りについた。