第1章前編「召喚と絶望的逃亡」
召喚の神殿
薄暗い石造りの神殿に、幾何学模様の魔法陣が淡い光を放っている。古代文字が刻まれた円環が床一面に広がり、その中心で四つの人影がゆらめいていた。
「成功だ!」
威厳ある声が神殿内に響き渡る。玉座から身を乗り出した国王レオナール三世の顔には、期待と興奮が混じり合っていた。
「四人とも、まさに予想通りの年齢。これで王国の未来は安泰である」
宰相バルザックが恭しく頭を下げる。
「陛下のご慧眼の通りでございます。異世界召喚の儀式、完全なる成功です。転移の瞬間、四名全てに神の加護によるスキルが与えられたはずです」
魔法陣の光が徐々に収まり、四人の日本人高校生の姿が浮かび上がった。
転移前の記憶
佐々木カズマは、その瞬間まで東京の高校で数学のテストを受けていた。
「えーっと、この問題は…」
二次関数のグラフを描きながら、ぼんやりと窓の外を眺める。いつものように退屈な午後の授業風景。友人の田中が居眠りしているのが見え、カズマは小さく笑った。
その時だった。
突然、教室全体が眩い光に包まれた。机も黒板も友人たちも、すべてが白い光の中に溶けていく。カズマの体が宙に浮いている感覚。時間の流れが歪み、空間が捻じ曲がる。
「え…?何これ…」
意識が遠のきそうになる中、頭の中に不思議な声が響いた。
『異世界への転移を開始する。汝に神の加護を与えん』
重厚で神秘的な声。明らかに人間のものではない。
『古代の知識を宿す者よ、隠されし力を受け取れ』
カズマの体に温かい何かが流れ込んでくる感覚。しかし、その感覚はすぐに薄れ、意識が途切れた。
転移の完了
次に気がついた時、カズマは石造りの神殿に立っていた。
一人目は端正な顔立ちの少年。制服も乱れておらず、困惑の中にも冷静さを保っている。髪は茶色がかった黒髪で、眼鏡をかけていた。
二人目は美しい少女。長い黒髪が肩まで垂れ、整った顔立ちに上品な雰囲気を漂わせている。制服のスカートの丈も膝下で、清楚な印象だった。
三人目は体格の良い少年。短髪で日焼けした肌、運動部らしい筋肉質な体つきをしている。制服のシャツの袖が腕の太さでややきつそうだった。
そして四人目が、
「え…?何これ…どこだよここ」
平凡という言葉がぴったりな、どこにでもいそうな少年だった。黒髪、普通の顔立ち、普通の体型。制服も標準的で、特に印象に残るものはない。佐々木カズマ、十八歳。都内の高校に通う、ごく普通の高校生だった。
「お、おい…なんだよこれ…夢か?」
カズマは周囲を見回す。石造りの壁、天井から吊るされたシャンデリア、そして正面に座る王冠を被った中年男性。明らかに現実離れした光景に、頭が混乱する。
「皆の者、落ち着け」
国王が立ち上がり、威厳ある声で告げる。
「汝らは異世界より召喚されし勇者なり。転移の瞬間、神より特別な力『スキル』が授けられているはずだ。この世界は今、魔族どもの脅威にさらされている。汝らの神に与えられし力で、我が王国に平和をもたらしてほしい」
「い、異世界…?」
端正な顔立ちの少年――後にミツルと名乗る彼が、震え声で呟く。
「つまり、僕たちは異世界に召喚されたということですか?」
「その通りだ。転移者には必ず神の加護によるスキルが宿る。これは古来より変わらぬ真理である。まずはそれを確認させてもらおう」
宰相バルザックが前に出る。手には古めかしい水晶球のような道具を持っていた。
「これは『査定の宝珠』。触れることで、神より与えられしスキルの詳細を読み取ることができる」
運命の分かれ道
「では、一人ずつ確認いたしましょう」
バルザックがミツルに宝珠を差し出す。恐る恐る触れると、宝珠が眩い光を放った。空中に文字のようなものが浮かび上がる。
「これは…田中ミツル(18歳)『聖剣召喚』『審判の光』『絶対正義』…素晴らしい!神の寵愛を一身に受けた勇者です!」
王や貴族たちがどよめく。明らかに期待以上の結果らしい。
「ミツルよ、汝は我が王国の希望の星となろう」
ミツルの顔に安堵の色が浮かぶ。どうやら良い評価を受けたようだ。
次は美しい少女の番。
「安田ナギサ(17歳)『英雄の演技』『希望の歌声』『民衆の盾』…こちらも申し分ない。民を導く力を神より授かっています」
「私? スキルがあるの?」
「神に愛されたスキルだ。ナギサよ、汝もまた偉大なる英雄となるであろう」
三人目の体格の良い少年。
「田沢リュウヤ(18)『狂戦士の血』『破壊衝動』『不死身の肉体』…戦闘に特化した能力だな。神が戦士として認めた証拠だ」
「おぉ。何かしらねえけど強そうじゃん!」
「リュウヤよ、汝の剛腕で敵を薙ぎ払え」
そして、最後にカズマの番が回ってきた。
「さあ、君も。神の加護は平等に与えられる。きっと素晴らしいスキルが…」
カズマは宝珠に手を置く。しかし、何も起こらない。光も浮かばず、文字も現れない。
バルザックが眉をひそめる。
「おかしい…神の加護は転移者全員に与えられるはずなのに…もう一度」
再び宝珠に触れるが、結果は同じ。完全に無反応だった。
「これは…あり得ないことです」
神殿内に重い沈黙が流れる。貴族たちがざわめき始めた。
「スキルが…ありませんな。神の加護を受けていない…?」
バルザックの言葉に、カズマの血の気が引く。
「え…?神に見捨てられたって…?」
「君の名前は?」
「佐々木…カズマです。18歳…」
国王の表情が厳しくなる。
「神の加護なしか…これは前例がない。転移者が神に見捨てられるなど…」
「陛下、いかがいたしましょうか?」
バルザックの問いに、国王は深刻な表情で答える。
「神に見捨てられた者を野放しにするわけにはいかぬ。それは神への冒瀆にもなりかねない。そして、異世界召喚は我が王国最高機密。その秘術を知る者を生かしてはおけぬ」
「え…?」
嫌な予感がカズマの脳裏をよぎる。
「よって…処分する」
「処分って…まさか…」
「明日の夜明けに処刑する。それまで地下牢で過ごすがよい」
カズマの世界が暗転した。
「ちょっと待ってください!」ミツルが声を上げる。「いくらスキルがないからって、殺すなんて…」
「ミツルよ、心配は無用だ。神に見捨てられた者を生かしておくのは、神への不敬。これも王国の秩序を保つため。汝らには快適な部屋を用意してある」
「でも…」
「案ずるな。明日からは英雄としての訓練が始まる。今日はゆっくり休むがよい」