九
最初の培養肉の納品は、町全体が息を潜めて見守る中で行われた。
「細胞の活性度、良好」イビットは大きな培養槽から取り出された肉の状態を確認しながら説明した。「成長因子の濃度も調整済み」
雌龍は慎重に匂いを嗅ぎ、舌で味を確かめた。その巨大な瞳が、わずかに見開かれる。
「驚いたな」雌龍が言った。「これは、予想以上の出来だ」
その言葉に、見守る人々から安堵のため息が漏れた。
「さらに興味深いのは、この培養過程における魔力の残存率だ」雌龍は続けた。「通常、死後の組織からは急速に失われるはずの古の力が、お前の技術では保持されている」
イビットは目を輝かせた。「それは、培養液の組成を...」
二人の会話は、次第に一般人には理解が難しい専門的な内容へと発展していった。培養技術と古代竜の生理学が交差する、稀有な学術的対話。
リックは、その光景を興味深く見守っていた。最も危惧されていたドラゴンとの交渉が、まるで研究会のような様相を呈している。
三日目、ついに雌龍は幼竜を連れてきた。
まだ生まれて間もない幼竜は、成体と比べればはるかに小さいものの、それでも馬ほどの大きさはある。好奇心に満ちた瞳で、イビットと培養設備を交互に見つめている。
「さあ、食べてみるがよい」雌龍が促す。
幼竜は差し出された培養肉を恐る恐る口にした。そして、その反応は劇的だった。
瞳が輝き、尾が興奮気味に揺れ始める。見る見るうちに培養肉を平らげると、もっとねだるような鳴き声を上げた。
「これは...」雌龍は明らかに驚いていた。「通常の肉以上の反応を示している」
イビットは小さく微笑んだ。「培養過程で、幼体の成長に必要な因子を強化したんです」
「なるほど」雌龍は感心したように頷いた。「単なる代替品ではない。より最適化された餌というわけか」
その日以降、研究所は大きく様変わりしていった。
広大な培養施設が増設され、イビットの作業スペースは拡張された。そこでは毎日、ドラゴンの幼竜のための特別な培養肉が生産される。時には雌龍自身が研究所を訪れ、培養過程について議論を交わすこともあった。
町の人々の態度も、徐々に変化していった。
最初こそ、ゴブリンに命運を託すことへの不安と懐疑の声が大きかった。しかし、日々の成果を目の当たりにするうちに、それは尊敬と感謝の念へと変わっていく。
「イビット先生」ある日、一人の少女が研究所を訪れた。エマだ。「私も、先生の研究を手伝わせてください」
イビットは驚いて振り返った。かつて自分の治療を受けた少女が、今度は弟子入りを志願してきたのだ。
「でも...難しいよ?」イビットは戸惑いながら言った。
「でも、先生の研究は、人を救う」エマは真剣な眼差しで言った。「種族なんて関係ない。大切なのは、その知恵と努力だって、先生が教えてくれたんです」
イビットは、静かに頷いた。
研究所の窓から、夕暮れの空を見上げる。そこでは親龍が旋回し、丘の上では幼竜が元気に飛行訓練を行っている。炎の壁は今も町を囲んでいるが、それはもはや脅威ではなく、ある種の研究区域の境界線のように見えた。
「じゃあ」イビットはエマに向き直った。「まずは、基本的な培養技術から始めよう」




