五
一ヶ月の歳月が流れ、古い倉庫は見違えるように変わっていた。
グレイムが設計した暖房システムが安定した温度を保ち、天井から吊るされた培養容器が淡い光を放っている。壁には整然と記録が並び、作業台には精密な器具が置かれていた。かつての埃っぽい倉庫は、立派な研究施設へと生まれ変わっていた。
「準備は整ったな」リックは満足げに施設を見回した。
イビットは黙って頷いたが、その表情には不安が隠せない。今日から正式に、ギルド公認の治療施設としての業務が始まる。既に何人かの冒険者が、試験的な治療を受けていたが、これからは本格的な運営となる。
「大丈夫」リックは励ますように言った。「お前の技術は、もう十分に証明されている」
その時、入り口のベルが鳴った。最初の患者の到着だ。
「あの、ここが...」
声の主は、片腕を包帯で巻いた少女だった。見習い冒険者のバッジを胸に付けている。
「はい、イビットの治療研究所へようこそ」リックは穏やかな声で応えた。
少女は恐る恐るイビットを見つめた。噂には聞いていたが、実際にゴブリンを目の前にすると、やはり戸惑いは隠せないようだ。
「私、エマっていいます。昨日の訓練で、火傷を...」
イビットは静かに近づき、包帯を見つめた。「見せて」
その専門家としての落ち着いた態度に、エマは少し緊張を解いたようだ。包帯が外されると、かなりの火傷が現れた。
「痛かったね」イビットは優しく言った。それは医術師が患者に向ける、当たり前の思いやりだった。「でも、大丈夫。治る」
治療が始まった。イビットの手際の良さは、もう迷いを感じさせない。適切な培養液を選び、傷の状態を見極め、最適な治療法を組み立てていく。
「あ...」エマが小さく声を上げた。火傷による痛みが、見る見るうちに和らいでいく。「温かい...」
治療が終わる頃には、エマの顔に笑顔が戻っていた。「ありがとうございます。凄いです、まるで魔法みたい」
「魔法じゃない。科学」イビットは誇らしげに言った。「でも、魔法より、確実」
その日以降、評判は静かに、しかし着実に広がっていった。
重傷を負った冒険者たち、一般の町民、時には近隣の村からも患者が訪れるようになる。イビットの技術は、確かな結果を示し続けた。
ある日、リックが研究所を訪れると、待合室に見慣れない光景があった。
子供たちが、イビットの周りに集まっていたのだ。
「このお薬、どうやって作るの?」
「私も研究者になりたい!」
「ゴブリンって、みんなこんな賢いの?」
イビットは戸惑いながらも、一つ一つ丁寧に質問に答えていた。その姿は、もう以前のような臆病さを感じさせない。
「賢いというより...」イビットは考えながら答えた。「好きなことを、続けただけ」
リックは、その言葉に深い意味を感じた。種族も、生まれも、周りの期待も、結局はそれほど重要ではない。自分の信じる道を歩み続けること。それこそが、本当の成長なのかもしれない。
その夜、イビットは新しい培養実験の記録をつけていた。研究所の明かりは、今では町の人々に親しみのある光となっていた。
「ねえ、リック」イビットが突然呟いた。「これが、僕の誇り」
窓の外では、夕暮れの町が穏やかな光に包まれていた。かつて不安と偏見の目で見られていたゴブリンの研究所は、今や町の大切な一部となっていた。
それは小さいけれど、確かな変化の証だった。




