二
三日後、リックは同じ場所を訪れていた。今度は傷を負っているわけではない。背負った革袋には、町で手に入れた古い薬瓶や、使い古された実験器具が入っていた。
「イビット、いるか?」
茂みが少し揺れ、見慣れた小さな姿が姿を現した。イビットは最初の出会いの時より、若干警戒心が薄れているように見えた。
「リック、また来た。でも、傷ない?」
「ああ、今日は別件でな」リックは革袋を下ろし、中身を取り出し始めた。「町で手に入れた器具なんだが、お前の研究に使えるかと思って」
イビットの目が輝いた。特に、古い錬金術師が使っていたという分離器具に、強い関心を示している。
「これ、細胞、分けられる。すごい」
リックは、イビットが器具を検分する様子を興味深く観察した。その仕草は子供らしい好奇心に満ちているが、同時に専門家としての鋭い観察眼も感じられる。
「なあ、イビット。お前の研究のこと、もっと詳しく聞かせてくれないか?」
イビットは一瞬躊躇したが、すぐに決心がついたように頷いた。「来て。見せる」
茂みの向こう、小さな谷間に隠れるように、イビットの研究スペースがあった。岩の窪みを利用した天然の洞穴で、入り口は蔦で巧妙に隠されている。中に入ると、想像以上に広く、様々な器具や培養容器が整然と並んでいた。
「ここが、研究所」
イビットは誇らしげに説明を始めた。壁には様々な図解が描かれ、生体組織の培養過程や、治癒効果の記録が克明に記されている。文字は稚拙だが、観察の正確さは明らかだった。
「これ、リックの血」イビットは小さな培養皿を見せた。「強い。再生、早い」
「どういう意味だ?」
「普通の人の血、ここまで活性化しない。リック、特別」
リックは自分の血液サンプルを興味深く覗き込んだ。確かに、他の培養皿と比べて、その色合いや活性度に違いがあるように見える。
「群れの、みんな。戦いばかり。でも、これ見て」イビットは別の培養皿を指さした。「細胞、協力する。人間も、エルフも、ゴブリンも。培養すると、一緒に生きる」
その言葉には深い意味が込められていた。種族間の争いが絶えないこの世界で、細胞レベルでは互いを受け入れ、共生できるという事実。イビットはそれを、純粋な科学的興味を超えた何かとして見ているようだった。
「面白いな」リックは心からそう思った。「他の冒険者の血液サンプルも、集めてみたいか?」
イビットの目が再び輝いた。「本当?でも、みんな、ゴブリン、怖がる」
「大丈夫、俺が説明する。お前の研究が、みんなの役に立つってことも」
イビットは嬉しそうに、しかし少し困ったように首を傾げた。「でも、ここ、見つかると、まずい。群れ、怒る」
リックは考え込んだ。確かに、この研究所の存在が知られれば、イビットは危険な立場に置かれるかもしれない。かといって、この重要な研究を止めさせるわけにもいかない。
「なあ、イビット。町の外れに、使ってない倉庫があるんだ。少し手を入れれば、立派な研究所になる。興味ないか?」
「町?でも、ゴブリン...」
「大丈夫、俺が保証する。ギルドにも話を通そう。お前の技術は、もっと多くの人を救えるはずだ」
イビットは長い間黙っていた。その小さな瞳の中で、様々な思いが交錯しているのが見て取れた。
「...考えてみる」ついにイビットは答えた。「でも、もっと、データ必要」
リックは笑った。「ああ、たくさん集めようじゃないか。お前の研究、手伝わせてくれ」
夕暮れが迫る森の中で、人間の冒険者とゴブリンの少年は、これからの計画に思いを巡らせていた。それは、単なる治療と血液の取引を超えた、新しい可能性への第一歩だった。




