メイの告白代行
別サイトにあげていたものを加筆修正してみました。
自分で言うのもなんですが、本当に好きなお話なので、楽しんでいってください!
「あなたが噂の"告白代行人"の方ね?」
「……"情報伝達員"のメイと申します」
「まぁ名前の違いなんでどうでもいいわ。それにしても、本当に窓からやってくるなんてびっくりね。それで、今回頼みたいことは……」
内戦が終わり早2年。
落ち着きを取り戻した貴族社会では、とある事をするのが流行っていた。
「オリバー様にね、『3年前の夜会でお会いしてからずっと貴方を慕っております』って、伝えてほしいの!」
きゃ〜っ!と赤く染まった顔を手で覆い隠した令嬢を見て、この国も平和になったものだと内心ため息をつく。
私が12歳で情報伝達員としての仕事を始めてから、17歳になり内戦が終わるまでの5年間は、もっと重要な仕事を担っていたのだ。
例えば、国王と国王派の貴族の間の機密事項を含むやり取りの伝達、内戦の作戦の中核となる情報の伝達……
それなのに今は告白代行をしているなんて……国が平和になり自由恋愛が出来るといった点ではいい事なのか?
そうだとしても、もっと役に立つ仕事がしたいと感じてしまうのは許して欲しい。
「出来れば今日の夜、伝えに行ってほしいわ。噂通りなら、貴方空を飛べるんでしょう? それなら平気よね」
「本日の夜ですね。了解致しました」
このままここにいると惚気話で長くなりそうなのでさっさと撤退することにした。
◇◇◇
夜無事にオリバーという令息に伝言、もとい告白代行というものを終え、屋根の上を駆け抜けながら、家路を急ぐ。
空を飛べる訳では無い。
だが、通常ありえない体力や脚力を使って、屋根の上を駆け抜けることは出来る。
別に下の道を通っても良いのだが、人にぶつかってしまっては大変なので、屋根に昇っているだけだ。
このスピードを使って内戦時代は情報伝達をこなしていた。
何故このように走れるのかと言えば……
「ただいま、エリザさん」
「おぉ、おかえりメイ。今日も怪我なく帰ってきて安心だよ。」
町外れの森の中に立つこの家は、見た目は普通だが、家の中では様々な材料が所狭しと並び、中央には大きな鍋が1つある。
そう、エリザさんは魔女なのだ。
その魔法の薬を飲むことによって、私は並外れた脚力を手に入れ、仕事を遂行することが出来ている。
「明日も仕事があるのかい?」
「うん、明日はエドワードから呼び出されているの。久しぶりに告白代行じゃない、何か重要な任務かもしれない」
「そうかい、そうかい。頑張っておいで。ただ、危険の伴う仕事なら断ってきて良いからね?」
「うん、わかってる」
エドワードとは内戦時の、上司と部下のような付き合いだ。
そもそも内戦は私が10歳の頃、つまり9年ほど前に始まったらしい。
元々国王派と反国王派で不穏な空気が漂っていた貴族社会だったが、反国王派が事件を起こしたのをきっかけに内戦が始まったのだとか。
当時、王国の政治を握っていた国王派、アントワール公爵家の一族が一夜にして皆、この世から去るという大事件。
筆頭公爵家を丸ごと失った国王派は内戦前期は苦戦していたものの、後期になると勢いを取り戻し勝利。
そして今に至る。
エドワードの一族、ランカスター公爵家は、アントワール公爵家亡き今、王族に次ぐリーダーなのだ。
私が国王派と初めて接触したのは12歳の頃。
森の中でエリザさんに頼まれた薬草を探していると、少し離れた所から何やら物音がすることに気がついた。
森には獣も多いから危ない。
そうエリザさんに教わっていた私は、何とかやり過ごそうと茂みの影に身を潜めた。
しかし運の悪いことに物音はだんだんと近づいてくる。
もうこうなったら戦うしかないと心に決め、そばにあった木の棒を持ち振り返ると……
そこにはヒトがいた。
「あ、……あなたは誰!」
「待って、そんなに大きい声を出さないで下さい!」
そう懇願してくる男の子を見て、声のトーンを下げる。
「何故こんな場所にいるの?」
「それは僕も同じ事を聞きたいですが……」
「私はここに住んでいるの」
金髪碧眼の男の子はどう見ても森には似合わない。おそらくエリザさんの言っていた『貴族』という人なのだろう。
「貴方はここに住んでいるのですか!?」
「えぇ、そうだけど」
「どうか貴方の家に、私と私の主を匿ってくれませんか?もう、頼るあてがないのです」
こんなお願いをされて断れる訳もなく、私はこの男の子と、もう1人燃えるような赤い髪の男の子を連れて家に帰った。
突然、2人の男の子を連れて帰ってきた私を見てエリザさんは驚いていたが、何も言わずにシチューを作ってくれた。
魔女故にお金を稼ぐことが難しいのにも関わらず、エリザさんはいつも優しい。
エリザさんが森の中で倒れていた私を発見し、保護してくれた時も温かいシチューを作ってくれた。
そしてシチューを食べ、一旦落ち着いてから、エリザさんは口を開いた。
「そこの赤髪の坊や、貴方は王太子様でいらっしゃる。一体何故こんな所まで?」
「実は……私は今、反国王派の貴族に追われているのだ。魔女殿まで巻き込んでしまってすまない」
エリザさんの言葉を聞いて私は驚く。
世間知らずな私でも、王太子という人物がどんなに偉い人なのかは知っているからである。
そして、噂程度にしか流れてこなかった内戦の過激さを感じる。
何か、何か。
私に出来ることは無いのだろうか。
王太子を、そして貴族であるのに、見ず知らずの私に頭を下げた男の子を、助けてあげたいと思った。
「私……何か手伝いたい」
思った時には、既に言葉になっていた。
そんな私に対してエリザさんは少し困ったような笑みを浮かべたあと、ため息をついて話し出す。
「本来は、魔女が国のどちらかの派閥に属することは禁じられているのだが……メイに初めてやりたい事が出来たのなら、私はそれを応援したいからねぇ……」
その頃の私は、毎日意味もなくぼんやりと過ごしていた。
だから、自分から何かを「やりたい」というのは初めてだったのだ。
暫く無言の時が流れたものの、エリザさんは再び口を開いた。
「まぁ、メイが国王派に参加して、私がそれをこっそり補助するくらいなら構わないかなぁ……ははっ、それに実は私も国王派の手助けをしてやりたかったんだよ。そう……例えば情報の伝達係なんてどうだい? 私が魔法を使って、メイを早く走れるようにしてやろう」
その言葉を聞いて嬉しい気持ちになる。
私はただの拾い子なのに、エリザさんはいつでも私の味方だ。
「メイ殿、魔女殿、実にありがたいです。しかし、僕ら国王派は不利な状況にあるのですが……それでも良いでしょうか?」
王太子の側近は不安そうに尋ねる。
「構わないわ。それに、働けばもちろん報酬が貰えるのよね? これで、エリザさんがお金に困ることも無くなるわ」
「お金の話なんて二の次でいいんだ……ただ、無理な話かもしれないがね、最低限メイの安全を守る努力はして欲しい」
「メイ殿がそう仰るなら僕らも嬉しいです。ありがとうございます。そして魔女殿、貴方の大切なメイ殿は、責任もって預からせて頂きます」
側近が私達にお辞儀をすると、王太子まで頭を下げてきた。
「いや、あの。2人とも顔を上げて。あなた達、偉い人なんでしょ? 私に頭を下げても何も無いわ」
「協力者に対して頭を下げるくらい当然のことです。僕はエドワード・ランカスター。そしてこちらのお方は王太子、フィリップ・カール様でございます。どうか今後ともよろしくお願いします」
「え、えぇ。こちらこそ」
これがエドワードとの出会いだった。
それからすぐに私は初の任務としてランカスター公爵家へ、王太子の生存報告をしに行った。
最初こそ信用されず、報告に行った私を数日間、不自由は無いものの部屋に閉じこめる、という軟禁に近いものをくらった。
しかし、数日後エリザさんが2人を連れてやってきたことで私の言動が証明され、謝罪を受け、晴れて情報伝達員となったのだ。
「……メイ! ……メイっ! あんた今日はエドワード様の所の任務なんでしょうが。19になっても1人で起きられないなんて困ったものだねぇ」
「……寝坊……エリザさんありがとう」
さっさと準備を済ませ、そのままランカスター公爵邸まで突っ走る。
が、森を走っている途中、とある花を見つけた為少し立ち止まる。
このくらいの寄り道ならギリギリ大丈夫だろう。
そう思い何本か摘み取り小さな花束を作る。
この花の名前はローズマリー。
目立つ花では無い。
しかし私が15歳くらいの頃だろうか?
エドワードから靴を貰ったお礼に、ローズマリーの花束を渡した時、彼はそれはそれは喜んでくれたのだ。
『僕はこの花が大好きなんだ。ありがとう』
そう言って微笑んだ顔が、何だかとても素敵に思えたのだった。
叶わぬ恋だ。
私は魔女に育てられた、身元不明の記憶喪失の女、かたや彼は公爵家の跡取り……
……こんなことを考えていては遅刻してしまう。
無心に足を動かすこと1時間、ようやく公爵邸が見えてきた。
公爵邸の3階のバルコニーに着地し、慣れた手つきで窓を3回叩く。
するとカーテンと窓が開けられて、金髪碧眼の見知った顔が現れた。
「おはようメイ。遠いところを朝から呼び出してすまない」
「ううん、大丈夫。なにか用事があったんでしょう?」
「メイは相変わらずせっかちだね。実は……なんとね......」
「もったいぶらなくていいから」
他の人の前では許されないが、2人きりもしくは王太子を含め3人の時は、敬語は要らないと言われている。
情報伝達員として働くようになってから暫くは敬語を使っていたが、いつだったか、急に敬語はやめてくれとエドワードが頼み込んできたのだ。
エドワードとしては、気の許せる友達が欲しいと言っていた。
全く、友達も少ないから未だに婚約者の1人もできないのだ。
「実はね、メイに伯爵位が渡されることが決定したんだ!」
自分の事のように嬉しそうに笑うエドワードを見る。
伯爵位……果たして名誉的に喜ぶものなのか、厄介な仕事が増えたと悲しむべきなのか。
「メイ、これってすごいこと……喜ぶべきことなんだよ。これで、僕が社交界シーズンの舞踏会で1人にならずに済む……」
「それってエドワードが嬉しいだけじゃない」
「はは、バレたか。でもメイだって、もう少し嬉しい顔をしてもいいんだよ?」
「私は表情が乏しいこと、知っているでしょう?」
「それはそうだけどさ」
勿論、貴族の位を頂けるなんて嬉しい気持ちはある。
それに何より、エドワードと舞踏会に参加出来るのは、手放しで嬉しい。
しかし私は感情を表に出すのは苦手なのだ。
「あと、それともう1つ頼みたいことがあって」
「何?」
少し声のトーンを落とし、まるで秘密事でも話すかのように顔を近づける。
そして、そっと私に伝えたのだ。
「僕の告白代行、頼まれてくれない?」
「……え?」
「メイは最近そういった業務も承ってるって聞いたんだけど、違った?」
「あ、いや。一応やってるけど」
「良かった。それでお願いしたい相手がね、」
この時ばかりは感情が顔に出ないタイプで良かったと感じた。
かなり驚いて……そしてショックを受けたものの、ほぼ表には出ていないだろう。
「ローズマリー・アントワール」
「ローズマリー・アントワール……? って、内戦のきっかけになった、あの事件で亡くなったアントワール家の方?」
「そう、彼女に『好きだった』と伝えて欲しいんだ」
噂には聞いたことがある。
アントワール家には大層美しい少女がいたと。
ローズマリーのような薄紫色の髪を持つ、笑顔が素敵な末娘だと。
そういう事か。
友達が少ないから、とかそんな理由ではない。
エドワードは彼女のことをずっと想っていたからこそ、婚約者を取らなかったのだろう。
目の前の彼は、どこか切なそうな、それでいてスッキリとしたような表情で私に頼んだ。
「了解致しました」
「すっかり仕事モードだね。あと、代行は多分今日中に終わると思う。だから終わり次第……夜でもいいから僕の所にもう一度来て欲しい」
「終わり次第ですね。了解です」
「助かるよ。よろしくね、メイ」
情報伝達人としての任務を断れるはずは無い。
心に大きな穴が空いたような気持ちのまま、私は彼に背を向け、バルコニーへと飛び出した。
こんな時でさえ涙の1つも出ない。
ローズマリーはきっと、可愛く泣くことができたのだろう。
亡くなってなお、笑顔が素敵だと語られているのだから、さぞかし表情豊かだったに違いない。
私はポケットに入れていたローズマリーの花束の存在を思い出し、取り出してみた。
私の平凡な茶髪とは似ても似つかない、綺麗な薄紫色。
彼がローズマリーの花をプレゼントされて喜んだのは、きっと「ローズマリー」との思い出があったからだろう。
「馬鹿みたい」
私は花束を投げ捨て、気持ちを集中させた。
……故人に告白代行するのは初めてだ。
お墓に行って伝えれば良いのだろうか?
確か内戦で亡くなった人は皆、王宮の近くにある墓地に埋葬されていたはず。
そこで探してみよう。
私は勢いよく飛び上がり、また屋根の上を走り始めた。
◇◇◇
「ルシウス・アントワール、セレナ・アントワール……」
墓地に着いた私は、雨の降る中、墓碑を1つ1つ確認していき、ようやくアントワール公爵家の墓へたどり着いた。
目に雨が入ったのか、一瞬視界がぼやける。
それでも、私は探し続ける。
「ジョゼフ・アントワール、ライアン・アントワール……」
今度は頭が鈍く痛くなってきた。
雨に当たりすぎたせいで体調が悪くなったのかもしれない。
情報伝達員だった頃はこんなことはなかったのに……随分と弱くなってしまったものだ。
そして私は遂に、目的の名前を見つけ出した。
「ローズマリー・アントワール……享年10」
紛争のせいで、こんなに幼くして亡くなってしまうなんて……。
そんな事を考えていると、先程までとは比べ物にならない激しい頭痛が襲ってきた。
視界もどんどんぼやけていく。
「……何、やだ、助けて! お父様、お母様、お兄様!!」
お父様……お母様……お兄様……?
……
……
「お父様、お母様、本日も一日お疲れ様です」
「おぉ、愛しいローズ! 今日のダンスのレッスンはどうだったかな?」
「大分上手くなってきました。12歳になって、社交界デビューするのが楽しみで仕方ありません!」
「あぁ、私も楽しみだよ。なぁセレナ、ローズには一等可愛い衣装を着せてデビューさせたいね」
いつもと何ら変わらない、そんな夜。
相変わらずお父様は私に甘い。
「勿論、けれど衣装だけ華やかでは困るわね。ローズ、もっともっと練習を重ねましょうね?」
「はい! お母様!」
「社交界の花である君が、手取り足取りローズに教えているんだ。きっと親子揃って会場の皆を惹き付けるに違いない……!」
「まぁ、ルシウスったら!」
そして、今日も今日とてラブラブな両親である。
「お父様、お母様、ローズ! 待たせてすまない。雑務が終わらなくて少し遅くなってしまった」
「あら、お帰りなさいジョゼフ。」
「今日もご苦労だな。私の同僚が言っていたぞ。『ジョゼフ殿は勤勉で博識だ』とね」
「なんだか照れますね」
「ただ、いつも無表情だから近づき難いとも言っていたぞ」
お兄様の無表情な姿などあまり思い浮かばなくて、少し笑ってしまう。
「いやぁ、集中していると、どうやらそういった風に見られるみたいで……」
「兄上は『クールな貴公子』らしいぜ。俺の同級生の女子達が毎日ギャーギャー言ってる」
いつから話を聞いていたのか、いつの間にかライアンお兄様も帰ってきて、一家が揃う。
「そ、それは誤解だし、とても困るなぁ」
「あら、ライアン今日も帰りが遅かったじゃない」
お母様の鋭い指摘に、ライアンお兄様の目が泳ぐ。
「ちょっと勉強してたんだって」
「ライアンお兄様は勉強と言いつつ、どうせお友達と遊んでいらっしゃるのでしょう?」
そう私が聞くと、お兄様は見るからに顔を青ざめさせる。
「ち、違うって。本当に!」
「では、この間の筆記試験の結果をそろそろ見せてもらおうかね。実技じゃないぞ? 筆記だ」
「うわぁ、父上待って。それだけは勘弁してくれ」
お父様のトドメの一撃にみんなで笑いあうと、いつものように夕食の席に着く。
貴族にしては珍しく、私の家は一家揃って夕食を食べることが決められていた。
それほどに家族愛が強かった。
「ねぇ、ジョゼフお兄様? 私どうしてもこのカボチャのスープだけは苦手なの。食べてくれないかしら?」
お母様にバレないようにそーっとスープを差し出すと、10歳年上のお兄様は嬉しそうに受けとってくれた。
「可愛い妹の頼みならしょうがないなぁ。次は頑張るんだよ?」
「はい!」
と言いつつ次もきっと食べてくれるだろう。
そう、次なんて永遠に来ないことをこの時は全く知らなかった。
◇◇◇
パチ......パチパチ.........
聞き慣れない音と鼻にまとわりつく焦げ臭い匂いに目が覚める。
窓から見える月が不気味に夜空を照らしていた。
眠い頭をどうにかたたき起こして考えるみると、もしかして火事なのではないか、という考えに辿り着いた。
「……とりあえず、メイド達を呼んで知らせなきゃ」
ベッドの横の天井から伸びている紐を引っ張る。
1分待った。
2分待った。
それでも誰も来なかった。
とうとう、色々な意味で屋敷の様子が異常なことに気が付き始める。
「おかしいわ、誰も来ないなんて。そもそも私が火事に気づいた時点で、他の人達が消火を始めていてもいいはず。なのに、」
この屋敷からは、まるで人が居なくなったかのような不気味さを感じる。
誰も火事に気がついていない?
誰も消火に動いていない?
「とりあえず、隣の部屋のお兄様達の所へ!」
私の部屋は2階にあり、お兄様達とは部屋が続いていた。
廊下に出るとより一層焦げ臭い匂いが増したが、そんなものは我慢して走った。
「ライアンお兄様!!!」
部屋の扉を開け、ベッドを覗き込むと、そこにはありえないくらいスヤスヤと寝ているライアンお兄様がいた。
「起きて下さい!屋敷中が火事なんです!!」
「...。.....。..................」
少し体が動いたものの反応はない。
「……ねぇ! お兄様!!」
精一杯の力を込めて叩こうとも全く起きない。
このままじゃダメだ。
ここは一旦、ジョゼフお兄様を起こしてこよう。
そう思ってそのまた隣の部屋まで移動する。
もうかなり煙も濃くなってきたように思う。
「ジョゼフお兄様!!」
そう叫びながらドアを開けると、そこには床に転がって寝ているお兄様の姿があった。
「大丈夫!? お兄様!!」
急いで駆け寄ると、ジョゼフお兄様もライアンお兄様と同様に、ぐっすりと眠っていた。
私が大声を出してもピクリともしない。
何かがおかしい。
ようやくこの時気がついた。
そもそもこんな火事になって、家の中の人が誰も気づかないなんてことはないのだ。
睡眠薬でも盛られたに違いない。
でも、何故私は起きることが出来た?
「……かぼちゃのスープだわ」
スープなら使用人も同じものを飲んでいるはず。
そして、だからジョゼフお兄様はライアンお兄様と比べて、特に眠りが深いのだ。
私が飲ませてしまったから。
「お兄様……お兄様!! ごめんなさい。私のせいで」
私がどれだけ大声で泣き喚こうと、ジョゼフお兄様は起きなかった。
そんなことをしているうちにも、煙はどんどん濃くなり、パチパチという炎の音は大きくなってきている。
いよいよ2階も危ないから、速く1階へ逃げなければ。
両親の部屋は3階だ。もう、煙は充満してしまっていることだろう。
どうか。
どうか、周りに住む方が異変に気づいて、救ってくれますように。
そう願うしかない。
私はその後、屋敷内にある抜け道を通り、気が遠くなるほど長い地下道を歩き続けた。
歩いて、歩いて、もう何時間歩いたか分からないくらい歩いて。
倒れるかと思った頃、地下道が突然途切れ、ハシゴを登ると廃墟の中に出た。
私は出口のそばにあった洋服掛けからフードを取って、それを被り外に出る。
こうして私は、王都を過ぎた先にある、小さな町へと逃げることが出来たのだ。
「今日も新鮮な野菜、沢山売っているよー!」
「ねぇお母さん、僕あのドーナツが食べたい!」
「さっきチョコレートを買ってあげたでしょう? また今度」
「先輩、今日仕事が終わったら酒場に行きませんか? 勿論、先輩の奢りで!」
「図々しいやつだなぁ、まぁたまには奢ってやるか!」
「手相占いはいかがかねぇ……」
廃墟を抜け出して10分歩いただけで、そこには平和な日常があった。
あまりに平和すぎるから、私も今地下道を引き返したら、大好きな家族のみんなが、優しい使用人のみんなが、大切な家が、無事であるような気がした。
そうだ、きっとみんな無事だ。
地下道を引き返そう。
そう思った時だった。
「号外! 号外だー!」
町の外の方から、新聞が沢山積まれた馬車が、はやく道を開けろというようなスピードで、駆け込んできた。
「この新聞は特別に無料だよ。みんな読んでってくれ、大事件だ!」
馬車から降りた男は、手当り次第に新聞を押し付けていく。
受け取った新聞の見出しには、
【アントワール公爵家一族が死亡】
想像の範囲内ではあった。
それでも、想像したくない結末だった。
私が助けを呼べばよかった?
いや、私があの後王都をウロウロしていたら、敵派閥に殺されてしまっただろう。
じゃあ、私もあの時みんなと一緒に死ねばよかった?
なんで私だけ助かってるの。
そこからはフラフラと町を出て、森をさまよった。
さまよってさまよって、遂には倒れた。
もうこのまま死んでしまいたいと思いながら……
……
……
はっと意識を戻すと、そこには私と、私の家族のお墓があった。
視界も段々とはっきりしていき、目の前に出来た水溜まりの中に自分の姿を見た。
目に入ったのは、元々の地味な色の髪ではなく、ローズマリーのような薄紫色の髪。
あぁ、本当に私はローズマリーなんだ。
そう自覚した途端、私の視界が歪み、大粒の涙が流れ落ちた。
悲しいから泣いた。
「可愛くなんて泣けないじゃない……」
メイとして生きてきた中で、初めて感情をあらわにした日であった。
◇◇◇
その日の夜。
雨は止み、星がまたたいている。
私はフードを深く被り直し、いつものごとく屋根の上を走っていた。
結局あの後一度家に帰り、エリザさんに記憶を取り戻したことを伝えた。
するとなんと、記憶を消したのは私であると、エリザさんが言ってきたのだ。
「森で倒れてたあんたを拾ったのはいいけど、起きてからずっと意味もなく泣いていてね。しゃくり声もあげず、悲しい顔もせずに泣くんだよ」
エリザさんは真面目な顔で私を見つめる。
「だから、あんたが感情を制御できるようになるまで、記憶を封じておいたのさ。そのためにちょっと髪と目の色も、貰わなくちゃいけなくてねぇ」
黙って記憶を奪ってごめんよ。と、申し訳なさそうな表情を浮かべた。
寧ろ迷惑をかけたのは私なのに。
「私のことを助けてくれてありがとう……私、エリザさんのこと大好きだから、そんな顔しないで」
私がそう言うと、エリザさんは一瞬驚いた顔をしてから抱きしめてくれた。
「あんたの髪の色は珍しいからね、わたしゃ直ぐにわかったよ、公爵家の令嬢だってね。まだ幼い子供にここまで酷い思いをさせるなんて、中立を守るべき魔女ながら、反国王派を憎いと思ったよ」
「だからエリザさんは、私が情報伝達員に……国王派につくことに協力したんだ」
「まぁ、そんなところかねぇ」
エリザさんには感謝してもしきれないなと考えていると、目的地が見えてきた。
薄紫の髪が見えないよう、もう一度しっかりとフードを被り直す。
そして、いつものように公爵邸の3階のバルコニーに着地し、窓を3回叩いた。
すると1秒も経たずに勢いよく、カーテンと窓が開けられて、何だか神妙な面持ちをしたエドワードが現れた。
「……あ。ありがとう、来てくれて」
「うん。依頼の件だけど終わらせてきたよ」
「そ、そうか。ありがとう」
私は今日、エドワードに「好き」という気持ちを伝えたいと思っていた。
しかし、ただでさえ記憶を取り戻して、よく分からない状況にいるのに、エドワードの様子を見ていたらもっと混乱してきた。
エドワードが好きなのはローズマリー。そして、ローズマリーはメイ。じゃあ、エドワードはメイの事が……私の事が好きなの?
そもそもローズマリーとして生きてきた中で、エドワードと関わった記憶はあまり無いけれど……?
いや、ここはもう何も考えずに直球勝負をしてもいいじゃないか。
元から期待のない恋だ。
当たって砕ければいい。
そう思って口を開こうとした瞬間、エドワードが私の手首を掴んだ。
「ちょっと、話を聞いてくれるかな?」
「……うん」
「実は今日、告白代行を頼んだのは、ローズマリーへの気持ちに区切りをつけるためなんだ」
頭が真っ白になる。
「区切りをつけるってことは……新しく好きな人が出来た……とか?」
「そういうこと」
「ふーん」
視界が歪んでいく。
あぁ、また泣いちゃってるんだ。
これではエドワードも困ってしまう。
はやく、はやく泣き止まなきゃ。
「え、どうした? 何か、悪いこと言っちゃったかな僕」
普段、表情など表には出さない私が泣いているからか、エドワードはとても焦っているようだ。
「ううん、ち、違うの。待って、っちょっと、もう少しで……っおさまるから」
そう答えていると不意に、暖かいもので体が包み込まれる。
「泣かないで、メイ……その、僕は君のことが好きなんだ。迷惑かもしれないけど、どうしても伝えたくて。だから、泣いているメイを見るのは僕も悲しい」
驚きすぎて、涙がひっこんだ。
その言葉にも、彼が私のことを抱きしめているというこの状況にも驚く。
「い、今、なんて?」
「……僕がメイのことを好きって、言った」
「え、そんな素振り何もなかったじゃん」
「そうだね。好きだなって思ったのは、メイからローズマリーの花を貰った時。だけど、それはローズマリーにメイを重ねているだけじゃないかと思ったんだ」
ローズマリーも同じように僕にローズマリーの花をくれたんだ。
あの頃の僕は、周りの期待に押しつぶされて、どんどん感情を失ってしまっていた。
そんな時、アントワール公爵家を訪れたら、偶然ローズマリーに出会った。
「元気が無いの? それなら、私のとっておきの宝物、あなたにあげる!」
彼女は太陽のような笑顔で、ローズマリーの花束を僕に手渡して、
「そう、笑顔が1番よ。あなたの笑顔、とっても素敵!」
そして、笑顔でいてもいいことを教えてくれた。
そう彼は思い出すような、懐かしい目をして語る。
「でも、メイとずっと一緒にいるうちに気がついたんだ。僕が今好きなのはメイだって。その、不器用だけど優しい所が好きなんだ。父にお見合いをさせられた時も、いつだってメイだったらいいのにって思ってた 」
そんなこと、何も知らなかった。
でも、ローズマリーはメイで、メイはローズマリーだから……?
「実は、メイに爵位を渡すように進言したのは僕で……勿論メイ自身が功績をあげたってことが1番なんだけど、その、もしメイが僕と付き合ってくれるのなら、身分は問題になるから。そういう気持ちも少しあって」
ひと呼吸おくとまた続ける。
「今日の夜こそ、この気持ちを伝えようと思ったんだ。メイに告白代行を頼んだのは、願掛けみたいなもの」
新しく知ったことが多すぎて、またしても頭がこんがらがる。
「沢山話しちゃってごめん。ゆっくりでいいから、僕とのこと考えてみて欲しい」
「わ、私ね?」
「……何?」
ゆったりと、温かい口調でエドワードは返事をしてくれる。
もう、これは言ってしまうしかないと思い、私はゆっくりと被っているフードを外した。
ローズマリーとして生きていた頃の長い髪では無いが、肩につくくらいの薄紫の髪がこぼれ落ちてくる。
「……メイ? ……これって、」
見覚えのある髪色にエドワードもなにか気づいたようだ。
「ご機嫌よう。アントワール公爵家が娘、ローズマリーでございます……って昔は言ってたかな?」
「メイ……ローズマリー……?」
明らかに困惑の表情を浮かべたエドワードの腕から離れると、あの頃と同じようにカーテシーをした。
もう10年くらいしていないのに、体は覚えている。
「私はローズマリーとしての過去を持つメイ」
「じゃあ、記憶を無くして倒れている所を魔女様に救われる前は、ローズマリーだったのか」
「そういうことだね」
ここで、この1日に起こった出来事を話す。
私が、エドワードのことを好きで勝手に失恋していたことも……
「そんな大変なことがあった時に、わざわざ呼び出しちゃってごめん……」
「いや、気にしないで大丈夫。体調も悪くないし」
どことなくギクシャクした雰囲気になる。
「それで、その話によると……メイは僕のことをよく思ってくれているってことで間違いないかな?」
これで誤解だったら泣くよ? と笑う彼。
「うん。改めていうね、わたし……私、エドワードのことが好き! こんな過去を持つ私だけどよろしくお願いします」
「ローズマリーもメイも君でよかった」
彼はそう言って、もう一度私を抱き寄せると、そっとキスをする。
軽くお互いの口が触れた後に、エドワードの瞳の中を見れば、ひどく幸せそうな笑顔を浮かべる私の姿があった。
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反応があれば後日談も後書きに追加したいと思います。