9.AIとの攻防
やっと航空会社カウンターの順番が回ってきた。しかしカウンターにたどり着くやいなや、年配の女性スタッフに、いきなり先制パンチをくらった。
『空港はもうすぐ閉鎖されます。出来るだけ早くこの空港から出ていってください』と女性スタッフは私たちに告げた。
なんという言い草だろう。長いこと待った挙句に、こんなことを言われるとは。里美と顔を見合わせた。
『ちょっと待ってください!』と私。突然出ていけと言われて、何と返したらいいのか分からなくなった。
『なんで私たちの乗っていた飛行機は止まったんですか? ニューヨークやワシントンの近くを飛んでいたわけでもないのに、どうして』と取りあえず質問してみた。相手が回答している間に、ひるんだ態勢を整えることにした。
『テロリストに乗っ取られた飛行機がワールドトレードセンターとペンタゴンを攻撃しました。それから多くの飛行機がハイジャックされているという情報が入ってきました。そのため連邦航空局がアメリカ上空を飛ぶすべての飛行機に対して緊急着陸命令を出しました』
スタッフは続けた。
『その命令に従わない飛行機はハイジャックされていると見なされ、撃ち落とされるという話でした。そのため、あなたの飛行機は最寄りのこの空港に着陸したという訳です』
AIみたいな口調だと思った。
『本日の飛行機はすべてキャンセルになりました。可能な限り早くここから出てください』とスタッフは改めて私たちに宣告した。すると、スタッフは、「言うべき案内はすべて話した」というような落ち着いた顔を見せた。その顔を見て私は焦った。まだ何の用も済んでいないのに、『はい、次の人どうぞ!』と言い出しそうな雰囲気を察知した。
『いやいや、困ります!』と私は慌ててカウンターをつかんだ。閉まりかかる無情の扉にむりくり片足を突っ込んで止めにかかった。ここで空港を追い出されたら、外国の未知の町で野宿という最悪のシナリオが現実味を帯びてきてしまう。こんなゴタゴタの中でホテルが取れるという保証など、どこにもない。絶対に扉を閉めさせてはならない。そして薄く開いている扉の隙間から頭をねじ込んで、こちらの主張をまとめて伝えることにした。
①私たちは突然異国の知らない町に降ろされて、行くあてもなく大変困っている。
②サポートが必要なので、助けてほしい。
③具体的なサポートをもらえるまでは、ここを離れるわけにはいかない。
ところがどうしたことか、私の決然とした主張もスタッフの耳にはまったく届いていないように見えた。わざと私を無視している感じではなかったが、ラジオのように単純に波長がずれていて私の声をキャッチ出来ないというような無反応だった。目は合っているが、スタッフの脳が私を認識しているかどうかさえも、怪しい。もしかしたらスリープモードに入っているのかもしれない。おい、起きろ! と心の中で叫ぶ。AIみたいなスタッフは咳払いをした。
『とにかく、閉鎖される前に空港から出てください』と無機質な声で繰り返した。
『どこにも行くところがありません。だからここから動けないんです』と私は食い下がった。ここでやすやすと撤退するわけにはいかない。しばらく無言の膠着状態が続いた。そこに背後から、突然日本語で話しかけられた。
「すみません、日本の方ですか?」
「はい」と私は振り返った。声の主はムサシと名乗る団体ツアーの女性添乗員だった。モントリオールへ向かう途中で、この空港に緊急着陸したという。後ろの派手なカップルよりもさらに後方に並んでいたらしい。
「今どんな感じですか? ホテルとか手配されました?」と添乗員が私にたずねた。
「ホテルどころか、空港が閉鎖されるから早く出てくださいって言われてます」と添乗員に説明した。添乗員の後ろには不安そうな日本人のツアー客三人の顔が見えた。
AI的スタッフの様子が変わった。急にリブートしたみたいだった。スタッフは、私と添乗員を交互に見ながら口を開いた。
『全部で何人いるんですか?』
どうやらスタッフは、私と団体客が同じグループだと勘違いしたようだった。ああ、そうか、これを生かせばいいのか、と気づいた。二人より団体の方が交渉しやすいはずだ。添乗員によると、全部で十五人の団体だという。
『全部で十七人です』と私と里美の人数を加えて、スタッフに伝えた。スタッフは、『空いているホテルがあるか確認します』と言って即座に電話を掛け始めた。
すると今度は後ろのレディーファーストの男性が『ホテル、取れそうなの?』と英語で話しかけてきた。
『今探してくれています』と私は答えた。
『俺たちの分もお願いできないかな』と男性は言った。その様子を見ていた隣の列のきれいなシルバーヘアの夫婦も声をかけてきた。
『わたしたちも一緒に泊まれませんか?』
そこでスタッフに四人の追加をお願いした。しかし中々ホテルは見つからないようだった。十軒位電話したところで、スタッフはこう言った。
『町の主要なホテルはすべていっぱいです』
『別に立派なホテルでなくていいです。どこかないですか?』と私。
『こんな事件が起きて移動できない人が大勢いると考えられます。どこも満室です。とくに普通のホテルは空いていないと思われます』と抑揚のない声で言った。
今は正体不明のテロリストが次々にアメリカの都市を攻撃しているというし、次の標的がどこになっても不思議じゃない。そんな恐ろしい状況下で、右も左も分からない町で、ぶっ壊れたスーツケースをガラガラ引きずり回しながら宿を探すなんて、絶対にゴメンだ!
『どんな所でもいいです。とにかく宿無しは困るんです』とスタッフに必死に訴えた。
『もしどうしてもということになると』とスタッフは少しためらいがちに言った。初めて感情みたいなものが声に乗った。
『設備がそうとう古いとか、衛生面に問題があるかもしれないとか、そういうホテルになりますよ。そして当社では案内するホテルのサービスの保証は一切致しません。それでもいいんですか?』
正直あまりいい予感はしなかった。でも他に選択肢なんかない。今や頼れるのはこのAIのようなスタッフだけなのだ。添乗員やツアー客の方々、カップルや老夫婦に確認してみたが、異議のある人はいなかった。
『はい、構いません。安全な所でさえあれば、あとはお任せます』と伝えると、スタッフは改めて受話器を上げてどこかに電話した。そしてメモを取りながら、電話の相手としばらく話をしていた。ずっと機械的な対応しかしないスタッフだと思ったけれど、案外懸命に手配してくれていた。スタッフは受話器を置くと私たちにこう言った。
『ホテルが決まりました。部屋数が限られているため、相部屋になると思います。四人グループでもツインの部屋になるかもしれません。詳しいことはホテルについてから、直接確認してください』
屋根のある安全な場所で横になることが出来れば、それで十分だと思った。団体客も老夫婦もみんなホッとしたようだった。
『二十分後に送迎バスが来るので、それまでお待ちください』とスタッフが言った。だけど、送迎バスは、なかなかやって来なかった。