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7.エントロピー増大 

 飛行機は滑走路から外れて、変な場所で一旦停止した。窓から斜め後方を見ると、いろんな飛行機がわらわらと集まりつつあった。渋滞発生だ。只事ではない。それなのに何の機内アナウンスもなく、機外に出られる気配もない。静かだった機内がざわめきだした。乗客が次々に不安と不満を口にした。


『何が起きているんだ?』


『ここはどこだ?』


『いつ降りられるんだ?』


『何度電話しても繋がらない』



 そんな周囲のざわつきも気にならないのか、里美はひとり、別の時間軸に存在しているような涼しげな顔で、カロリーメイト(フルーツ味)を食べながら機内誌を読んでいた。



「あのさ、ホント、よくそんなに落ち着いてられるよね」と里美に言った。


「そんなことないよ」ともぐもぐ。


「マジですごいわ」と私は心から感心した。


「だって、ジタバタしたってしょうがないでしょう? 騒いでどうにかなるなら、騒いでもいいけど」


 そう言うと里美は辺りを見渡した。


「どうにもならなさそう……じゃない?」


「まあ、そうだけど……」と私。


 こんな訳の分からない異常事態になっているのに、なんで里美はこんなに冷静でいられるのだろう。思い立つとすぐにブエノスアイレスに飛び立つような熱情と、この冷静さのマーブル模様の繊細さが、里美の魅力のひとつなのだと思い出した。


 ようやく機内アナウンスが流れた。


『ニューヨークで重大な事件が発生しました。管制塔の指示で、最寄りのウィスコンシン州のグリーンベイ・オースティン・ストローベル・インターナショナル・エアポートに着陸しました。飛行機が混み合っているため、もう少しお待ちください』


「なんか事件が起きたって。マジかぁ、なんてこった!」と私は頭を抱えた。


「フライト中の飛行機を止めるって、中々だよね」と里美は新しいカロリーメイト(フルーツ味)の封を開けた。


「ねえ、カロリーメイト、何個持ってきたの?」と聞いてみた。


「私のバッグはね、ドラえもんのポケットなの」


 里美は時々何を言っているのか分からない。


 そのうち飛行機が動き出して、予想していたよりは早く機外に出ることが出来た。


 それから入国審査を受けることになった。聞きたいことは山ほどあったが、ここでは私は審査される側であって、質問できる立場になかった。ボディチェックを受けて、聞かれたことだけを答えた。


 次に手荷物受取所へ移動した。


「何、あれ」と里美がつぶやいた。


「ちょっと……」と私は言葉を失った。


 そこはスラム化した空港なのかと思うような荒廃ぶりだった。停止したターンテーブルやフロアの至る所に大量のスーツケースが無秩序にバラまかれ、累々と横たわっている光景が広がっていた。足の踏み場もない。こんなエントロピーが増大した空港は初めてだ。まるで乱射事件でもあったかのような混沌ぶりだった。


 飛行機が次々に到着しているようで、辺りが混雑しだした。のんびりしている暇はなさそうだった。混沌の渦の底から、急いで自分たちのスーツケースを引っ張り上げた。見るも無残に私のスーツケースはぶっ壊れていた。傷だらけで、ダイヤルロック部品の埋め込まれた部分が丸ごと吹っ飛んでいた。どんな投げ方をしたらこんな壊れ方をするのか。純粋な興味で聞いてみたかったけれど、どこにもスタッフはいなかった。

 壊れたスーツケースをガラガラ引きずりながら、今度は税関へ向かった。税関ではスーツケースの中身を細かくチェックされた。検査が終わると、検査官は税関申告書にサインを書いた。


『日本から来たんだね。ヨコハマに行ったことがあるよ』と検査官は穏やかな口調で言いながら、申告書とパスポートを私に渡した。


『飛行機が緊急着陸して、ここに降ろされたんです。ここはミネアポリスの近くですか?』と質問してみた。


『ここは隣の州のグリーンベイです。近くではないですね』と検査官。


『ニューヨークで何があったんですか?』と私。


 検査官はにわかに厳しい顔つきになった。


『ハイジャックされた飛行機がワールドトレードセンターにぶつかって爆発したようです』


『ええ? ワールドトレードセンターって、あのマンハッタンの……? こういう、二つ並んだビルのこと……?』


 さらに話を聞こうとしたが、別のメガネの検査官に『早く移動して』と遮られてしまった。


『到着ロビーに早く移動してください』


『移動って……到着ロビーに行ってどうしたらいいんですか。どこで何をどうしたらいいのか……?』と私は言った。


『航空会社のカウンターで相談してください』とメガネの検査官は簡潔に告げた。


 いきなりアメリカの見ず知らずの土地に放り出されてしまうなんて。これから私たちはどうなってしまうんだろう。とにかく、まずは航空会社のカウンターを探すことにした。



「ねえ、さっきワールドトレードセンターって言ってたけど、あれ、あのビルのことだよね、ニューヨークの、あのでっかい……」と私。


「そうじゃない? ワールドトレードセンターっていう名前のビルが、そんなにいくつもないでしょ。よく分かんないけど」と里美。



 「FBI」と背中に大きく書かれたレイドジャケットを着た捜査官と非常に大柄な黒い警察犬が到着ロビーを歩いていた。生まれて初めて本物のFBI捜査官を見た。空港が緊迫した状況下にあるのを改めて感じた。ただ物珍しさもあって彼らの姿をずっと目で追っていた。すると、警察犬の方に、何か引っ掛かるものを感じた。


 この違和感は何なんだ?


 子牛位の大きさがあるように見えたが、違和感はその大きさによるものではなかった。とにかく何かがヘンだった。でも何がヘンなのか、よく分からなかった。


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