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4.千手観音と魂のない動物たち

 カナダ側に戻ってカフェで一休みした。「本日おすすめのコーヒー」を頼んだら、金属みたいな奇妙な味がした。


 ①私の味蕾センサーが狂っている。

 ②コーヒーマシーンの故障。

 ③そもそも、そういう味のコーヒー。


 ①~③のどれなのか気になって仕方なかった。けれど確認のしようもなかった。


 その後ナイアガラの町を散策して回って、夜は「レインフォレスト・カフェ」に行った。熱帯雨林のジャングルを再現した内装のレストランだった。その疑似熱帯雨林には象、ゴリラ、トラ、クロコダイル、鳥といった各種生物のロボットが棲息していた。滝や熱帯魚を擁する水槽などが配置されていて、テーマパーク内のレストランみたいな趣きだった。


 唐突に店内の照明が暗くなり、雷鳴が轟いた。やがて細かいミストのような雨が降ってきた。一定時間ごとにアトラクションのような演出があるようだ。薄暗い森のあちこちで稲妻が絶え間なく光った。魂のない動物達の不安そうな鳴き声が森の中に響いた。


 里美は料理をあれもこれもと注文した。ベーコンチーズバーガー、ヒッコリーチキン、プラネットアースパスタ、シュリンプタコスが、テーブルに所狭しと並んだ。里美は千手観音ばりに次々と手を伸ばすと、料理を端から平らげていった。痩せの大食いだ。学生時代からそうだったが、二十九になって未だに食欲が衰えないのは驚異だ。このスレンダーな体のどこに食べ物は消えていくのだろう。人体の神秘だ。


 食事が終わった後、また夜のナイアガラの滝まで散歩に行った。二人でベンチに座って滝を眺めた。暑すぎず寒すぎず、湿度もちょうどよく、とても気持ちのよい夜風が吹いていた。遊歩道沿いに直径一メートル半位の大きな投光器が設置されていて、そこからカラフルな光が巨大な滝のスクリーンに向けて照射されていた。里美はバッグからカロリーメイト(フルーツ味)を取り出した。


「さっき、夕飯食べたばかりじゃん」と思わず口にした。


「これは別腹」と里美は内袋を破いた。


「あのさ、カロリーメイトさ、いっつもフルーツ味じゃない?」


「うん」と里美。学生の頃から里美はこの味ばかり食べていた。


「さすがに飽きない?」


「他の味はいらない。一度好きになったらそればっかりなんだ、私」


 確かに里美は昔から一度好きになると、他には一切目がいかなくなる。カレーにハマった時は一年間ずっと三食カレーしか食べなかった。高校でも学食でカレーばっかり頼んでた。里美はちょっと極端すぎるところがある。その傾向は食べ物だけじゃなくて、男にも当てはまった。ダメなヤツだとわかっても離れられず、泥沼にハマってえらいこっちゃということが何度かあった。


 虹色にライトアップされた大瀑布は、なぜだか夢の中の景色みたいにリアリティがなかった。時々闇にまぎれたカモメが妙に鋭い声で鳴いていた。


「明日のスケジュールはどんなんだっけ?」と里美が聞いた。


「明日は朝六時に迎えの車が来るから早いよ。起きられる?」と私。


「わかんない」と里美。


 翌朝はトロント空港から国際線でミネアポリスまで行き、そこで国内線に乗り換えてラスベガスまで飛ぶ予定だ。


 滝近くのホテルに戻って、靴を脱いでスリッパに履き替えるとホッとした。里美が「先にお風呂に入っていいよ」と言ってくれたので、甘えさせてもらった。固定シャワーの雨を浴びていると、まだ見ぬラスベガスが白い蒸気の中に浮かび上ってくるような気がした。蒸気の裂け目から、ネバダとアリゾナの州境にあるフーバーダムが見えてきた。フーバーダムで発電された電気が荒涼としたネバダ砂漠の窪地を瞬時に駆け抜けていき、艶やかなネオンの花々に変化(へんげ)すると夜空に向かって一斉に瞬き開いていった。


 ああ、初めてのラスベガス! 初めてのカジノ! 


 明日が楽しみでしかたない。


 シャワーから戻ると、里美が着替えていた。


「なんかもうシャワー浴びるの、メンドクサくなった。このまま着替えて寝ちゃおうかなぁっと思って」と里美。


「えー、シャワー浴びなよ。たくさん歩いて、今日は結構汗もかいたしさ。サッパリしたよ。里美も入りなよ」


 ジーパンを完全に脱いだ里美の太ももの裏側に、赤黒いあざが大きく広がっているのが見えた。


「何それ? 太もも、どうしたの?」と里美に聞いた。


「何が?」と里美。


「何がって、あざ! すごいよ、大丈夫?」


「ああ、何でもないよ」と里美はそっけなく言った。


「いや、何でもないよっていうあざじゃないでしょ、それ。すごく痛そう」


「階段から落ちたの。実際は見かけほど痛くないよ」 


 里美はそう言いながらTシャツを脱いだ。


「ええ、そうなの? いつ落ちたの?」とたずねながら、今度は里美の背中にくぎ付けになった。背中には紫色の小さなあざがたくさんあった。すぐにはカウントできない位の数。


「この前」


 里美はそう答えると、パジャマを着ようとする手を止めた。


「やっぱりシャワー浴びるわ」と里美はそのまま下着姿でお風呂場へと消えた。


 私は肌と髪の手入れとスーツケースの整理と明日の準備を済ませた。里美は中々お風呂から出てこなかった。


「里美、大丈夫?」とお風呂場の外から声を掛けた。


「半身浴してる」と里美。


 だから長湯なのかと安心した。里美が出てくるまで起きていようと思っていたけど、枕に頭を乗せた途端に、瞬殺されたように眠りの底に落ちていった。


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