2.人類の進化の流れ
小さい頃から大人の顔色を伺うことが多かった。家庭環境のせいもあったかもしれない。余計なことを言わないように、間違ったことを言わないように、いつも気を張り詰めていたように思う。
八歳の時に母親が蒸発した。
母は出ていく前に手紙を置いていったらしい。母の失踪について、父は何も教えてくれなかった。母の手紙も処分したらしかった。だから私はいまだに母の蒸発の理由を知らない。
当時、周囲の大人から母の消息について根掘り葉掘り聞かれた。
「なんでお母さん、いなくなったの?」
「お父さんとケンカしたの?」
「今どこにいるの?」
「電話はかかってきたの?」
大人たちが心配そうな、それでいて楽しんでいそうな顔で詮索してくるのが、子供心にすごくいやらしく思えた。
気味の悪い妖怪みたいだった。
妖怪たちは、
好奇心で目をランランと輝かせ、
鋭い舌を炎のように閃かせ、
いやな臭いの息を吐いた。
妖怪が退散するまで、ずっとうつむいたまま、いかり肩で拳を固く握っていた。
その後どういうわけか、私が母のことを周囲にぺらぺら喋ったと父に誤解されたらしく、
「余計なこと言うな!!」
とこっぴどく叱られた。誰にも何も言っていないと泣きながら説明したが、怒った父の耳には届かなかった。
そんなことが影響したのか分からないが、環境の変化を察知するセンサーが誤作動を起こしたらしく、過剰に働くようになった。そのうち私の神経質な受信機は、目に見えない、耳に聞こえない、五感では感知しないはずの信号まで、拾うようになった。
やがて相手の気持ちを損ねることを極端に恐れるようになり、自分でも気づかないうちに相手の言うなりに動くことが増えていった。自分を包囲する無数の情報に、よくない意味で、やたらと影響されるようになったのだ。やりたくないことも、まるでやりたいことのようにやった。そんなことをずっと続けたせいで、そのうち自分というものがせっけんのように摩耗していった。
引き出しの奥にしまってある私の子供時代の写真を出してみると、おかっぱで丸々としたカボチャみたいな顔をしていた。一見すると福々しい輪郭をしているのだが、よく見ると小っちゃな苦い実を奥歯で誤って噛んでしまったような表情を浮かべていた。
不思議なもので、自分と似たナーバスな気質の子とは相性がよくなかった。その子の敏感すぎる神経が伝染してきて、自分のセンサーまで暴走しそうになるのが怖かった。
そのせいか、かゆいところに手が届かないような、鈍感というか大らかというか、里美のような性格の子が好きだった。いつも自然体の里美といると、とてもラクだった。
里美は高校時代の同級生だ。
里美の両親は十四歳の時に離婚した。スポーツ用品会社を経営している里美の父親は、離婚の一年後に会社の元部下と再婚した。里美は義母と折り合いが悪かったらしく、高校一年生の時から一人暮らしをしていた。里美の家はセキュリティ万全の高級マンションの一室で、よく泊まりに行った。それから好きなバンドのライブを一緒に見に行ったりして遊んだ。
里美は自立しようと考えて、高校卒業後に就職した。不動産関係の会社で数年間働いていたが、突然思い立ってブエノスアイレスへタンゴ留学に行ってしまった。青天の霹靂だった。
「生のショーを見る機会があって、すっかり魅了されてしまったの。気づいたらタンゴが私の一部になってしまって。そうなったらもう本場に行くしかないでしょ!」と里美は息巻いて二か月後に日本を発った。
最初留学は一年間の予定だったが、現地のダンス講師の彼氏が出来て、二年、三年と留学期間が伸びていった。
それがこの春になって突如日本に戻ってきた。
久しぶりに再会した里美は、廃屋のようになっていた。苔むした瓦屋根は崩れかけ、変な色のツタが毛細血管のように壁面中に張り巡らされて、暗く濁った窓ガラスは小石で打ち破られていた。
これは由々しき事だと察して、話を聞いた。
今年に入ってアルゼンチン人のルチアーノという彼氏が、知人と「借りた金を返す、返さない」でトラブルになっていたという。そんなある日、彼氏はダンススクールを出た後に忽然と姿を消したそうだ。
「自分の意思で姿を隠しているかもしれないけど、何らかの事件に巻き込まれたかもしれない。私に連絡がないなんてあり得ないもの」と里美は言った。
現地の警察に相談したが、「そのうちふらっと帰って来るよ」と全然取り合ってくれなかったらしい。
里美自身が身の危険を感じることはなかったものの、何となく怖くなって日本に帰ってきたと説明した。未だに彼からの連絡はないという。なぜだか、私たちの周りにいる大切な人たちは、次々と消えていくみたいだ。
父はこの北米旅行の一年半ほど前に亡くなった。大腸ガンだった。最期まで心が通い合うことはなかった。それでも唯一の肉親がこの地上から消え失せてしまった事実を、すぐに受け入れることは出来なかった。もう母は死んだも同然だった。
孤独感というものは、強く抱えて込んでいると物質化するのか、いつの間にか、漬物石みたいにみぞおちに鎮座するようになった。
そのみぞおちの重さを無意識にかばおうとしたのか、気が付くと極度の猫背になっていた。
葬式後しばらくの間は、ウォーキングデッドみたいな姿勢で街中を歩いていたような気がする。
それが年明けの頃から徐々に、教科書の「人類の進化の流れ」のイラストのように姿勢が変化してきて、この春過ぎにはようやくきれいな直立二足歩行ができるまでに回復した。
そして海外旅行をして気分転換したいと思えるほどに、余裕が出てきたのだった。