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10.AMERICA UNDER ATTACK (アメリカ・アンダー・アタック)

 五十分経ってようやくバスが到着した。バスに乗って車窓から外を眺めてみると、低い建物がたまにあるくらいで、他には何にもない穏やかな町に見えた。バスはハイウェイをしばらく走っていたが、やがて側道にそれていき、ホテルのドライブウェイに入って停車した。


 そこは遠い記憶に眠る画素の粗い映像のように古びたホテルだった。看板の『Bright Inn』の最後の「n」が外れていた。二階建てのホテルだったが、建物の奥行きはあるようで、パッと見よりは広そうだった。

「ゆっくり降りよう。慌てなくてもいいよ」と里美が言うので、一番最後にバスを下りた。


 ホテル『ブライト・イン』のフロントはさほど広くなく、私たち以外にも大きなスーツケースを持った旅行者がたくさんいて、混雑していた。ここでもまた行列だ。添乗員のムサシさんが自分のツアー客だけでなく、バスに同乗した全員分の部屋割りをしてくれた。


「すみません、ニシさん」とムサシさんは私に話しかけた。


「お部屋が足りなくて、こちらのタジマさんとツインのお部屋で、相部屋お願いできませんか? 他の方たちにも相部屋をお願いしていまして」


 タジマさんと紹介されたのはベリーショートで同世代くらいの日本人女性だったが、とても困ったような顔をしていた。そして私と里美の顔を交互に見ながらあいまいに頭を振ると、「ごめんなさい」と言ってどこかに行ってしまった。


「ごめんなさいって……なんで?」と里美に聞いた。エクストラベッドを入れれば何とかなるような気がした。エクストラベッドがなくても、ソファだってあるだろうし、どうにかなるんじゃ……。


「さあ。私たちと一緒の部屋がいやだったのかな?」と里美。


 なぜだか振られたような気分になった。


「なんかすみません」とムサシさんが言った。


「ちょっと神経質な方らしくて。一緒でも大丈夫そうですか? あとはもう家族連れとか男性の方とかで、他に振り分けようがなくって……」


「いやぁ、逆に、大丈夫なんですかね、彼女の方は……?」と私。


 フロントの人とやり取りしているツアー客の一人が、「おーい、ムサシさん、来てー!」と大声で呼んだ。ムサシさんは「はーい!」と小走りにフロントデスクの方に向かった。ふいにどこからか、コーヒーのにおいが微かにした。目に見えるところにカフェはなかったが、きっと近くにあるのだろう。


 二十代前半位のよく似た二人の女性がフロント業務をこなしていた。茶色い髪の子の方から、二一八号室のキーをもらった。もう一人の子はブロンドヘアだった。でもブロンドの根元が黒っぽかったので、ブリーチしているのかもしれなかった。家族経営のホテルなのかなと思った。


「ニシさん、先にお部屋に行って大丈夫です。タジマさんには、あとで私から声をかけます。すみませんが、よろしくお願いします!」とムサシさんが言った。ベリーショートのタジマさんは公衆電話の所で分厚い冊子を見ながら、どこかに電話をかけていた。


 階段の横の奥にカフェ兼レストランがあった。あの派手なカップルはもうとっくにチェックインを済ませていたらしく、カフェの中に入っていくのが見えた。それと行き違うようにカフェから長い髪を後ろに結んだおじいさんが出てきた。おじいさんの顔は静かな威厳にあふれていた。深いシワの刻まれた額に山嵐を思わせる眉、その下の聡慧な瞳に理性的に真っ直ぐ伸びる鼻。そして口角が引き絞られたような一文字の口が、頑固さと知性を感じさせた。荒野をさまよう哲学者、といったさすらいの雰囲気もあった。そんな不思議な気配のおじいさんは、フロントのブロンドの子に何やら話しかけていた。そしてその後ブロンドの子と一緒にカフェへと戻っていった。


 私たちは自分でスーツケースを持って色褪せた赤い絨毯の階段を上り、部屋に入った。タバコのにおいが結構残っていた。部屋のクロスはベージュだったが、元々はホワイトだったのかもしれないと思った。設備は相当に年季が入っているようだった。けれども特に汚れているところはないし、白いハイビスカスに似た花も飾られていて、予想していたほど悪くもなかった。情報に飢えていた私は、テレビにまっすぐ向かってスイッチを入れた。



 どのチャンネルでも、朝に始まったテロ攻撃の一連の映像を流していた。



 二棟並ぶ超高層ビルの片側に、すでに大きく黒い穴が開いていて、そこから忌まわしい煙が、大量に青空へと立ちのぼっていた。その様子を中継しているカメラ画面の右端から、新たに飛行機がゆっくりとフレームインしてきた。その飛行機はそのまま真っ直ぐに無傷のビルの方に激突していき、爆炎を噴き上げた。襲撃された双子のビルは、そのうち次々と崩れ落ちていき、カメラのフレームから姿を消した。


 テレビの映像を見て、やっと「崩れ落ちた」の意味が理解できた。想像を絶する光景だった。


『AMERICA UNDER ATTACK』と画面下部にずっとテロップが出ていた。その下に『テロリストがニューヨークとワシントンを攻撃』と表示されていた。中継で繋がった元陸軍大将だという軍事専門家が、『第一容疑者はウサマ・ビン・ラーデンだ』とアンカーに話していた。テレビには白いターバンを巻いた、面長で長いひげの男の顔が映っていた。



「ねえ、座ったら?」と里美に声を掛けられて、自分がずっと立ちっぱなしだったことに気付いた。里美はすでに靴を脱いで、ベッドの上であぐらをかいていた。私はそのままソファーに座り込んで、再びテレビのVTRに目をやった。街は阿鼻叫喚の最中にあった。



 炎上するタワーを背にした路上の警官が、『逃げろ!』と人々に叫んでいた。


 ビルから逃げ出してきたという女性が、『窓からたくさんの人が飛び降りていた』と放心した目を見開いて、濡れた頬をぬぐった。


 ビル倒壊で発生した火砕流のような煙の化け物がみるみると巨大化していき、逃げ惑う人々を呑み込もうとしていた。



 VTRが終わると、白っぽい煙に包まれているマンハッタン島や黒煙が立ち上るペンタゴンのライブ映像に切り替わった。



 今見た映像のすべてが悪い夢であってくれたら、と願った。オーソン・ウェルズの「宇宙戦争」のラジオみたいに、「これまでお伝えしたニュースはすべてフィクションです」と最後に言ってくれたらいいのに。現実は残酷だ。ナイアガラ以上の衝撃に押し流されて、声も出なかった。里美も何も言わなかった。二人で黙ってテレビの映像を見ていた。



 しばらくして、誰かが部屋の扉をノックした。


「はい」と我に返って立ち上がった。誰だろう?


「強盗かもしれないよ?」と里美。


「ムサシです。すみません」と扉の下の隙間から声が聞こえてきたので、鍵を開けた。


「タジマさんのことなんですけど、モーテルに泊まるって言って、出て行っちゃったんです。どうしても知らない人と相部屋は無理だって言って……」とムサシさん。


「ああ……」


「時々そういうフリーダムな方っていらっしゃるんですよね。全然こっちの言うことを聞いてくれなくて。まあ、ニシさんはお気になさらず。お部屋はそのまま使っていただいて大丈夫ですので! それを伝えたくて来ました。そういう訳で、よろしくお願いします!」


 ムサシさんが軽く頭を下げるそのすぐ後ろを、さっきのサングラスをかけたオレンジの服の女性が通り過ぎた。小柄なムサシさんより頭ひとつ大きい女性と目が合った。サングラスをしているけれど、なぜか確実に合った気がした。


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