2019年 7月17日 札幌1
私は、新聞配達屋の専業として働いている。手取り二十万前後あり、比較的自由に仕事できる環境は、こういう状況下では大いなる利点になっていた。
カブという移動手段の確保が容易であった。移動記録が残るような車両装置もついていないことが、地味に助かる。専業全員にカブが借りだされている。個人の買い物などの移動手段として使うことも容認されているのだ。
個人情報のまとめと地図データの出力も容易だった。
専業になったことでお店の鍵を渡され、講読している客の情報を出すという名目で、自由に数千の客データが入っているパソコンに触ることができる。
所長は六十八歳の引退間際だった。パソコンの導入は本社からの要請で行っているが、営業の業務日報を出力するぐらいしか操作は分かっていない。雑務のほとんどを美人事務員がやっている。
私もデータ入力程度のパソコン作業はできるので重宝されている。ほかに専業は二人いるが、パソコンはおろかスマホさえ扱えない年齢なので以下略。
客データの中に、かつてのクラスメイトの住所と個人情報を紛らわせることはさほど難しい作業ではなかった。
この店の担当区域は豊平、平岸、中の島の一部だけだが、地図データは札幌圏内から西岡あたりまで広範囲に表示される。
地図データ上に表示できる住所では九人のクラスメイトの住所が確認できた。
配達区域圏外の札幌郊外の江別などのベッドタウンを含めれば、ぎりぎり札幌圏内に居住を構えているのは計十七人に及んだ。中学時代に八人が行方不明になっているとしても、なかなかの数がいまだに北海道という土地の呪縛から離れずにいる。しょうがない。そういうものだ。
東京圏のクラスメイトは把握しきれていない。さすがにそこまでの範囲にのばすと調査費用がさらなる破格に跳ねあがったのだ。
区域圏内のクラスメイトは地図付きで、区域外のクラスメイトは住所電話番号名前新聞とっている有無だけをまとめた用紙をプリント出力する。
これで私はさきほど死亡した相沢以外の十六人の個人情報を獲得したことになる。
誰がどこに暮らしているどんな仕事をしている家族構成などだ。
犯人はかつてクラスメイトを異世界漂流させた犯人を捜している。
つまり私のことだ。
殺されるつもりはない。
あのときクラスメイトらを間接的に殺したときに、覚悟はすでに固まっている。
なので。
残り十六人が殺されるまでに、勝負をつけよう。十六人を生贄にして、犯人を殺そう。
私は改めて思う。
すでに狂っているのかもしれない、と。
ただ自分に正直にあろう、とはしている。あのときも。いまも。
井上正美は平岸一条にある集合団地に住んでいる。高齢者の入居率が多い。もしくはこれから高齢者になりそうな単身者も少なからずいる。家族持ちはおそらくそんなにいない。井上正美は単身者だ。三十路だ。同い年だ。
私は、井上正美が入居している三号棟ではなく、向いの四号棟にいた。
三号棟の505号室が、井上正美が入居している部屋だ。私は四号棟の五階廊下にいた。ここからなら、三号棟の五階を真正面から覗くことができる。仮に殺人者に気付かれても逃亡することは容易だ。
殺人者が現れるのを待つ。
井上正美が殺されるのを待っている、ということだった。非人道的だろうか。迷いはなかった。北海道在住で出席番号順であるなら、間違いなく、井上正美が次の標的だった。
誰がどうやって殺人行為をしているか、ということを知らないといけない。
動機に関しては、復讐という事で間違いないだろう。
かつてクラスメイトを強制異世界転生させたことにより、八人の中学生を行方不明からの死亡状態においやった。完全犯罪状態だ。私が三十路の年齢までその罪を追求されたことがないことを考えると、私の生きる世界に名探偵は存在しない。助かる。
だが、両刃の凶器を握った殺人者がやってきた。
この殺人者がどういった存在なのか、私は知る必要がある。
例えば拳銃で心臓を打ち抜けば死ぬのか。
例えば屋上から突き落とせばきちんと骨折したりしてくれるのか。
それとも腕を切り落としてもすぐさま再生してしまうのか。
そういうことを知らないといけないのだ。
だから井上正美へ連絡をしておいた。
いまだに消されていない殺人動画のURLも一緒にして、だ。
【次に殺害されるのは君だ。用心した方がいい】
それだけのメッセージを送った。用意しておいたナイフをドアポストから投函済だ。
井上正美は、殺人者と対決するだろう。殺されるのだろう。
しかし事前に襲われることを理解しており、凶器が用意されれば、一突きぐらいはしてくれるかもしれない。肌を軽く傷つけるぐらいはしてくれるかもしれない。
それから殺人者がどうするのか。
見届けるのだ。
そして。
殺人者がやってきた。
動画で見た通りの学校指定の紅ジャージ姿。片手にカメラをぶらさげている。
迷いなく井上正美の住んでいる三号棟へ入っていく。周囲は同じような形をした集合団地が固まっている。なのに殺人者は一切の迷いない足取りだった。事前情報を確保しているのか、情報を獲得できる何かがあると考えるべきだろう。
井上正美へ連絡。
【用意しろ、いま殺人者が向かっているぞ】
井上正美はさしずめホラー漫画の主人公気分だろうか。
これから殺人者が襲ってくることが、謎の人物からのメッセージで判明する。
凶器まで用意された。井上正美が主人公の漫画であるなら、これは物語序盤の遭遇イベントであり、死屍累々になりながらも、なんらかの助力などがあり、生き延びることが物語的な正解であろう。
だから私が助けようとすれば、彼女が生き残る未来も、ゼロではなかった。
そしてこれは私の物語であり、私の現実だ。
かつてクラスメイトを死亡させた私の物語なのだ。
井上正美を助けることはしない。
情報を教えただけ。それ以上の干渉はしない。
井上正美が死ぬという未来を強く肯定するということだとしても。
殺人者が三号棟の505号室の目の前に立っていても、私は双眼鏡越しにみているだけだったし、殺人者の両刃剣が玄関扉を一刀両断して、505号室へ乗り込んでいっても、それを見ているだけだった。
扉のなくなった505号室から血だらけの井上正美らしき人物が飛び出てきても、通報しなかったし、扉のなくなった505号室から殺人者が飛び出してきて井上正美に上段からの一振りを振り落とし、頭部を割られて井上正美が絶命したあとも、殺人者の一挙手一等を見守っているだけだった。
殺人者は特に怪我はしていないようだった。
井上正美はこれといった何かは残すことなく殺された。
殺人者は血まみれのまま、一度505号室へ戻っていった。数分秒ほど出てくると、すっかり綺麗な身だしなみになっていた。シャワーで一汗流したのだろう。あの殺人者にとっては人一人を殺害することなど日常的な行為のことのようだ。
そのまま何事もなかったかのように、三号棟の出入口から殺人者は出てきた。
そしてそのまま歩き去っていった。
私は名簿をみて、次に殺人者が狙うであろうクラスメイトの住所を頭に入れて、四号棟から出た。
ふと思う。
私は冷たい人間なのだろうか。
井上正美の死亡を見届け、死体が放置されていることも気にせず、次の標的のもとへ向かおうとしている。
少しだけ考える。井上正美のことを思い出す。
井上正美と会話をしたことはなかった。ただの他人だ。だから私は特に涙をこぼすこともなく、動悸もなく、手汗もなく、四号棟の脇へ止めていたカブに鍵を差し込み、ヘルメットを被り、エンジンをかける。
でも例えばの話だが。
席が隣で日常会話をする仲であり、人気のないどこかでキスとかセックスとかまで済ませ、文化祭で盛り上がって一緒に展示や出し物を見て回って付き合う約束をして実際に二年ぐらい付き合って、高校卒業時に別れたような関係のクラスメイトが、目の前で殺人者に井上正美のように殺されたとしても、私は特に涙などは流されないのだろうな、と思った。
ただなんとなくそんな気がした。