2019年 7月17日 札幌0
当時は、原巨人が没落し、与党の人気政権が盛り上がっていた頃だった。
今よりも税率が低く、昭和の残り香がこびりついていた時代。
私がクラスメイト達を、異世界へ強制転移させたのは、そんな時代だったと思う。
中学二年生だった彼ら彼女らは、放課後などに異世界へ旅立っていた。転移し、帰還を繰り返していたのだ。
肉欲にまみれた魔物、財宝の眠る古城、金貨銀貨銅貨による報酬、銃器よりも剣槍がメインの世界、大陸随一の都市にある冒険者ギルドの可愛い受付嬢、毎日更新される手書きの討伐クエスト。
異世界ファンタジーに満たされた冒険譚が拡がる世界であるらしい。
私は直接、観て聞いたわけではない。
立ち聞きし、盗み聞きを繰り返して得た情報だ。細部は知りえない。詳細は判らない。
知りたかった。
それは、学生時代という時分、私のような階層を生きていた男子が、心の底から切望していた世界だった。
私の生きている階層とは、遥か彼方のところで校内生活を送っていた彼ら彼女ら。
そんな彼ら彼女らを、冷めた眼で、こっそり見つめていたことは否定しない。
私は、彼ら彼女らの異世界生活を、直接は知らない。
彼ら彼女らが、異世界と日本の転移帰還の拠点としていた、廃アパートを知っているだけだ。
盗み聞き、盗み見を繰り返し、彼ら彼女らがそういう世界に放課後などの時間に旅立っていると理解した。
そんな彼ら彼女らが、異世界と日本をつないでいた廃アパートが全焼した。
外観はもとより内観まで焼け落ち、骨組みすら残っていなかった。いやに空が綺麗にひらけていた記憶がある。
彼ら彼女らが、異世界から帰る手段がなくなったのだ。
さしずめクラスメイトが強制異世界転生してしまった、とでもいうべき状況だったのだろうか。
アパートを全焼させたのは、当時の私だ。
家賃二万円を切っていても納得してしまう倒壊寸前アパートカガミンの二号室に彼ら彼女らが出入りしていることを偶然知った。
そんな部屋に似合わない、金枠の縁取りがされた、等身大の大鏡の中に吸い込まれるように入っていくことで、異世界へ彼ら彼女らは転移していった。
放課後の時間から夜の時刻へ変わる頃、その大鏡からまた出てくるのだ。
魔法の鏡だ。ファンタジーの化身だ。僕はアパート廊下に接した、台所の小窓からこっそり覗いていただけだ。心躍ることはなかった。冷徹な瞳で淡々と、その様子を観察していた。
彼ら彼女らが語る異世界談話に心は、踊らなかった。
ただただ情報を集めているだけの私がいた。
そんな光景をひたすらに観察していると、思ってしまった。
検証してみたくなってしまった。
もし、彼ら彼女らが異世界訪問中にこの鏡を割ったら、どうなるんだろうか。
拳にテーピングをぐるぐる巻きにして、大鏡を殴ってみた。何度も執拗に殴った。鏡は確実に細かくなっていく。万が一ジグゾーパズルみたいに組み合わさって、鏡が用途を満たさないように、入念に何度も何度も殴って、しつこく割った。
特別な何かが起こったわけではない。
何も起こらなかったとすらいえる。巨大な姿見が、粉々になって畳の上に広がっていた。
目に見えた変化はなかった。
でもこれで十分だったのだ。これだけで十分彼ら彼女らは異世界からの帰還手段を失った状態になったはずだ。
でも私からではそれは確認できない。確信がない。
だから念を入れた。
火をつけてみると、燃え広がるまでは早かった。
公衆電話から通報し、アパートを見下ろせるマンションの屋上から火の手を見守った。
廃アパートだったから住民がいないことは確認済みだ。家財道具などもなし。ただのみすぼらしい誰も住んでいない異世界への扉が置いてあるアパート。立て壊すことにもお金がかかるから放置されていたアパート。
だからといって放火は放火だ。大罪だ。
でも当時の私にはそうすることに迷いはなかった。
こうでもしないと、当時の私は納得しなかったのだ。
そしてそれから。
彼ら彼女らが、異世界から帰ってくることはなかった。
地元の新聞テレビなどのメディアが押し寄せ、一躍時の人ならぬ時の学校となった。遠慮と配慮のない徹底取材に、悲しみよりもいら立ちの空気が目立ち始めた頃、他の県で同じような猟奇的な事件や、全国区の未成年アイドルの不祥事などが重なり、あっさり八人の中学生が行方不明になった事件は埋没していった。
当事者の同学年同クラスだった私含め、他のクラスメイトにしてもすでに悲しみよりも、面倒くささの方がまさっており、それらがいなくなったことに安堵はあっても、悲しみがぶり返すことはなかった。
あっさり日常が戻ってきた。
悲しみもいら立ちも自然消滅し、クラスメイトが八人減ったことなんて本当に忘れてしまったように振る舞いながら、私は中学を卒業した。
地元の偏差値が低い高校へ入学して、三年後に卒業して、地元の偏差値の低い大学へ入学して、少しだけ夢を追って大学中退して、夢追って東京行って挫折してまた地元である札幌に帰ってきた。
ありきたりで特別な日々を、至極まっとうに過ごして。
中学時代にクラスメイト八人を行方不明にしていたことなんて一度も思い出すことなく。トラウマや悪夢にうなされることなんてまったく皆無のまま。
私は三十歳になっていた。
忘れ去っていた過去からの追求は、一本の動画からだった。
海外の検査がゆるい動画投稿サイトに公開されたショート動画だ。
反りの無い、両刃の直剣を握った紅いジャージ姿の誰かが、会社帰りらしきスーツ姿の男性を背後から切りつける映像だった。天井角につけられているタイプの画角の固定カメラ映像だ。男性は悶えながら逃げようとするが、誰かは追いかけ、背中から剣を突き刺し、辺りを血の海にして殺害した。
手慣れた動作だった。一発撮りによる、出来のいいアクション映画のワンシーンを連想した。
ただしR18指定動画だ。普通に流出流血映像。
綺麗に飛び散る鮮血。グロテスクな内蔵。口から吐き出す血。路上に広がる血だまり。
動画のコメント欄は荒れていた。八割方は、英語や中国語かハングルだったが、ちらほら日本語もあった。住所が書き込みされている。知っている住所だった。
札幌市豊平区豊平。
私はすぐに理解する。この動画は嘘じゃない。フェイクではない。まぎれもなく、本当に起こっていることだ、と。
私が今、住んでいる区だった。
剣を握った血まみれの誰かはジャージを着ていた。
私が卒業した中学校のジャージだった。学年ごとにジャージの色は分けられている。動画の中の殺人者が着ている紅いジャージは、私がクラスメイト達を強制異世界転生させた時代のジャージだった。
当時の私の中学校は、入学卒業などの公式行事以外は、ジャージ登校が推奨されていた。なので、懐かしくとても見慣れた姿だった。
血塗れの剣を握った誰かは、メモ用紙をカメラに向けた。
汚い字だった。字を書くことに慣れていないか、久々に字を書いた人間の文字だった。
【誰かがやったことは知っている。誰か、は知らない。だから全員有罪だ。相川浩二は死んだ。順番にやる】
相川浩二は、当時のクラスメイト。出席番号一番だった。異世界転生したわけでもない、ただのそこそこ頭のいい、ちょっとだけ悪びれた普通の男子生徒だ。
殺人者がカメラに手を伸ばし、そこで動画は終了した。
海外サイトとはいえ、殺人動画だ。すぐに削除されると思ったが、なかなか削除されていなかった。まるで不可思議な魔法の力でも働いているかのようだった。
私は理解する。
私が当時やったことへの、リアクションが返ってきたのだと。
驚きはなかった。異世界なんかに旅立ってしまうファンタジー世界とずぶずぶの連中なのだ。あれから十六年が経過していたが、なんらかの方法で復活してくることは想像の範疇だった。
私は準備していたショルダータイプのナイフケースにナイフを収め、新聞販売店のジャンパーを着こんだ。着ぶくれするのでナイフ一本ぐらい仕込んでいても目立ちはしない。
「どこいくの? 今日はやすみでしょ?」
着替えを済ませると、嫁が布団から顔をだす。深夜二時だが、嫁は私が起きると一緒に起きてしまう。お腹はまだ目立っていない。
「急用。配達が飛んだみたい。ちょっといってくる」
嘘をつき、配達用のカブの鍵を握り、ナイフの感触も確認し、私は決着をつける覚悟を決める。
当時、私がしたことは罪だ。罰を受ける必要があるのだろう。
そして今の私には、守るべき人がいる。守るべき家族が増える。
私は私の日常を守る必要がある。
だから行動する。
私に罪はあれど、罰を受けるつもりはない。それだけだ。それ以外の感情は何もない。
気付いていたけど、見ないことにしていたことがある。
もしかしたら今の今までずっと、ごまかしていたのかもしれない。
中学二年生だった頃、私は確定的に壊れてしまっていたのかもしれない。
三十歳になるまで普通の人のように巧くごまかしながら生きてきて、運良く嫁に出会い、付き合って結婚して子供ができただけなののかもしれない。
そうかもしれない。
そうだとしても、だ。
私はすでに心も体もイカれきってしまったサイコマッドなクソ野郎だとしても、だ。
私は、今の私が守りたいと思う存在のために。
全力で。本気で。ガチで。
行動する。後悔はない。