54.クロ
相原クロエは南国の海と空に圧倒されていた。
ナオコがかつての級友たちを送り出した翌日、ナオコ、クロエ、シロナの三姉妹は、再び全国行脚の旅に出た。西と南を巡る後半の開始であった。今回はまず佐伯ケンジがお供に付いていた。
まず成田空港から名古屋へ向かった。空の旅なら乗り物酔いもほぼなく、あっという間に到着できる。デメリットを強いて挙げれば、気圧の関係で耳が痛くなることくらいか。
さっそく名古屋城を見に行く。めっちゃしゃちほこってた。お昼はいろんな候補があって目移りしたが、エビふりゃ付きの味噌煮込みうどんにしといた。先は長いので胃にやさしいメニューの方がいいだろう。クロはタマエおばさんと相談して、漢方系の消化薬を持参していた。みんなの足を引っ張りたくなかったのだ。
レンタカーを借りて、三重県を通過して奈良県へ。車中ではひたすらいちゃいちゃした。卒業式に出席してきたナオコお姉ちゃんは妙に感傷的で、シロとクロをいつにもまして愛おしそうに眺めては、ときどきつんつん突いてみたり、特に理由もなく頭を撫でたりしてくれた。この際せっかくなので、いっぱい甘えて構ってもらいたいクロとシロであった。
奈良公園で鹿に鹿せんべいを食べさせた。予めリサーチしていたケンジのアドバイスに基づき、ポケットに忍ばせていた鼻毛用の小さいハサミを使ってせんべいを束ねている証紙を素早く切り、我勝ちにぐいぐい迫ってくる鹿に後ずさりしながら一枚づつ配って歩いた。せんべいが無くなったところでナオコがクロを、ケンジがシロをお姫様抱っこして、素早く立ち去る。野性の鹿どもは、どうにも背の低い人間を舐め腐っている節があった。鹿の原始的な思惟を読めてしまうふたりに泣かれる前に撤収したのである。
東大寺で大仏も見た。うん、一応見た。大きかった。それだけ。牛久の大仏を擁する茨城住民の正直な感想である。
宿は京都市内にとってあるが、途中で宇治市に寄った。抹茶ソフトクリームを食べた。平等院は拝観時間が残り1時間を切っていたので、今回は諦めることにした。
夕食はホテルから四条大橋まで歩いて、橋のたもとにあるお店でにしんそばと鴨南ばんそばをいただいた。具は「あ~ん」でシェアしあった。シロはケンジくんがお気に入りで、その分クロはナオコお姉ちゃんを独占できるので、クロにとっては大満足な夜であった。ホテルのロビーで現地の人数名と面談してから、お部屋に引き上げた。ケンジは地元の協力員と意気投合して、こってりラーメンを食べに行った。
2日目、京都と大阪は外国人観光客と卒業旅行学生が多く、クロエとシロナに感染症をうつされたら非常に困るので、車で通過してしまうことにした。どのみちこの辺りの団員との折衝はもう済んでいる。大阪神戸の白黒団員には、少し足を延ばして夜に、次の逗留先を訪ねてもらうことにした。
二府を避けた最大の理由は、接する人間の思考がシロとクロに強いストレスをもたらしてしまうからだった。他県と他国の観光客に対する根強い差別意識を持つ者が多く、表面とのギャップがどうしても二人を疲れさせてしまう。膨大な人数を相手に観光地価格で商売しているにもかかわらず、低賃金に据え置かれている末端のスタッフには同情の余地があるが、そんな裏面の事情もふたりの感受性に著しく傷をつけていた。
有馬温泉に数日逗留して、日帰りで淡路、徳島、香川を観光して回った。淡路牛ステーキ、玉ねぎフライ、徳島ラーメン、讃岐うどんをいただいた。しかし最もおいしかったのは、地元兵庫のTKGであった。三種の醤油をもれなく楽しむために3回も通ってしまった。計6日の間に、毎晩ふやけるほど温泉にも浸かった。幸せ過ぎて太りそうだった。
8日目、西を目指して出発。途中、姫路、岡山、倉敷、尾道に寄りながら、一路広島を目指す。
11日目、広島到着。原爆ドームを見学。お好み焼き、牡蠣、あなご飯をいただきつつ、5日間いろんな人と会って話す。途中、高知県で初ガツオを供するお店の予約が取れたので、しまなみ海道を通って四国へ渡った。片道4時間の運転による疲労を考慮して、広島滞在を1日延ばすことにした。カツオの藁焼きを一番喜んでいたのは、渋好みのケンジではあったが。
17日目、誰も口には出さないが、あえて先延ばしにしていた山口県での仕事にいやいや取り掛かった。シロとクロにとって負担が大きいことが予測されていたので、自然と口数も減り、重苦しい旅になった。
必要最小限の箇所を回り、最短で用事を片付けて、深夜に九州に渡った。宿の人には、道に迷ってしまったことにしておいた。
18日目、交代要員としてケンタが合流した。本当は前日に福岡で会う予定だったが、予定が押している上にケンジが疲れ切っていたので、迎えに来てもらったのだった。ケンタの運転で福岡へ進み、空港でケンジと別れた。
別れ際、シロとクロがケンジのほっぺにキスをした。こんなことで報われちゃう男の子って、嫌いじゃないよ。シロは心中ほくそ笑んだ。
プロ野球のシーズンが開幕していたので、地元の白黒団員が回してくれたチケットで試合を観戦してみた。へー、野球ってこういうルールだったんだ。高校2年で肩を壊すまで野球漬けの人生だったというケンタの解説はわかりやすかった。ファールボールがクロに当たりそうになったけど、ケンタが片手でキャッチして間一髪。ホテルへの帰り道もクロはケンタにおんぶさせた。どうやらクロのお気に入りは直情径行熱血タイプのケンタであるらしい。
一泊して19日目の翌朝、朝食はホテルでとらず、ケンタに引っ張られて元祖なラーメン屋さんにいった。意外とあっさりしていて臭みもほとんどなく、おいしかった。ケンタが「生玉!」と注文したので、てっきり生卵が出てくると思っていたら、替え玉が来た。生めん一玉という意味だった。
極細めん一玉のカロリー値を聞いて、ナオコは2回替え玉した。シロとクロも人生初の替え玉に挑戦した。なんといっても成長期であるからして、朝食はしっかりとらねばならなかった。
大濠公園でボートに乗り、お昼はごぼう天うどんを食べた。午後は海浜公園でイルカを見て、ポートタワーの景色も楽しんだ。
夕食は水炊き鍋。そのあと、福岡タワーで夜景を見た。タワー自体のライトアップもすごくきれいだった。
20日目、特急に乗って佐世保へ。ハウステンボスで一日中、遊んだ。
21日目、遊覧船に乗って九十九島をクルーズする。そのあと、お仕事をした。意外と早く終わったので、最終便に乗ってもう一度クルーズした。夕陽が映えて海がとてもきれいだった。
22日目、長崎市へ移動。原爆資料館と平和公園を巡った。安藤永世総理は逆クーデター後の核武装と並行して、広島と長崎の原爆関連施設を全て閉鎖するよう指示したが、あの松下村会議メンバーすらさすがに無茶だと止めたという。護国会議と自由愛国党内でも批判が渦巻いた。専らアメリカへの恨みを忘れるなという一点においてだけであったが。そこには被爆した国民への哀悼はなかった。
太郎閣下は腹癒せに広島市と長崎市への地方交付金を打ち切らせようとしたが、これにも地元華族の横やりが入った。現在では両館とも寄付金と入館料で運営されている。
お昼にちゃんぽん、晩御飯に卓袱料理を堪能した。カステラ屋さんで再び漢気注文を発動。店頭のカステラを全て現金一括で購入、各孤児院に届けさせた。
23日目、朝出発してお昼前に熊本市に入る。ここで高岡ユウジが合流した。本当は鹿児島でする予定だったが、お城好きの彼は前乗りして、2016年の震災から復元途中の熊本城を隅々まで楽しんでいたのだった。運転を代われるのでケンタにとっても願ったり叶ったりである。
午後の間中、ユウジのガイドでお城を見学した。
昼ごはんに馬肉の串焼きと辛子レンコン、熊本ラーメンは夜のみ営業のお店を中心にはしごした。ケンタはここで真昼間からビールを注文した。ユウジさまさまである。
24日目、4月も半ばに差し掛かったこの時期、九州は桜が満開だった。人吉城跡でソメイヨシノを見た。お昼のうなぎ屋では、ケンタは白焼きを肴に球磨焼酎をあおった。ユウジさまさまであった。
鹿児島市では城山公園から桜島を見た。晩御飯は黒豚をしゃぶしゃぶでいただいた。ケンタとユウジは辛口の芋焼酎で乾杯した。
25日目、鹿児島空港へ到着。ここで足湯を楽しんだ。ケンタとはここでお別れである。クロが抱きついて別れを惜しんだ。ケンタは顔を真っ赤にして、いくぶんキョドりながら東京行きの便に乗った。帰るなり弟のコウタに自慢するに違いなかった。
沖縄本島に着くと、もう気温が25℃に達していて、内地での春物服ではすぐに汗だくになった。まず国際通りで涼しい服とサンダルを買い求めてから、ステーキで昼食を済ませた。タクシーで南の水族館に向かう。
ペンギンが可愛かった。お土産コーナーのぬいぐるみをあるだけ買って孤児院へ送った。夜は市街に戻って沖縄そばをすすり、デザートにブルーシールアイスを食べた。
26日目、レンタカーを借りて、島の北西部にある水族館を目指す。近くの定食屋さんでジーマーミ豆腐とゴーヤチャンプルーと海ぶどうを食べた。
ジンベイザメ、イルカ、マナティー、ウミガメを見た。シロとクロのはしゃぐ姿を見て、ナオコは胸がきゅんきゅんしていた。来てよかった、ほんとうに。
27日目、泡盛の古酒などのお土産を携えて、茨城への帰路に就いた。飛行機でわずか2時間半で成田へ。旅の余韻に浸る間もなく眠りに落ちて、気が付くともう到着前だった。
空港には佐伯ケンジが白黒団の白いバンで迎えに来ていた。会うなりシロがハイタッチする。車ではナオコが助手席に座り、ケンジが語る白黒団の近況報告に耳を傾けていた。ユウジとシロとクロは後部座席で睡眠の続きに入る。
クロが目覚めた時、高岡ユウジはもういなかった。先に駅前で降りたらしい。クロは旅行前に買ってもらった自分のスマートフォンから、ユウジにお礼のメッセージを送った。
「(またいつか、一緒に旅行できたらいいな)」




