50.吉村
大学教授、吉村樹は新しい試みを楽しんでいた。
学食で不思議な少女たちと出会ってから約一か月、彼は自分の生徒の中で信頼できそうな者をひとりづつピックアップし、昼食を奢り続けた。そのうちクロエ嬢とシロナ嬢の審査をパスした8名を、白黒団の孤児院に交代で送り込んで中学高校課程の授業を行わせた。ただ教えるだけでなく、孤児院の生徒ひとりひとりに関する匿名の臨床レポートも作成させた。これは吉村自身の研究にも大いに役立つ。
十代後半の生徒の中には外で働いている子もいるので、土日にも補講を設けて対応させた。これは土日にバイトを入れたがっていた学生たちのニーズにも合致していた。
問題も起きた。送り込んだ学生のうちの男子一名が3日で音を上げてしまったのだ。教える生徒たちは、上は18歳から下は天才的な10歳児まで、いずれも目がくらむような美少女ばかりで、どうにも落ち着かないとのことだった。彼は田舎出身の体育会系で、女性経験にも乏しそうだ。無理もない話なので別の肉体労働系バイトを紹介してやらざるを得なかった。
そんなある日の事である。吉村はいつものように学生たちの報告を聞きつつ、学食で昼食をとっていた。若者向けのハイカロリーな食事のせいで5kgほど太っていたが、本人はまだ気づいていなかった。
東関東の女帝がふたりの妹を伴って、彼の前に現れた。白昼堂々、不特定多数の目のある場所でだ。
吉村は驚き、いささか慌てた。実は吉村から見える隣のテーブルには「狼少年B」と「狼少年E」が居て、女児向けアニメの話で盛り上がっていたのである。大胆不敵な人物であるとの評判は聞き知っていたが、小者とはいえ潜在的な敵の前に姿をさらし、接触を図ってくるとまでは想定していなかった。
「吉村教授、相原です。御挨拶させていただくのは初めてですね。いつも妹たちがお世話になっています。今日はお願いがあって来ました」
「妹たち」とは、目の前にいる義理の妹だけではなく、孤児院に匿われている少女たちと、これから救う予定の全ての子供たちが含まれていることを、吉村は既に知っていた。それにしても大胆過ぎる。
「ご丁寧にどうも。ここじゃなんだから、私の研究室で話そう」
彼の生徒たちが、何を勘違いしたのか、一斉に口笛を吹いた。
研究室といっても、吉村の部屋はさほど広くなく、常駐する大学院生もいなかった。研究成果を突き合わせてのディスカッションは、吉村の嗜好で近所の喫茶店で行う慣わしであった。
部屋に入って扉を閉めるなり、吉村は女帝陛下をお諫め申し上げた。
「ナオコ君、君は知らなかったかもしれないが、さっき隣のテーブルに例の狼少年がいたのだよ。君ほど重い立場の人が、いささか軽率だと思う」
「大丈夫ですよ、教授。わたし、この子たちを信じてますから」
「あいつらが考えてたこと、教えてあげる。『くぅ~、たまんねえJCとJSだぜ。プリンQのコスプレさせて悪戯してーぜ』だったよ」とシロ。
「もう一人はね、わたしたちのスクール水着姿を撮りたがってたよ。ぶるま?姿も。体操着の一種みたいだけど」とクロ。
「というわけです。あの人たちは自分に甘く、その思考は著しく偏っているので、女子供が反乱を主導するという発想には至れないんです。巷の噂もパヨクの願望が産んだ妄想と決めつけて全否定しています。だから強権的差別的な政治家と自己を同一視して、盲目的に崇拝してしまうのでしょうね。
御自分の尺度で他人を推しはかってしまうのが学者先生の悪い癖だと、奥様にも言われませんでした?」
「ふむ、相手の立場になって考える、基本だな。起こりうる危険から逆算してばかりいると、枯れ尾花も幽霊に見えてしまう。よい教訓をありがとう」
部屋の隅でほこりをかぶっていたパイプ椅子を総動員して、全員席に着いた。
「それで、お願いとはなんだろう。手伝いを増やしたいのなら、来年度の新入生が入るまで待って欲しいと伝えてあるはずだが。それ以外のことだね」
「そうです。実は、白黒団は早ければ3か月、遅くとも半年以内に、ある行動を起こします。そのための準備にたくさんのお金と人出と情報が必要になるんです。
予算は潤沢に用意できます。人数と情報も自ずと集まるでしょう。問題は運用です。タイムスケジュールを組んでスタッフを動かす人、収集された情報を分析し突き合わせて裏付けを取れる人がどうしても欠かせません。
今日は集団の頭脳になれる人、サッカーの10番タイプ、攻撃を指揮する司令塔たり得る人物を誘いに来ました。つまりあなたです。吉村教授」
吉村は再び驚いた。三姉妹に驚かされるのはこれで3度目だ。実に興味深い。しかし、私にそのような大任が務まるだろうか。
「心配しないで。先生なら出来るよ。だってもう8人で32人を教えさせてるでしょ。人数が増えるだけでやることは一緒だもん、ね?」
とシロが彼の思考を読んで励ます。
「情報はもう、いっぱい集まって来てるんだよ。あとは発表会までに順番を決めたり、間違いがないかチェックするだけなの。お願い先生、クロたちを助けて」
吉村は迷った。できれば力を貸してあげたい。しかし、反体制組織の中心メンバーに昇格するということは、権力側から狙われるリスクも格段に高まってしまう。下手をすると妻まで巻き込んでしまうかもしれない。
ここは彼女の意見を聞いてから返事をしよう、と考えた吉村に、共感覚能力のないナオコが彼の思考を読んで畳みかけた。
「実はさっき奥様と会って、もう許可を得ているんです。伝言も預かって来ました。『義を見てせざるは勇無きなり』だそうです」
吉村は苦笑いした。たしかに相原ナオコは司令塔タイプではない。相手に飛び掛かり喉元に食らいついて離さない猟犬タイプだ。




