3.令和帝国
島国日本の夜明けは遠い。
安藤政権による逆クーデターによって日本国憲法は効力を失い、国民は主権と基本的人権を奪われた。行きつく先は特権階級が支配するガラパゴス社会だった。
当時、相次ぐ疑惑と疑獄によって死に体になっていた安藤首相は、ついに禁じ手を使った。戦前回帰を目論むカルト集団「護国会議」のメンバーでもあった首相は、防衛省と自衛隊に巣くう狂信者を抱き込んで凶行に及んだ。
野党議員を拘束、殺害せよ。
批判的なメディアを制圧、停波せよ。
東京都心に戒厳令を布告、施行せよ。
凡そ正気の沙汰とも思えぬ命令に現場の隊員たちは尻込みした。中には法と人倫を盾に公然と拒否する者もいた。だが、最初の一人が「名誉の戦死」を遂げると、残余の者は従わざるを得なくなった。こうして自衛隊は「隊員の総意」に基づいて「やむをえぬ国家正常化」に乗り出した。
人類史上最悪といわれる「血の一週間」における被害者数は10万人ほどにとどまる。過去の戦役、虐殺、武力弾圧と比較してより悪事とみなされたのは、その理不尽さに起因する。
国会で首相を追及した野党党首は自宅で拘束され、近隣の駐車場でガソリンをかけられて生きながら焼かれた。泣き叫ぶ家族も「反日」「非国民」「パヨク」のレッテルともに銃弾によって葬られた。
政権与党を持ち上げつつ批判者を貶める印象操作に与するキャスターをたしなめたコメンテーターは、新番組のリハーサル中に自称愛国者たちに踏み込まれた。スタジオの真ん中で跪かされ、スマートフォンで撮影されながらの自己批判を強要された。断ると下手くそな拷問の末に事切れた。
不正な国策やヘイト運動に対する反対署名はそのまま抹殺リストと化した。武力による脅迫で政権側を除く全ての情報は開示され、一部隊員は「粛清」のついでに拷問を楽しみ、金品を奪い、年若い娘を犯した。
このころ、海外先進国の大半では既にメディア及びネットの統制によって事実上の全体主義化が進んでいた。それでも日本で起こった蛮行に対する批判は起こった。第三諸国からも日本国政府を非難する声明がなされた。その声は日本が核武装と警告なしの無差別攻撃を宣言するまでは続いた。
民主主義最後の砦と呼ばれたドイツで、健康に不安を抱えていた首相が倒れたのもこの時期である。直後の選挙でネオナチとキリスト教原理主義政党が躍進、連立政権を樹立した。
世界は闇に閉ざされた。