36.山下
山下大輔はイライラしていた。
タバコも草もやらない彼が、ここまで何かを待つ機会は少ない。食事も空いている店の定食で済ませる彼である。山下はハードボイルド探偵の仕草を真似てエア煙草を吹かし続けた。灰皿に向かってエア灰を落とし、エア紫煙を目で追う。彼は何事にも凝る性分だった。
警備員詰所で電話が鳴った。上からだろう。警備員の声色からして違う。電話なのに直立して、ペコペコと何度も頭を下げている。やがて通話が終わり、警備員が山下を呼んだ。
「山下さ~ん、入場の許可が下りましたよ。いま案内係がこちらに向かっています。こちらに必要事項を記入してから、このゲストカードを首にかけて、ゲートをくぐったところでお待ちください」
山下は焦れきっていた。カードだけひったくってゲートをくぐろうとした山下を、権高な対応に慣れ切った警備員が怒声をあげる。
「待て! ここに書けって言っただろ。バカなのか、ああ?」
山下は立ち止まり、ゆっくりと振り向いた。黙って警備員を見る。ただ見る。吠える犬をじっくり観察する狼のように。
場の沈黙を破ったのは、敷地内から小走りにやってきた背広姿の男だった。
「あなたが山下警部ですね。大変長らくお待たせしました。わたくし、秘書室長の川崎と申します。こちら名刺です。・・・・・・彼がどうかしましたか?」
山下は警備員から目をそらさずに、答えた。
「いいえ、別に。何でもありませんよ。ところで、ここの警備業務は外部委託ですか? さぞ委託料を弾まれているんでしょうね。実に優秀だ。優秀な警備員だ。ここまで優秀な警備員は、学生時代、宅配便のアルバイトをしていた頃に見たきりです。実に素晴らしい。業界に冠絶する警備員だ」
川崎は変な顔をした。が、すぐに事情を察したのだろう。警備員をひと睨みしてから、山下に自分についてくるよう促した。
川崎は山下を事務棟の応接室へ案内した。段ボール箱から緑茶のペットボトルを2本取り出し、山下に奨めた。
「大変失礼をいたしました。ある程度は御承知のことと存じますが、ここには警察官だけでなく、マスコミと一般人がひっきりなしに訪れているのです。あの警備員は、何十何百と追い返しているうちに、組織の権威を自分の実力と勘違いしたんでしょう。犬に噛まれたと思って、どうかご容赦願いたい」
山下は茶を半分ほど飲んだ。先ほどから喉が渇いていた。まだ喉がエア紫煙でいがらっぽい気がする。
「アルバイト中、敏腕警備員と出会った場所は、おそらくタワーマンションの防災センターではありませんか? 私も学生時代、宅配バイトで食いつないでいましたよ。建物と煩雑なローカル規則に守られているのは彼らの方でした」
「ご想像にお任せしますよ。ところで、私が今日ここに来たのは、夢を紡ぐ草の選別工程作業員誘拐事件の捜査のためです。首都圏を中心に活動している犯行グループに顕著な思想的傾向が伺えるため、本件は公安部の主管に移りました。
誘拐が行われた現場の内見と、誘拐された作業員24名の資料をお願いします。氏名、住所、生年月日、勤務形態、雇用契約書、給与明細、源泉徴収票、作業服と安全靴のサイズ、血液型など、全部です」
川崎は山下をしげしげと眺めた。
「失礼ですが、あなたは本庁から来られたとはいえ、一介の警部に過ぎませんよね。しかし上司からは、あなたは『知るべき者』であるとしか聞いていません。たとえば・・・・・・大株主のうちのどなたかのお名前を頂戴できれば、私もずいぶんと協力しやすくなるのですが」
「それを知ることは、必ずしもあなたの立場にプラスにはなりませんが。それでもよければお教えしましょう」
「消去法で察しろということですね。ありがとうございます。それでは、いまから現場へ向かいましょう。その間に、ここに必要な資料を用意させておきます。ああ、ヘルメットなどは必要ないので、その髪型を崩す御心配はいりませんよ。部下に指示しますので、少々お待ちを」
川崎の案内で山下は構内を歩いた。夢を紡ぐ草を大量に取り扱っているのが、近づいただけでわかる。この匂いにはもううんざりだ。
「あれが夢を紡ぐ草を受け入れて、選別乾燥抽出を行う工場です。長い蛇がU字型に寝そべっているような形状になっています。事件は蛇の口にあたる部分で起きました。搬入トラックで乗り付けて、草を卸した代わりに作業員を連れ去っていったわけです」
事件発覚直後、所轄が入って検分した通りのようだ。
「ここです。この搬入口にお尻をつけて、トラックは停車します。あとはドライバーが後部ドアを開けておけば、無人フォークリフトがICタグの付いたコンテナを自動で場内へ搬入します。製品とは行き先が違うため、トラックは空荷で農場へ戻ります」
無人機による作業で夜間の人件費を削っているようだ。
「人が出入りするのは、脇のドアです。工程作業を監督する者がここから出入りします。入るときは何もいりませんが、出る時には専用キーがいります。工程の社外秘と夢を紡ぐ草の持ち出しを防ぐためです」
「工程作業員の食事と休憩はどこで? 周辺に食堂や購買店などが見当たりませんが。それに、もうすぐ昼時ですが、これほど大規模な工場施設ですと、工員の食事を賄うための炊事の匂いが漂うものです。ここにはそれがありません」
「工程作業員の食事は仕出し弁当で賄われています。原料と同じく搬入口から供給されているんですよ。ああ、もちろん、管理棟と事務棟には社員食堂があります。後ほどご案内しますよ。メニューは肉定食と魚定食、カレーライス、4種の麺類があります」
「つまり、作業員は一日中、ここから出ないのですね。私は昨日の夕方から朝までここの入り口を見張っていましたが、これほど大規模な工場なのに、出入りする人間の数が非常に少ない。事によると、作業員はここで寝泊まりしているのでは?」
「御冗談を。そんなわけありませんよ。我々国営会社は人件費を抑制するためのオートメーション化を進めています。世界でもトップクラスです。人の出入りが少ないのはそのためですよ。無人フォークリフトもご覧になったでしょう」
「その割には設備投資費が安すぎますね。国営企業の設立から今日に至るまで、そのような最先端精密機器を大量発注した事実はありません。初年度からたいへんな利益を上げ続けるには、無償の労働力が必要ではないでしょうか。例えば、受刑者のような」
川崎は両手を挙げてみせた。
「山下さん、あなたは人が悪い。そこまでご存知なのに、どうして外部向けの説明をさせたのですか」
「私は何も知りませんでしたよ。昨日から見張っていたというのも嘘です。新聞とテレビで報道されていることしか、この頭の中にはありませんでした。
さっきの傲岸不遜な警備員が追い返し続けているのは、消息不明の家族を探し求める人々でしょう。菅野大官房長官の号令で生み出され続けている奴隷の家族たちのことですね?」
「・・・・・・山下さん。あなたは体制側のはずだ。士族ではないが、大華族の伝手をお持ちだ。いったいここに何しに見えたのですか? 捜査は必要ないと、上司に諭されなかったのですか?」
「先程、事務棟で申し上げた通りですよ。左翼傾向の強い犯罪組織を追っているのです。そのためには、敵が何を狙っているかを知らねばなりません。現体制を維持したいとお考えなら、そこのドアの中身を見せて頂きたい。
言っておきますが、私は敵ではありません。あなたが安心するのなら、何べんでも言いますよ。私は敵ではありません。士族の言葉でいいましょうか。私は『反日』でも『ミンス』でも『共産党』でもありませんよ」




