35.カオリ
カオリは働き者だった。
カオリの母の実家が山形県のコメ農家だった。夏休みは毎日、農作業を手伝って過ごした。昼に食うそうめんがおいしかった。缶詰のサバを和えると油が五臓六腑に染みわたる気がして、元気になれた。
孤児院で個室をもらった。いちおう院から逃げて院に入った形になる。大浴場もあるけど、部屋にシャワーが付いているのがうれしい。お湯をかぶってさっぱりしてから、清潔なベッドでたっぷりと大快一睡を貪る。
夕食は大広間で元娼婦の子供たちと甘口カレーを食べた。卓上のとび辛スパイスをかければちょうどいい味になった。サラダを食べない隣の子には、野菜を手づかみで口に押しこんでやった。野菜舐めんな、である。
飯のあとで自己紹介代わりに一発芸をさせられた。矯正施設では誰も笑ってくれなかった使い古しのネタが、なぜか子供たちにはバカ受けだった。とにかく愉快な動きを心掛けつつ、てきとうな擬音を口にすれば、なんでも受けた。カオリは「タケノコにょきにょきにょーきにょき!」と言って自らの身体でタケノコが伸びる様を表現したが、なぜか手拍子に合わせて何度も繰り返す羽目になった。疲れた。
そのあとで、タマエおばさんに会議室で仕事を紹介された。カオリは農業関係を希望したが、あいにく今は農閑期ということで、春先まで孤児院のお手伝いをすることになった。エミは町工場を選んだ。
中学のカリキュラムをきちんと履修していたサトリだけは、5教科のテストをパスして、中2クラスまでを受け持てる「先生」になった。お給料もカオリたちより多いそうだ。中2の1学期に補導されてしまったとはいえ、自分もちゃんと勉強しとけばよかったと、いまさら反省するカオリであった。
孤児院の授業は、単なる座学よりも、手芸や料理、作物の栽培、火の熾し方から漬物の作り方といった実際的な勉強に比重が置かれていた。いつでもどこでもたくましく生きていけるように、ってことか。
田舎の奥地にある廃村に隠れ住んで、昔の隠し田なんぞ耕してひっそり暮らすのもいいかもしれないな。川魚を獲り、兎や鹿や猪を狩れば、たんぱく質も補えるだろう。カオリの発想はワイルドだった。
大柄で身体頑健なカオリは、やたらとおんぶとだっこをせがまれた。特にお姫様抱っこが好評だった。こういうのも、モテてるっていうんだろうか。
カオリが困ったのは、少女たちが一人の例外もなくかわいかったことだ。風俗店の「商品」だったのだから、当然と言えば当然だけど。みんな程度の差こそあれど、客を楽しませることで、ごはんとおやつが充実していたからだろうか。どの娘も自然に悪気無く媚態を示してくる。
初日に注意は受けていた。歳に似合わない言動やアピールがあるかもしれないけど、頭ごなしに叱らないでと。あの子たちは、そうしないと罰を受けていたの。お尻を叩かれたり、ごはんをもらえなかったりね。だから、やんわりと注意して、少しづつ改めていけるように、あなたたちも協力してね。
しかし、カオリが一番下の学級の世話をしているとき、事件は起こった。
カオリたちが来る前にクロも授業を受けていた幼年クラスには、午後のお昼寝タイムがあった。昼食後の運動の時間を受け持った者は一緒に寝て構わないという、ささやかな特権が付与されている。この日の当番はカオリだった。
おおたリカという推定7歳の子がいた。店での源氏名は「み~な」だったが、自分の本当の名前を辛うじて憶えていたようだ。大田なのか、それとも太田か、あるいは多田なのかが分からず、残念ながら両親は見つかっていないが。西洋の血が入っているのか、髪と瞳はハシバミ色で、クラスの中でも異彩を放っていた。
その日、最後まで起きていたリカを、カオリが頭を撫で、小声で子守唄を歌って、ようやく寝かしつけた。自身も少しウトウトしてくる。
「(かわいいな。すっごい美少女。何食ったらこんな風に育つんだろ)」
リカの寝顔を見つめるカオリ。ふと、カオリの胸中にあやしいときめきが芽生えた。誰も見てないし、いいよね。カオリはリカの唇に、自分の唇を合わせてみた。
リカの目が開いた。ぎょっとして離れかけるカオリを両手で抱きしめる。リカは小声でささやいた。
「(リカとしたいんでしょ。カオリお姉ちゃんならいいよ。いっしょにきもちよくなろ)」
カオリは跳び起きて、自室に駆け込んだ。ベッドに寝そべり、布団を被って身体中を駆け巡る熱い血潮をやり過ごそうとする。どうしようもなく昂っていた。
涙がとめどなく溢れた。思い通りにならない自分の身体が悲しかった。恨めしかった。
「(どうしよう。あたし、もう戻れないのかな・・・・・・)」
翌日から、カオリは以前にもまして勉強と仕事に精励するようになった。何かに熱中していれば、余計なことは考えずに済む。そう心に決めて、がむしゃらに頑張っているようだ。
町工場の寮から、早々にエミが戻ってきた。何か気に入らない事でもあったのか、寄ると触るとぶんむくれている。子供の相手は一応するが、表情がかたいままなので、寄りつく子供は少なかった。
カオリたちを救出してくれた佐伯さんが、大学と、白黒団を名乗り始めた組織の仕事の合間を縫って、孤児院に顔を出してくれるようになった。みんなあれこれ理由をつけて面談室でふたりきりのトークをせがんでいた。カオリも目下の悩みを打ち明けてみようか考えたが、慌てて打ち消した。こんな話、絶対引かれる。孤児院の仕事からも外されかねない。
そんなカオリの葛藤を知ってか知らずか、ケンジはカオリを呼び出した。あの件がバレたのかもしれない。レズビアンにしてロリコンという烙印を押されてしまうのだろうか。あの涼し気な瞳が軽蔑の眼差しに変わってしまうのだろうか。
面談室に入ったカオリをケンジは明るく迎えた。すぐに椅子をすすめる。
「やあ。お仕事中にわざわざすまないね。さ、座って座って。何か飲む?」
テーブルの上には各種缶飲料が並んでいた。院の自販機には無い銘柄ばかりだ。わざわざ買ってきたのかな? 金色のコーヒーを選んだ。
「朗報だよ。カオリちゃんの御家族は健在だった。君の無事と矯正施設からの脱出を伝えたら喜んでくれたよ。白黒団にもできる範囲で協力してくれるそうだから、タイミングを見て直接会わせてあげられるよ。来週の・・・・・・土曜日はどうかな? 君さえよければ、向こうに打診してみるけど」
え、まじ? 嘘でしょ!? ・・・・・・信じられない。つまんない万引き事件がこじれて、凶悪な強盗犯に祭り上げられたあの日から3年半。とっくに愛想を尽かされたと思ってた。こんなバカ娘を許してくれたのかな。
大喜びで「会いたい!」と口にしかけて、カオリは思いとどまった。会ってどうするの、何を話せばいい? え、罠じゃないよね。行ったら捕まって施設送りとか、そんなんじゃないの?
ケンジさんが手にしている、カオリの家族に関する調査報告書は短かった。ケンジから見て右側にはファイルの束が積まれている。どれも電話帳かと思うくらい分厚かった。
「ねえ、佐伯さん。あたしの家族について調べてくれて、まずはありがとう。でもさ、あたしって親不孝の不良娘だったわけで。いまさら会っても迷惑じゃないかな。こっちが望んで無理やり会わされても、みんな困ると思う。やっぱりやめとくよ」
「・・・・・・カオリちゃんは、そんなに悪い子じゃないよ。だいたい、家裁での判決だって無茶苦茶だ。あれは検察官が君を陥れるために、証人にある事ない事でっち上げさせた上での求刑を、判事がそのまま言い渡しただけなんだ。
証人には、このくらい言わないと無罪放免になってまた盗みに来ると吹き込んで、検察の作文にサインさせる。裁判官はそれを全部認めて君を悪質な不良少女に仕立て上げる。そうして本来なら厳重注意か保護観察ですむような子たちを無理やり少年院送致とするわけさ。あとはもう知ってるよね」
そう、あたしは知ってる。空調設備もない不潔な雑居房と工場を行き来するだけの生活。一部の豚野郎どもを肥えさせるために、死んで動かなくなるまで働かされる煉獄の奴隷。それがあたしだった。
「もちろん、そうした事情は君の御両親も重々承知してる。むしろ、君に万引きをさせてしまったことを後悔していると仰ってるよ。あの時おこづかいをケチらなければ。もっとカオリとよく話し合っていたら。そんな風にね。だから、君が負い目を感じる必要なんてないんだよ」
「そっか。そうだよね。うん、わかった。でも、こうして家族と連絡を取り合えて、その気になれば会って話すこともできちゃうのって、たぶんあたしだけなんでしょ?」
ケンジの目をまっすぐ見つめるカオリ。真っ向から見返しながらウソをつこうとしたケンジの目が、こらえきれずにそれてしまった。
「ナオコちゃんの言うとおりだ。君はほんとうに賢くて鼻が利く。そうだよ。他の23名は君ほど幸運じゃなかった。娘を取り返そうと頑張りすぎて、隣組で濡れ衣を着せられたり、憂国自警団に襲われたりしていた。単純に一家離散してしまったケースもある。それでも、君は御両親と再会すべきだと僕は思う。こんな世の中じゃ、いつどちらかが遠くへ引き離されてしまうかわからないからね。後悔を残さないよう、できることはできるうちに、さ」
できることはできるうちに、か。ケンジさん、やっぱ優しいわ。最大限、自分と家族に配慮してくれてる。好意に甘えてしまいたくなっちゃう。でも・・・・・・。
「ねえケンジさん。ナオコが白黒団を名乗ったのってさ、孤児院に匿われている子たちだけじゃなくって、日本中で泣いている子供たちに手を差し伸べるためだよね?」
ケンジは無言のまま、力強くうなづいた。
「だったら、あたしの答えもひとつだよ。まだ家族とは会わない。総理も長官も華族も士族もぶっ飛ばして、当たり前の権利を取り戻してから、堂々と家に帰ってやるよ。歯向かうやつらはけちょんぱだ!」




