33.山下
山下大輔は生き生きしていた。
柳沢課長が逸早く対応した。福島県某所にある国営農場のトラック強奪事件及び国営工場大規模誘拐事件を、「左翼的傾向の強い新興犯罪組織」による凶行と推定。その調査のために捜査官を1名派遣した。つまり山下である。
山下は、まず国営農場を訪れた。広大な土地には、夢を紡ぐ草が所狭しと繁茂している。エリアの端の最後の一区画で収穫する頃には、最初の区画がもう刈り入れ時を迎えていた。実に驚くべき繁殖力である。
風向きによっては草の影響を受けかねないと言われて、念のため目の細かいマスクをつけた。たしかに時折、風に乗って甘ったるいしょんべんのような匂いが漂ってくる。今回、畑には用がなくてよかった。山下は都会のもやしっ子だった。いわゆる「田舎の香水」は苦手な質である。
件のトラックは、夜のうちに農場から1kmほど離れた道路脇に乗り捨てられていた。犯人は別の車に乗り換えて逃走したものとみられる。県警が轍を調べたが、ごくありふれた普通乗用車用の大手タイヤメーカーのものしか見つからず、この線からの捜査は難しいものとみられた。
トラックの荷台には何も残されていなかったが、床にパンくずと飲み物をこぼした染みがあった。鑑定の結果、それぞれ中崎製パンの菓子パンと雨印の紙パック牛乳であると判明したが、この線からの捜査も無駄足だった。犯行前日に購入したようだが、大量生産品であるため購入店を特定することは無理だった。
当日、一度に10個以上購入した者は、栃木県宇都宮市のコンビニでの一人だけで、任意同行による取り調べの結果、犯人ではないことがすぐに判明した。少年野球チームのおやつをまとめ買いした監督に過ぎなかったのである。
おそらく数個ずつにわけてあちこちで購入したのだろう。もちろん実行犯が直接、購入した可能性も低い。これが大規模誘拐を行える組織による犯行なら、支援要員が相当数いることが推測される。それも、警察の捜査手法をある程度熟知した人物が加担している。
農場と工場を往復する定期便ドライバーの中でひとり、消息不明な者がいた。名は八木橋浩一、32歳。国が業務委託した民間運送会社に約三年前から勤務していて、働きぶりはいたって真面目。地元福島県出身。係累は妹が一人だけ。両親祖父母は東日本大震災時の大津波によって行方不明になっていた。
事件前夜、いつものように出勤して呼気チェックを済ませた八木橋は、いつも通り夢を紡ぐ草を満載した定期便トラックのハンドルを握って出発した。ドライブレコーダーのマイクロSDは抜かれていたが、往路に関しては、所定のルートを辿ったものとみていい。おそらく途中で犯人グループと接触したのだろう。
八木橋が自発的に犯行に加わったのか、あるいは脅迫されてやむなく従ったのかは定かではない。八木橋の住居にも思想的傾向を匂わせるものは見つからなかった。唯一の係累である妹に話を聞ければよかったが、八木橋とは同居しておらず、現住所も不明だった。
八木橋の部屋の連絡先手帳にあった妹の携帯電話番号は、福岡県在住の中年男性に繋がった。一年前に契約した回線であるとのことだった。おそらくそれ以前に解約されて、再利用されたようである。
さしあたり八木橋は重要参考人としての指名手配を受けている。犯人グループを追う線としては最も有望だ。妹、八木橋雪絵に婚姻歴はなく、住民票は東京都内のアパートにあったが、アパートの新しい入居者が転入届を提出した二年以上前に失効していた。
この妹の消息も、有力な手掛かりになるだろう。これは東京に戻ってから最初に取り掛かる案件とする。
次に、作業員24名が誘拐された国営会社の精製工場へ向かった。ところが、事前に連絡を入れておいたにも関わらず、「担当者不在」と「国営企業の機密保持」を理由に入場すら叶わない。バッジケースを呈示して、警視庁の捜査官による正式な捜査である旨を伝えているのに、である。
どう掛け合っても上の許可がいるといい、では上へ繋いでほしいと頼むと、現在席を外していると調べもせずに即答する。明らかに偽計業務妨害だが、ここで押し問答しても不毛である。洞穴の扉を開くには魔法の言葉が必要だ。
山下は、東京都のある邸宅に電話した。電話は3コール目で応答があり、10分近い長い取次の後に、ようやく具体的な指示がきた。「その場でもうしばらくお待ちください」と。
小さな職権を笠に着て何やら勝ち誇った態度の受付警備員に「上から」連絡が入ったのは、それからさらに14分後であった。それまでの間に、山下は脇の喫煙所でエア煙草を6本吸い終えていた。




