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シロとクロ(全年齢版)  作者: はもはも
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16.希望の価値は

 シロとクロは、ナオコと心の痛みを分かち合えないもどかしさに泣いた。


 座り込んだまま動かないナオコに寄り添い、労わり、励ますふたりであったが、学校教育もほぼ受けていない10歳児の語彙では、心の奥深くに閉じこもったナオコには響かない。


 お姉ちゃんも受信出来ればいいのに。しかしナオコの共感覚機能は常人のそれである。お姉ちゃんはひとりじゃないよ。わたしたちがいるよ。懸命に気持ちを表現するシロとクロ。その言葉はナオコの心の外殻を滑って、虚しく消えた。


 まだ日の高い時間、近所の人に見られたかもしれない。いるはずのないナオコに気付いたかもしれない。ナオコの生存本能が長居は無用と告げている。だが、身体が言うことをきかない。


 隣の家のドアが開く音がした。外履きサンダルをつっかけた年配女性がこちらにくる。逃げなきゃ、逃げなきゃ、はやく、はやく・・・・・・。


「もしかして、ナオコちゃん?」


 隣家の山中さんだった。


 山中のおばさんは、三人を自宅に招いた。5年前の分譲時に出会い、下校中に初潮を迎えてしまったナオコをみつけて、共働きのナオコの母に代わって処置してくれたこともある。善良素朴な人だった。シロとクロが警戒心を解いていることからも、間違いのない人物だった。


 おばさんは冷蔵庫にあったレモンのはちみつ漬けと氷でレモネードを作ってくれた。甘い。すごく甘い。甘すぎるよ、おばちゃん。


 ナオコの目に涙が光った。外界とナオコを隔てていた壁が、ようやく溶け崩れていく。


「少年院に送られたって聞いてたけど、もうおつとめ終わったのね。こういう時って、おつとめでいいのかしら。任侠映画ではそう言ってたけど」


 まあ、そんなところです。ただし自主的にですけど。


「ふたりはナオコちゃんの・・・・・・お友達?」

「あいじんです」

「こいびとです」

「と、友達の妹たちですー」


 あわてて訂正するナオコ。これじゃ、おちおち塞ぎ込んでもいられない。


 おばさんは、ナオコの一家に起こった悲劇の顛末を、知っている範囲で教えてくれた。


「先月も末の事よ。夜中に黒いミニバンがお宅の前に停まったの。5,6人くらい男の人が出てきて、ナオコちゃんちの窓をガンガンやりだして。私もその音で気付いたんだけど」


 おばさんは自分のほうじ茶を一口すすった。


「チェーンソーっていうの、あれで鎧戸をガリガリ切って、そのあと窓を割って侵入したみたいなの。その時、うちの主人が警察に電話したんだけど」


 おばさんの眉間にしわが寄った。


「待てど暮らせど誰も来なくて、30分くらいで連中は帰っていったの。警察が来たのはそのずっと後。しかもパトカー1台に制服の人がふたりだけよ?」


 おばさんは腹立たしそうに声を荒げた。湯のみ茶碗を置く音が大きい。


「ちゃんとおおまかな人数も武器になりそうなものを持っていることも伝えたのに。忙しいとか人手不足とか言い訳ばっかりで。人が殺された時の対応とはとても・・・・・・そうなの。三人とも遺体でみつかって」


 ナオコは覚悟はしていたものの、胸が締め付けられるような痛みに苛まれる。なんで、どうして、ひょっとしてあたしのせい?


「もっとおかしいのはそのあと。御近所に事情聴取して回っただけで、現場保存とか鑑識を呼ぶとか、そういうことは一切しないの。あとは救急車が2台来て、パパとママと弟くんを運んで行ったわ」


 おばさんはきもち声を潜めた。


「そう。変なのよ。翌朝には間に合わないとしても、次の日の地元新聞にも載らなかったし。お見舞いに行こうとして緊急搬送先の病院に問い合わせたら、もう亡くなってるって言われて。それも死因は親族にしか教えられないの一点張りなの」


 胸糞悪いどころか悪寒がする。警察も病院も、明らかに事件化を意図的に避けている。犯人たちは警察とも繋がっているの? 犯行の手口からして現役警官が直接、関与していても不思議じゃない。


 それに、あのノートの落書き。間違いない、あいつだ。この狂ったあべこべ社会の寄生虫。くだらない権力を笠に着て、性暴力を楽しむ背徳漢。


「いやな世の中になったわねえ。隣組のせいでご近所さんと疑心暗鬼に陥っている町も多いそうだし。ここはだいじょうぶよ。誰もナオコちゃんを通報したりしないから。本当は矯正施設から逃げて来たんでしょう?」


 あらまあ、ご存知でしたか。


「施設の実態も知ってるわよ。矯正とは名ばかりの強制労働で、国営会社に使われてるそうね。政治犯や思想犯だけじゃ足りないから、裁判所の判決もどんどん厳罰化しているわ。ろくに弁論も聞かないで即日結審しちゃうような、スピード化も進んでいるの」


 ナオコは驚いた。日本社会はそこまで腐っていたの?


「で、でも、おばさんも、ずいぶんお詳しいんですね。箝口令?とか、ないんですか?」

「そりゃあるわよ。メディアはもう政府に都合のいいことしか報道しないし、SNSで告発してもすぐに利用停止処分を受けて、名前も住所も筒抜け。へんな自警団が押しかけてきて、ナオコちゃんのご両親みたいな目に合うもの。あくまでも、おばちゃん同士の井戸端会議情報よ。家族や親せきが被害にあってる人の口までは塞ぎきれないわ」

「自警団って、無法者じゃない! そんな人たちが何で野放しに・・・・・・」

「もちろん、政府は適切に対処すると毎日言ってるわよ。でも一方で、彼らは善意の愛国者であり、従って過度の取り締まりは道徳上好ましくないと大官房長官さまがおっしゃっているの。煽ってるのと同じよね」


 ひどい、酷すぎる。お国のため陛下のためと口では言いながら、その実、自分たちの利得のためだけに動いている。税金も自分たちだけどんどん下げて。それだけでは飽き足らず、シロやクロのような子供たちまで食い物にしているんだから。ありえないわ。ぜったい許せない。


「あら、話が長くなっちゃったわね。ふたりともおねむの時間みたい。二階におふとん敷いてあげるから、シャワー浴びて一眠りするといいわ。それともお風呂につかりたい? ちょっと時間かかっちゃうけど」

「シャワーでいいです。ありがとう、おばさん」

「お礼なんていいのよ。ナオコちゃんの家族が襲われているとき、何にも出来なかった臆病者だもの」

「いいえ、おばさんは臆病なんかじゃない。危険を冒して助けてくれている。それだけで勇敢な人です!」

「まあ、ほめても何にもでないわよ。・・・・・・あらいけない、すっかり忘れてたわ。預かりものがあったんだった。すぐ取ってくるわね」


 おばさんは年に似合わぬ機敏な動きで台所へ赴き、床板をはがして、何かの包みを取り出した。


「これ、ナオコちゃんのお母さんから預かってたの。もし家に何かあって、ナオコが帰ってきたら、これを渡してほしいって」


 それはビニール袋と紙袋で交互に何重にも包まれていた。ガムテープをはがし、一枚づつはがしてみると、様々なものが出てきた。ひとつづつちゃぶ台に並べる。


  ・ナオコ宛の手紙

  ・スマートフォン(充電コード付き)

  ・ナオコ名義のメガバンクの預金通帳と実印

  ・アメリカ本社の大手信販会社のクレジットカード


 ナオコは手紙を開いた。


(ナオコへ


 これをあなたが手にしているのなら、もう施設からは解放されているのね。もちろんナオコの気性だもの。場合によっては力ずくで出てきたことでしょう。そんなあなたを誇りに思います。

 ナオコが収監されたことに、どうしても納得できないので、学校、警察、家裁に異議申し立てと再調査の要請をしました。結果は梨のつぶてです。もうこの国は行きつくところまで行きついてしまったのかもしれません。

 藁にもすがる思いで新聞社とテレビ局も回りました。応対した記者の方、局員の方は、同情的でしたが、できることは無いそうです。停波や取りつぶしの危険を冒してまで記事や番組を発表することは上が認めないだろうと。

 今日こんにちの事態は私たち大人の責任です。目先のお金のため、目先の仕事のため、あるいは外国人憎しで、投票してはいけない人、当選させるべきではない人に政治権力を与え続けた結果、自分たちの首を絞めたばかりか、あなたたち子供をも悲惨な状況に追いやってしまいました。ほんとうにごめんなさい。せめて対立候補への投票を働きかけるとか、できることはあったのかもしれないのに。お母さんは後悔の気持ちでいっぱいです。

 近頃、非通知の無言電話やカミソリ入りの郵便物が届くなど、不審な事が頻発するようになりました。世情をかんがみるに、お母さんたちは近いうちに矯正施設へ送られるか、憂国自警団という恐ろしい人たちに殺されてしまうかもしれません。

 だから、あなたへのせめてものお詫びに、同封のものを残します。ナオコがずっと欲しがっていたスマートフォンと、ささやかなお金です。

 通帳から直接お金を引き出してはいけません。日本の銀行は平民の情報を政権に全て開示してしまいます。スマートフォンの料金の引き落とし口座としてのみ使用なさい。ソーシャルゲームに課金しなければ10年はもつだけの額があります。

 また、同封のクレジットカードはアメリカの最大手企業のもので、まだ日本国政府の情報開示請求には屈していません。お金が必要ならこちらを使ってください。ただし、同じお店で続けて買い物しないように。小売店からの通報で捕まる人は年々増え続けていますから。

 この手紙は迷惑を承知で山中さんに預けます。ナオコからも、よくお礼を言いなさい。そして、この国にいる全員が、愛国者の仮面をかぶった悪魔ではないことを忘れないでください。決してこの国に絶望してはいけません。あなたが生きているうちに、この長い夜は明けないかもしれませんが。それでも希望だけは捨てないで。希望を捨てることは、この国の非道な為政者とその尻馬に乗る人たちに屈服することと同義だから。


            愛する娘へ。至らない母より)

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