1
満月の夜は犯罪が増える。
そんなことをネットかなんかで見たことがある。満ちた月のパワーで高揚感が高まり気が大きくなるかららしい。月と気持ちの関係性について真偽はわからないが、いつからか空を見上げて月が丸いと、ふとそのことを思い出して周りを警戒するクセがついた。
終電を降りて地上に上がる。階段を昇りきり見上げた先にはまん丸い月。いつもの癖で周りを見ると少し離れたところに威圧感のある男が立っているのが目をひいた。ガードレールに腰かけた彼は腕を組んでじっとしている。駅まで迎えに来た誰かを待っているのだろうか。
蹲ったまま微動だにしない。
普段なら躊躇する事なく素通りするのだが、ふと足がとまった。
「…あの、大丈夫、ですか?」
声をかけたのは気まぐれ以外の何物でもなかった。
周りに連れらしい人もいない。
それどころか深夜12時を過ぎるといくら駅前でもほとんどのお店は閉店しているから人通りもない。終電の時刻を過ぎているとなればなおさらだ。
流行りのファッションに明るい髪色とシルバーピアスが若さを主張している。
フードを被っているせいではっきりとは分からないがその風貌からおそらく未成年だろうと思われた。
「あの!」
1度目は聞こえなかったのかもしれない。もしくは声が小さくて話しかけられていると気づかなかったのかも。
今さら引っ込みがつかなくて少し大きめにはっきりと声をかける。
うつむいた顔の近くでヒラヒラと手も振ってみた。
そうすると座り込んだ男はゆっくりと顔をあげた。
「…」
少し警戒した表情の男としばし見つめあう。
やはり未成年で間違いなさそうだ。どことなく幼さの残る顔立ちを見てそう思う。
「…なに。」
何も言わない私に、しぶしぶといった様子で言葉を落とす。
「あ、いや、こんなところでどうしたのかなと思って。体調悪い?」
特に週末なんかには酔っ払いがフラフラしている終電後の駅前だが、おそらく学生であろう彼が平日のこの時間にこんな所で座っているなんて普通じゃない。明日も学校だろうに。
眉を寄せて少し迷惑そうな顔をすると彼は口を開いた。
「別に…」
そう言って視線をそらす。
気まぐれの行動は完全にお節介のようだったけれど、体調が悪いわけでもないのにこんなところで座っているなんてますます気になる。声をかけた手前ほっといて帰るのもなんだか後味が悪い。
「家には帰らないの?…だれか待っているとか?」
遠慮がちに尋ねてみると迷うような間の後ゆっくりと言葉をこぼす。
「…家には、帰らない。待ってる人もいない。」
呟きのような低い声が静まり返った冷たい空気に落とされる。
ふいに顔を上げた彼と目が合った。
「行くところが…ない。」
無表情の彼の顔からは何も読み取ることはできないけれど、わずかに期待が込められているような気がするのは私の思い過ごしか。
行くところがないだなんてそんなことを言われても私にできることなんて何があるだろう?こちらから聞いたくせにどうしていいものか残業で疲弊した頭は働こうとしない。
おそらく困った顔になっているだろう私を見つめたまま彼は私の言葉を待っている。
重なったままの視線に試されているような気分になり何か応えなくては、と考えがまとまるよりも先に口が動いた。
「えっとそれは…困ったね?うちでもよければ、来る?」
口からこぼれ落ちた大胆な提案に自分で驚いてしまうけれど口にした後では取り消すことはできない。
今日の私はどうやら一味違うみたいだ。普段ならこんな面倒事は絶対に避けるのに。
かと言って他の良い案も思い浮かばない。
周りには誰一人いない状況で彼がこの後どうなるかなんて分かり切ったことを想像して同情したのもあるし、酔っ払いのおじさんではなく保護されるべき未成年ということも無視できない。久しぶりの終電帰りで疲れた頭に判断力が残っていなかったのも原因だろう。あとは退屈な日常に沸いて出た刺激的なシチュエーションに好奇心をくすぐられたのも正直なところだ。今夜が満月なのも影響しているかもしれない。
いつになく積極的な言動に恥ずかしさをおぼえて内心で言い訳をかき集めている私を、彼は少し驚いたような顔でしばらく見上げてから
「いいの?」
と耳通りのいい低音にほんの少しの安堵をにじませる。
向けられた表情は、攻撃的な外見に反してあまりにも純粋無垢で危うく心が持っていかれそうになった。
これが噂のギャップ萌えかと一人納得していると、黙り込む私に彼の眼差しが訝しげに細められていく。
「い、いいよ!もちろん」
私の家で良ければ…と答える声がしりすぼみになるのは、もう後戻りできない状況になったことで赤の他人を自分の家に一晩泊める事実が急に現実味を帯びてきたからだろうか。
しかし今さら焦ったところでしょうがない。
私の返答を得て言質はとったとばかりに立ち上がる彼を見ながらどうとでもなれと開き直ることにした。




