カルチャーギャップ
この作品は「ことば小説」企画の参加作品であり、完全なフィクションです。
「みやびさんってキツイですよね」
でた。ロッカーで隔てられただけの更衣室と化粧室では話は筒抜けである。しかも営業終わりの酔っ払い集団である私たちには、内緒話なんてできたものではない。見た目だけは一応華やかな贋物ドレスからの着替えも終わってさて出ようというときで、動作は止まった。でも一瞬だけ。
「ヤンデレなのか、ツンデレなのか……」
なんだ? それは。アラサーの私にはわかりませぬ。
「まあ、毒舌は本人も認めてるから……」
「ですよねえ。私今日同じ席でびっくりしちゃって――あ」
「お疲れ様あ、お先に」
若い子達の話はさらりと聞こえない振りをして、更衣室を出て化粧室の脇を通り抜けていく。私のことをキツイといった女の子の顔が青ざめていくのが背中越しにわかった。大丈夫、気にすんな、慣れてるから。
送りはいらないんですかとたずねる主任の声に軽く手をあげて、店のドアをくぐる。若干薄汚れた足拭きマットがこのクラブの格をあらわしている。そんなに泥酔しないで、そんなに寒くない日は歩いて帰ることにしている。早足で三十分。ちょうど脂肪も燃えていいところ。こんな明け方近くに鼻歌交じりで歩いてる軽装の女を襲うほど世間も暇ではない。ビルの出口で一応周りを見回し、出待ちの客がいないかどうかを確かめる。客どころか人っ子一人見当たらない。最近本当に世知辛い。一瞬吹いた冷たい風に負けないように首を縮めて歩き出した。
地元では「キツイ」というより、口数の少ないほうだった。今日出会った面白い話を妹に聞かせようとすると、妹は必ずため息をつきながら、
「誰が?」とか「どこで?」とか、私の話の腰をぱきぱきと折り、説明を求めた。上手く話せない。だからどんどん話の先を読む癖がついた。絶妙なタイミングで絶妙な一言をいうために。面白ければ相手を落としても、自分を落としてもある程度は許容される。「面白いやつ」でいないといけない。ボケかツッコミができないといけない。だって私の生まれ育ったところはバリバリの関西圏なのだから。
東京に来てすぐ、私は一人の女の子に完全に無視された。広い店ではなかった。そんな中での無視には心底戸惑った。何故だろう。その子は怒り心頭に発しながらこういった。
「だってみやびちゃん、私が嫌だっていったこと何度もしたじゃない!」
一体なんのことだろう。まあ、何度かテーブルでいじくったかもしれない。ボケ役をやらせたわけだ。もしかしたら嫌だったかもしれないと思って、私が謝ると彼女はこういった。
「ううん、平気だよ。全然気にしてないから」
そうか、この子はそういうの平気なわけだ。よかった。許可を得た私はそのごも容赦なくボケ役を振り続けた。要するに、私は彼女が嫌だと思っていた空気を読めていなかったわけだ。心の中では、
「全然気にしてないっていうたくせに」と腹がたった。一言、
「もうしないでくれたらいいから」などというように嫌だったことを伝えてくれたら、私だって何度も同じことなどしないのに――それでも私はとにかく謝った。一応の和解はあったが、わだかまりはいつまでも残っていた。
関西弁でしゃべると威圧的だといわれる。客商売だし、郷に入りては郷に従え、標準語でしゃべる。全く遜色なく、それどころか最近のアナウンサーよりも美しい発音で話せることがさらに悪い。発音は標準語でも流れている血は関西人。関西のノリが関西人のスピードに乗って標準語で発せられるとひどいことになる。
「なんや、そんなこと、幼稚園でなろたやろ?」
「なに? そんなの幼稚園で習ったわよね?」
「ちりとてちんみたいやなあ……え? 落語知らんか? ほら吹き過ぎて豆腐の腐ったん食べる羽目になる話や」
「酢豆腐みたいね……え? 落語知らないの? 見栄から大嘘ついて腐った豆腐を食べる羽目になる話よ」
あるとき店長が私の話し方を擬音で表現してくれた。
「ばさり、ばさり」御意。心優しくて明るい女の子を演じ続ける自信のない私はそちらを採用することにした。毒舌。キツイ。威圧的。レッテルなんて貼られてしまえばこっちのもので、周りは徐々に許容していった。または距離をとっていった。
そのときの彼の顔は明らかに怒りが浮かんでいた。彼の友達数名と一緒に酒を飲んだときだ。
「どうしてさ、俺の友達にああいうものの言い方するの?」どういうものの言い方をしたのが気に入らないのか全くわからない。みんな笑っていたじゃないか。誰一人として、私のことを「キツイね」とすらいわなかった。ああ、またやったのか――そう思っただけでたいして反省もしなかった。
「俺はさ、三回我慢したんだぜ」何故一回目にいわぬ。三回我慢したのなら、百回我慢しろ。
「ごめん。私、すぐお友達になったって思って毒吐いちゃうから。気をつけるね」とはいったものの多分口調はかなり適当。棒読みってこういうことね、となってしまった。だって心中、そんなこと考えちゃいない。本音は――大丈夫、もうあんたと一緒にあんたの友達には会わないから――でも日を改めていわなくちゃ。我慢しないでちゃんといって、って。ずっと違う土地で暮らしてきたんだから文化なんて違うの当たり前なんだから。
夜中散歩の帰り道を半分過ぎて、コンビニの角を曲がろうとしたときに電話が鳴った。
「もしもし?」眠そうな彼の声だ。
「お疲れ。今帰りだよ」
「……風の音がする」
「うん、歩いてる」
「……今どこだよ?」彼は場所を聞き出すと、そのコンビニに入って待っていろとすごい剣幕でいい、電話を叩ききった。私は大人しく、コンビニで待つこと二十分。彼の黒い車が店の前に止まり、運転席の窓が開いた。面倒くさそうな手が早く来いとばかりに手招きした。
とことこ歩いて助手席に乗り込むと、彼は何もいわず車を走らせた。家までは五分とかからなかった。ぴったりと家の前につけた車の中で、彼は私を睨むといった。
「お前、毎日歩いて帰ってたのかよ」
「いや、たまに……」
「女が一人で夜の街をふらふらするのは感心しないな」私は黙っていた。彼は私の顔を覗き込むようにして続けた。
「ちゃんと送りの車で帰って来い」
「――はい」彼は笑った。
「お前、そういうときは素直だね」ストップ。それ以上いわないで。一番答えにくい質問する気でしょ? 聞かないでよ? それだけは聞かないでよ?
「なんで?」ああ、聞いちゃったか――だってさ。
寝癖だらけの頭のまんま、ものの五分もかからない夜道のために飛んできてくれたカレシに文句いえないでしょ――いや、違う。私、ヤンデレらしいよ――同じくアラサーの彼にわかるわけがない。カレシが嫌だっていうことなるべくしないのがいい女でしょ――これも正確ではない……わかってる、わかってるんだけどね。いいにくいんだよ。でもなぁ、人間なんだから言葉でいってよね、って思ってるのは私のほうだもん。違う人生を過ごしてきたんだから、ちゃんと歩み寄ったり、話し合ったりしないとね。ここは勇気を出していうしかないか。ああ、心臓がばくばくする。恥ずかしなぁ……めっちゃ苦手やのんに。
「す、好きやから」ぶっきらぼうにそういった私を彼はにやにやしながら見つめて、えせ関西弁でいった。
「お前はほんまに可愛いなぁ」私の後頭部に彼の手がまわり、寝癖の頭が近付いてきた。彼の唇が私の唇を捉える前に、音を出さず小さく動いた。
「アイシテル」声のないその言葉が、脳をしぼるような痺れを伴いながら全身に広がっていった。
ことばとは生き物だ――私はそう思います。文化的な背景や時代、感覚のすべてが伴って初めて意味が生まれるのではないでしょうか。しかし、すべての関西人がこのお話にあてはまるとは限りません。
この作品は「ことば小説」企画に参加しています。ほかの方の作品も読んでいただければ幸いです。