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宮島あやかしお宿飯 ―神様のお宿で料理人やってます―  作者: 加藤泰幸
第二話『サトリとアヤカシオタク』
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その2 宗像三女神

 女神、と聞いて、直視もできないほどの美女を想像していた柊だったが、その予想は外れてしまった。

 樹に先導されて、新明座に入ってきた二人の女性は、どちらも老齢の和服女性だったのである。


 二人の前を行く樹には、特別背中が伸びているような様子はないし、柊と一緒に整列して出迎える眷属達も、普段どおりの表情だ。本当に彼女達が神様なんだろうかと疑問を抱く柊だったが、その時ちょうど前を通っていた樹が声を掛けてきた。



「おい、お前も来い」

「はあ……?」

「紹介しないわけにもいかねえだろ」

「き、急に言われても、何も聞いてませんよ、私!」

「うだうだ言うな! いいから最後尾から着いてこい!」


 相変わらずの無茶ぶりだが、これ以上拒否するわけにもいかない。

 四人で舞台裏の通路を進み、先程まで清掃していた六畳の和室へと入る。部屋の隅には、時代劇で見たような茶道用の釜っぽい物が置かれていて、その前で八犬が正座していた。

 向かいに敷かれた緋毛氈に正座すると、ひゅうひゅう、と釜の中が湯立つ音が耳に入ってくる。それが凛とした雰囲気を生みだしていて、柊は急に、自分がここにいるのは場違いな気がしてきた。




「あ……あの……私、お茶とか全然知らないんですが……」

 思わず、そうおずおずと切り出してしまう。

 だが、女神のうち、隣に座った方が、穏やかな笑顔を向けてくれた。


「細かい事は気にしないでいいわ。せっかくだからお話ししましょう」

「……でしたら、お言葉に甘えちゃいます。福間柊です。先日から板前として働いています」

「あら、樹ちゃんが人間を雇うなんて初めてじゃないかしら」

「まあ、色々あるんスよ」

 樹が気難しそうな顔になって頭を掻く。

 隣の女性は袖を口元に当てて、小さく笑いながら頷いた。



「あら、そうなのね。……分かりました、柊ちゃんね。私はタギツヒメ。それで隣に座っているのはタゴリヒメ。毎回姫を付けるのも煩わしいでしょうから、タギツ、タゴリと呼んでくれて構いません」

「本当に、いいんですか?」

「いいの。なんなら、ちゃん、を付けてくれても良いのよ?」

 おどけた口調でタギツが言い、隣のタゴリも静かに微笑んでみせた。


 どちらかといえば、タギツの方が社交的で明るく、タゴリの方が落ち着きがあるだろうか。見た目としても、タギツは低身長の可愛いお婆ちゃん、といったところで、タゴリの方は美しい白髪から知性を感じさせる。


 対照的な二人だったが、どちらからも感じるのは暖かさだ。


 この二人と話していると、まるで実際の祖母と接しているかのようなぬくもりを感じる。神聖さよりも、この包容力が女神の証なのかもしれない。だからこそみんなも自然体でいるのだろう、と思う。




「本当にちゃんを付けるなよ。二人とも神話に名を刻まれる方なんだ。堅苦しく話す必要はないが、程度はわきまえろ」

 そこへ、樹が釘を刺してきた。

「気を遣わないでいいのよ、樹ちゃん」

「そういうわけにはいきませんよ。それよりも、どうですか、イチキ様の行方は」

「相変わらず見つからないわ。どこかから気配は感じるのだけれど」

「……そうスか。行方知れずになって、八十年くらいになりますかね」

「その位ねえ。そのうち、ひょっこりと顔を見せる気はするけれども」


 そう言って、タギツは小さく溜息を付いてから、柊の方を見た。


「柊ちゃんは、イチキの話は聞いているのかしら」

「もしかして、失踪している神様……ですか?」

「ええ、そうよ。ちゃんと樹ちゃんが話していたのね」

「そういう方がいる……くらいしか知りませんけどね。でも、神様が失踪って大事件じゃないんですか?」


「私達の場合は、なんとかなっているわ。イチキの担当分を代わりに巡ればいいから。……三人揃わないと、神としての力を全て行使はできないけれども、そんな事態がそうそうあるわけじゃありませんしね」

「神の力……ですか。天罰とか起こせるんですか?」

「ええ、色々できるものよ。天変地異を引き起こして苦難を与える事も、逆に傷ついた人間を癒す事も。ただ、基本的には人間社会には介入しないから、どちらも使う機会はないわ」

「うわあ、やっぱり神様って凄いんだ……」


 彼女達が言うのならば、本当にできるのだろう。

 鵜呑みにして口をぽかんと開けていると、タギツは苦笑しながら手を左右に振った。



「でも、さっき言ったとおり、イチキ……イチキシマヒメがいないと難しいわね」

「名前、なんだか樹さんと似てますね」

「そうね。確か、同一神と見ている人間もいたんじゃないかしら。琵琶が好きなところも似ているしね。それだけじゃなく、弁財天(べんざいてん)と同一視された事もあったわ。人間達の間では、神仏習合……と言っていた気がするわ」

「シンブツ、シュウゴウ……?」

「あー、あとで教えてやるから」

 樹が柊の疑問を制し、タギツとタゴリに向き直る。

 少しだけ、彼の声には真剣さが宿っていた。




「……ところで、今日は報告と相談があります」

「何かしら?」

「恥ずかしながら、最近十二支屋の経営状態が良くないようでして……。実は、ここいらでテコ入れをしようと考えています。今は五月末ですから、あと二月もしないうちに管弦祭が始まりますよね。あれを好機と見ています」


 シンブツなんとかは知らないが、管弦祭なら柊も知っていた。

 宮島で夏に開かれる祭りの一つで、木製の船に和楽器の奏者が乗り込み、厳島に点在する複数の神社を回りながら、深夜まで演奏を続ける祭りの事である。

 宿泊しなければ最後まで見れないので、これまで柊が直接見物した経験はなかったが、平安絵巻のように雅で雄大な祭りという話は、祖母から聞いていた。




「管弦祭で、お客さんを集めるつもりなのね」

「はい。汽船の最終便に間に合わなくなるので、最後まで祭りを見物できない人間は沢山います。その客を呼び込みたいと考えているのですが、一度泊まりにきても、それっきりでは意味がありません。……そこで柊です」

「わ、私?」

 突然名前が出てきて、裏返ったような声が出る。


「そーだよ。元々、お前の飯で客を固定するって話だったろ。管弦祭はその絶好の機会だ」

「で、でも、私は味覚が……」

「分かってるよ。……けどよ、お前の味覚を治す方法は二つもあるじゃねえか。まずは、母親を亡くした哀しみをふっきるこった」


 その方法なら、分かっている。

 医者が気分転換を勧めた目的でもあるのだ。



「私自身、もう立ち直っているつもりなんですが……」

「でも、味覚は戻らねえんだよな」

「そうなんです。だから気分転換で宮島に来たんですよ。……でも、まだ他に方法があるんですか? そっちは思い当たりがないんですが」

「だろうな。……タギツ様、タゴリ様。ここまでが報告です。で、この後が相談なのですが」

 樹は、そこで言葉を切ったが、口元がやけにモゴモゴしている。

 溜めを作りたいわけではなく、その先を素直に口にできないようだった。

 だが、彼は結局、ひときわ荒々しく髪を掻きむしると、両手を握り拳にして膝の横に付け、戦国武将のように頭を下げた。




「……もしも管弦祭までにイチキ様が見つかる事があれば、お三方のお力で、こいつの味覚を戻してやって頂けないでしょうか」

「え、ええっ!?」

 今度こそ、柊の声は裏返った。

 意外な治療法にも驚いたが、それ以上に、樹が自分の味覚をそこまで案じてくれているのが信じられなかった。


「優しいのねえ、樹ちゃんは」

 タギツが目を細めて、しみじみと呟く。

 隣のタゴリも、喋りこそしないが、同じ表情をしていた。


「十二支屋の為ですから」

「照れ隠しはいいのよ?」

「タギツ様、タゴリ様。それよりも、何卒……」

「もちろん構わないわ。本来なら介入する件ではないけれども、樹ちゃんの頼みですもの」

「ありがとうございます。では、イチキ様が見つかったら、管弦祭の日に是非お願いします」


 トントン拍子で、話が決まってしまう。

 もちろん、柊としてはありがたい話なのだけれど、そこまで世話になって良いのかという不安もある。

 それを口にしようとしたが、その前に八犬が抹茶を点てて差し出し、機会を逸してしまった。





「濃茶でございます。皆様、どうぞ」

「あの、八犬さん……濃茶って、普通のお抹茶とは違うんですか?」

「抹茶には薄茶と濃茶の二種類があるのですが、回し飲みするお茶が濃茶です。よく言われる『苦いお茶』も濃茶ですね」


 説明を受けている間に、前の三人が抹茶を飲み、最後の柊へと茶碗が回ってきた。

 見よう見まねで茶碗を煽るが、当然、味は分からない。とろりとした喉越しの感覚だけが伝わってくる。

 次に飲む時には、果たしてどうなっているのだろうか。






 ◇






 翌日は、あやかし客の宿泊予定が入っていた。

 客室が八つあるのに対し、ただ一人の宿泊客で、確かにこの宿の閑古鳥っぷりは嘆かわしいものがある。しかも、あやかしは人間の貨幣を持たない為、善意で宿泊させているそうなのだ。つまりは、今日も無収入である。


 それでも、柊は気合十分であった。

 樹が、意外にも自分の味覚を心配してくれているのが、なんだか嬉しくて、それに応えようという気持ちになっているのだ。




「八犬さん、何かお手伝いする事ありますか?」

 昼を過ぎた辺りで、受付に顔を出して八犬にそう尋ねる。

 だが、首を左右に振って返事をした八犬の表情は、どこか暗かった。


「なんだか、元気ないみたいですけど、本当に何もないんですか?」

「仕事の方は大丈夫です。ただ、少し困った事態になりまして」

「私で良かったら、相談に乗りましょうか」

「そうですね。知っておいて頂いた方が良いでしょう」

「さては、また何か樹さんから無茶ぶりされましたか?」

「いえいえ……予約重複です」

 八犬は前髪を掻き分けながら、小さく溜息を零した。



「実は、十二支屋では人間客とあやかし客を同時に宿泊させないようにしています。あやかし客も、正体を知られないよう人間体で活動してはいますが、いつ、どんなところで露呈してしまうか分かりませんからね」

「……もしかして、それをやってしまったんですか?」

「ええ。昨日、電話を受けた者がど忘れしていまして、今日は人間客も泊まるのですよ」

「あらら……でも、お客様同士の接客って、そうそうありませんよね。多分、大丈夫じゃないんですか」

「普通のお客様なら、そうでしょうね」

「……一体、どんなお客さんがくるんです?」

「人間の言葉で端的に表せば、あやかしオタク、でしょうか」

「うわあ」


 その一言で、犬の苦悩がなんとなく理解できた。

 不安げな表情で彼を見つめると、八犬も柊の方を見て、苦笑してみせた。



「お客様のお名前は、山代三郎(やましろさぶろう)氏。以前にも何度か宿泊されたお客様です。何故そこまでご愛好頂いているのか伺った事がありますが、あやかしを求めて宿泊されているそうで。……どうやら、ごく一部のあやかし愛好者の中では、十二支屋は『あやかしが出る』と、話題になっているらしいのですよ」

「まあ、実際出ますからね」

「山代氏の熱意には、驚くべきものがあります。前回のご宿泊時は、他にも人間客がいたのですが、その方にも聞き込みをされるほどでした」

「それじゃあ、今回も同じ事をされちゃったら……」

「ええ。前回は人間客相手でしたので問題ありませんが、今回はあやかし客。何が起こるか分かりません」


「最悪、世間にバレちゃったら、どーなるんでしょうか……?」

「店の運営どころではありませんね。もちろん、社会的な立場のない者の主張でしたら、結局は噂止まりになります。ですが、山代様は……」


 そう八犬が呟いたところで、背後の下足場から物音がする。

 見ると、四十代くらいの小太りの男性が、靴を脱いで上がっていた。




「……これは、山代様。いらっしゃいませ」

「やーやー、ご丁寧に恐縮です! 八犬さんでしたね。今日もお世話になりますよー!」

 噂のあやかしオタクの登場である。

 言葉遣いこそ丁寧だったが、テンションの高い喋り方をする男だった。

 続けて、二言、三言、会話を交わす二人だったが、柊に気が付いた山代は、片手を掲げながら声を掛けてきた。



「こちらの女性は……初めまして、ですかな?」

「あ、は、はい。板前の福間柊です」

「そういえば予約の電話をした時に、十二支屋さんでもお料理を出すようになったと聞きました。あなたが作られるのですか。お若いのに板前とは大したものだ」

「家庭料理程度ですが……。特にメニューはありませんので、ご希望に応じたものを作らせて頂きます」

「ふむ。では考えておきましょう。それよりも、あなた、この宿で働き始めて妙な者を見た経験はありませんか?」

 山代はグッと顔を寄せて、目を輝かせながら尋ねてきた。


「妙、と言いますと?」

「たとえば、あやかしを見たとか……」


 さっそくの質問である。

 もちろん、ノーと言ってしまえば良いのだけれど、彼の勢いに飲み込まれてしまって、固まってしまう。その狼狽っぷりを何か勘違いしたのか、山代は表情をハッとさせると、ジャケットの胸ポケットから名刺を取り出した。



「あ、いや、突然ぶしつけな質問でしたな。私、こういう者でして。この宿にあやかしが出るという噂を聞いて、尋ねているのですよ」

 差し出された名刺を手に取って文面を読む。


 安芸(あき)大学 人文社会学部 民族学科教授 山代三郎。

 すなわち、彼は……、



「大学の……先生……?」

「恥ずかしながら。八歳の時にあやかしに憧れたのが始まりでした。書物でその存在を学び十年、大学で学術的に調査し九年、教鞭をとりつつあやかしの痕跡を探し歩いて二十年。今では五十手前にして、その道の第一人者と言われるようになり、本もいくつか出しておりましてな」

「は、発言力、あるんですね……」

「とは言いましても、世に姿を現していない者をメシのタネにしているものですから、非難されたり、蔑まれる事も多々あります。……だからこそ、あやかしの存在を世に知らしめたいのですよ! 何卒、ご協力を!」


 これは、マズい。本物だ。

 八犬の懸念が、嫌というほど伝わってくる。

 絶句しているところへ、八犬が間に入って受付手続きを進めたので、それ以上掘りさげられはしなかった。とはいえ、この熱意があやかし客にぶつけられれば、どこかでボロが出てしまうかもしれない。




 ……そういえば、肝心のあやかし客は、誰なんだろうか。

 気になった柊は、受付の裏に回り込み、山代からは見えない角度で予約帳を覗き込む。

 記されていたあやかしの名は……『サトリ』だった。

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