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その6 出した答え

 一つ目入道の部屋に入ると、彼は窓際で頬杖を突いてうたた寝をしていた。

 事前に朝食の時間を伝えていたものの、大きな背中が船を漕いでいるのを見ると、起こしてはいけないような気がする。しかし、気配を察したのか「んがっ」という大きな鼻音を立てて、彼は体を起こした。



「ふあ、あああーあ……。おお、もう朝飯か。朝餉の時間か」

「おはようございます。お出ししても構いませんか?」

「もちろん食うから持ってこい」

 一つ目入道はそう言って不気味に笑い、テーブルの前に座した。

「お客様お好みの料理、おそらくはこれで合っているかと思うのですが」

「いいから、はよう出さんかい」

「では。こちらになります」


 覚悟を決めて、彼の前に朝食の膳を差し出す。すると、一つ目入道は、その大きな瞳をグッと料理に近づけて、首を傾げた。

 それもそうだろう。膳の内容は白米と味噌汁、後はサワラの刺身が一皿だけと、まさしく一汁一菜の素朴なものだったのである。



「……お前、これは」

「朝食でございます。ポットのお茶で刺身を茶漬けにされると宜しいかと」

「茶漬けにしたところで大差なかろう! なんだこの粗食は!」

 一つ目入道が、顔をユデダコのように赤らめながら怒鳴った。

 注文を投げっぱなしにしておきながら、随分勝手な怒りではあるが、それがあやかしというものかもしれない。



「し、しかしこの魚はですね」

「ええい、言い訳はもういい!」

 一つ目入道は喚きながら立ち上がった。

 人間の頭部をまるかじりできそうな巨大な口に、思わず自分の最期の瞬間を想像させられるが、対策はある。

 顔を引きつらせながら振り返ると、部屋の前で構えていた彩巳が両手で印を結んだ。


「……変化」


 その呟きと同時に、彩巳の体から煙が沸き立ち、彼女の姿は和太鼓に変わった。話には聞いていたが、本当に変わったのを目の当たりにすると、多少の驚きはある。だが、いつまでも感嘆してはいられない。

「彩巳さん、失礼しますっ!」

「どうぞ」



 和太鼓の許可を得るのと同時に、備え付けのバチを手に取って和太鼓を全力で叩けば、皮が爆発するような巨大な音を立てた。二度、三度、四度……そのうち、背後からの強烈な威圧感が薄らいだ気がする。

 振り返ってみると、そこにいたのは……狸だった。

 どうやら、人外草子に書かれていた『狸があやかしと化す時に、一つ目入道の姿になる例が多い』という情報に、誤りはないようだった。

 ひっくり返ったままで、手足をピクリとも動かさずに倒れるさまは死んでいるようにも見える。これが、狸寝入りというやつかもしれない。



「……変化しても、痛いものは痛いのですが」

「あ、ご、ごめんなさいっ!」

 和太鼓の抗議に、慌ててバチを手放す。

 元の姿に戻った彩巳は、首根っこをさすりながら、ギロリと柊を睨みつけた。

「ごめんなさい、つい必死になっちゃって……」

「貸しにします」

「分かってます。また今度、味見をお願いしますね」

「……それよりも、うまくいったのですか」

「お陰様で。おーい、狸さーん!」

 声を掛けながら狸に歩み寄り、背中の辺りを激しく揺する。毛はゴワゴワとしていて感触が弱かったが、やがて狸は大あくびをしながら目を開けた。



「ん。んああ……」

「おはよう狸さん」

「あ、おはようござ……あれ? 戻ってる? 元の狸に戻ってる!? なんで? どうして?」

 狸は頭を抱え、柊と彩巳をアワアワ交互に見た。

 可愛いのでもうちょっと様子を見たい、と思う柊であったが、そういうわけにもいかない。狸の姿に戻ってもらったのには、理由がある。


「ごめんなさい。落ち着いてお話したくて、ちょっと元の姿に戻ってもらいました」

「に、人間……」

「理由を聞いたら、この朝食、気に入ってくれると思います。お話しても良いですか?」

「……うん」

 狸はしおらしい声でそう言い、座椅子の上で子猫のように丸まった。怯えるような態度や喋り方は、一つ目入道の時とはまるで正反対である。


「まずは……この魚なんですが、サワラといいます。ご存知ですか?」

「ううん、知らないよ。魚なんて全部おんなじに見える」

「そうですか。じゃあ、まず一切れ食べてみてください」

「いいの?」

「お客様の為の料理ですから」

 柊の肯定を受けた狸は、背伸びしながら刺身を鷲掴みし、口に運んだ。



「……あ、これおいしい! 口の中にじわーっておいしさが広がる! ただの魚じゃないみたい!」

「ありがとうございます。でも、ただの魚なんです。お客様の好物だから、特別美味しく感じるのかもしれませんね」

「好物……?」

「はい。狸は何でも食べる雑食ではありますけれど、特に旬の食材を好んで食べる傾向があるんです。今は五月の晩春ですけど、サワラはまだ旬ですから、口に合うんじゃないかと思いまして」

「うん、これ凄く好き! もっと食べていいの!?」

「もちろんどうぞ」

 微笑みながらそう言うと、狸は凄まじい勢いで刺身に飛びついた。

 何日も腹に物を入れていないような食べっぷりだったが、すぐにそれは違うと気が付いた。昨晩はお好み焼きを食べたし、それにあやかしに食事は不要だから、空腹で食べ物にがっつく事はないはずである。




「……樹様、おはようございます」

 突然、彩巳が樹の名を呼んだ。

 釣られて振り返ると、いつの間にやってきたのか、樹が部屋にいる。

 昨日の喧嘩別れが脳裏を過ったが、樹の方はまったく気にした様子はなかった。


「おう、二人ともおはよう」

「あ……お、おはようございます」

「柊、狸の食いっぷりが気になるみたいだな。じっと見つめてたぞ」

「え、ええ。あやかしには空腹とかないんですよね?」

「ない。が、食べないでも活動できるというだけで、空腹を感じるあやかしはいる」

「じゃあ、この狸さんも?」

「そのとおりだ」

 樹は狸の傍まで来ると、どっしりと胡坐をかいた。

 それから、まるで我が子の食事を見つめるような優しい瞳になって、彼はその後をゆっくりと語った。



「……あやかしってのは、負の感情から生まれるんだ。人間に餌場を削られて餓死した動物が、憎悪を抱いてあやかしと化す例は多いんだよ。その空腹の記憶が、あやかしになっても残ってるってわけだ」

「人間、憎し……」

 そういえば、昨日、八犬とそんな会話をしていた。


『話題にならない他の動物も、近年では人間に住処を奪われていますし』


 彼が懸念していたのは、一つ目入道のようなあやかしが増える状況だったのだ。

 当事者をいざ目の当たりにすると、昨日は感じなかった罪悪感が宿り、柊の表情は曇った。自分が直接害を与えたわけではなくても、胸が痛い。理屈ではないのだ。




「ごちそうさま」

 食事を終えた狸が、ぺこりと頭を下げる。

 柊は慌てて、彼よりも深く頭を下げ返した。

「あ……お、お粗末様です……!」

「おいしかったよ。ありがとう、人間さん!」

「でしたら何よりですけど……でも、私、人間ですよ? お礼なんか言っていいんですか?」

「確かに樹様が言うとおり、僕は人間を恨んであやかしになった狸だよ」

 狸がしみじみと語り始める。

 しかし、彼のつぶらな瞳に、不思議と怒りや恨みは感じられなかった。



「……人間が山を切り開いて、僕達動物は食べるものが少なくなっちゃってさ。父ちゃんと母ちゃんは、僕に美味いものを食べさせようと人里まで降りて、帰ってこなかった。多分、人間に撃たれちゃったのかもね」

「それじゃあ、遺された狸さんは……」

「当然、僕は飢え死にしちゃったよ。でも思念が化けて、一つ目入道になったってわけ」


 狸の言葉は、ずん、と柊の心に圧し掛かる。

 この狸は。

 一つ目入道の恐ろしい顔つきの分だけ。

 苦悩し、死んで、あやかしと化したのだろうか。



「でも、いいんだ」

 だが、狸はゆっくりと首を横に振った。

「……人間が、苦労させちゃったのに?」

「確かに餌場を削った人間を恨む気持ちから、僕は生まれたよ。でも、縄張りを広げたいという気持ちは分かる。そうすれば美味しいものが食べられるしさ」

 狸は、納得したというよりはどこか達観した口調で静かに語る。

 そこへ、樹が腕を伸ばし、狸の頭を優しく撫でた。



「……ま、こいつの言うとーりってこった」

「でも、何も解決は……」

「解決はしてねえさ。だが、人間もまた生命の一種だ。変則的ではあるが弱肉強食という解釈もできる。……それに、動物はともかく、あやかしにとっては人間は必要な存在なんだよ。あやかしは主に、人間の負の感情から生まれる存在だからな。いわば生みの親ってわけだ」

「負の感情……」

「お前の料理は、それを和らげたんだ。いわば、心を救った。……お前が無駄にしょい込むことはねえよ。胸を張ってりゃ、それでいいんだ」

 心を救った、の一言は、柊に深く突き刺さった。

 板前の仕事を受け入れた瞬間から、自分の料理にはずっと不安を覚えていた。前向きに考えるようにはしていたけれども、それで味覚問題が拭えるわけじゃない。だから昨晩も、悔しいながら、降板を申し入れたのだ。


 だから、樹の一言は本当に嬉しい。


 もちろん、一人で料理を作れたわけじゃないのは分かっている。みんなの助言や協力がなければ、絶対に成しえない仕事だった。……きっと、これからも、一人で同じ仕事をやってのけるのは無理だろう。

 でも、今はちょっとだけ……樹が言うように、胸を張っていいのかもしれない。

 柊がそう考え込んでいると、やがて狸の方が、満足そうに腹を撫でながら言葉を続けた。


「そんな事より、サワラ、本当にありがとうございました」






 ◇






 狸は、人間体に戻ってチェックアウトした。

 樹と八犬と一緒に玄関で一つ目入道を見送り、その姿が見えなくなると、どっと全身に疲労感が湧き、体が崩れ落ちそうなほどに重く感じる。



「……まずは初仕事、ご苦労さん」

 そう声を掛けてきたのは、樹だった。

「樹さんもお疲れ様です。……お客さん、いなくなっちゃいましたし、みんなの朝食でも作りましょうか?」

「おや、もう一人前の板前気取りかよ」

「そんな言い方しないでもいいじゃないですか」

「仕方ねえだろ。だって、お前は腕を試されてる身分なんだぞ。ヘマしたら地底行きだ」

「ええっ? あれ、本気なんですか?」

「あったり前だろうが!」

「でも、狸さんは喜んでくれたみたいですけど……」

「狸は問題ねえ。今後だ、今後!」

 樹はそう怒鳴りつけると、腕を組んでギロリと睨みつけてきた。



「……樹様、戯れはその辺りで宜しいかと」

 そこへ、助け舟が届いた。

 傍にいた八犬が、丁寧な口ぶりで会話に加わてきたのだ。

「戯れ? いきなり何を言い出すんだよ、おめえは」

「今朝、柊さんから落とし物としてこちらを預かっています」

 八犬はそう言いながら、法被の袖から人外草子を出して見せた。


「……お、おー。確かに見つからなかったんだよ。落としてたのか。悪りーなー」

 樹の声のトーンが、途端に落ちる。

 顔には苦笑いが浮かび、先ほどまでの険しい様子は、もうどこにもない。


「わざと落としたのでは?」

 だが、その苦笑いを剥ぎ落すように、八犬が言う。

「な、なんでそんな事を」

「人外草子は樹様の宝物でございます。本当になくそうものなら、みんなを叩き起こしてでも探されるはずかと」

「むっ」

「わざと落とされたのですよね。そもそも、柊さんが心配で様子を見に行ったのですよね」

「むむっ」

「すなわち、樹様は柊さんに期待されているとお察しします。そんな女性を、無益な地底に押し込めるとは思い難いのですが……」

「あー、もう、うるせえなあ! そーだよ! 脅し、脅し!」

 とうとう観念した樹は、地面を蹴り飛ばすように歩きながら、下足場へと戻った。

 彼の子供っぽい態度が面白くて、柊は八犬と笑いあったが、すぐに樹の後を追いかける。




「そーでしたか。あれは樹さんの助言でしたか」

「なんだよ、お前まで」

「いえ、お礼を言わなきゃと思って。ありがとうございます」

「……おう。それより、お前はどーするんだ?」

「どーする……と言いますと?」

「このままウチで働くのか、それとも島から出ていくのか聞いてるんだ。お前が外で秘密を言いふらすような奴じゃないと分かったし、帰りたいならそれで構わんぞ」

「そっか……帰っても、いいんだ」


 思わず下を向いて、考え込んでしまう。

 自由にはなりたい。でも、料理人がいなくなった十二支屋はどうなるんだろう。

 自分の料理で、店の力になれるのなら、残るべきじゃないだろうか。

 それに……、


「……味覚」

 樹が発した言葉が、柊の思考に割り込んでくる。

「お前が味覚を取り戻そうとあがくには、十二支屋はちょうど良いんじゃないのか? なにせ、客の半分はあやかしだ。変な料理を出したところで、店が潰れるこたあねえよ」

「……ありがたい提案ですけど、申し訳ないですよ」

「気にすんな。あやかしってのは、味よりも心を求めているんだ。それが伝われば問題ない」


 言わんとする事は、なんとなく分かるようで、分からない。

 とはいえ、支配人のお墨付きは出た。

 店に残りたいもう一つの理由、料理人の道が、再び開けたのだ。

 ……もっとも、課題が無いわけじゃない。

 自分には、子供の頃に母と交わした『ある約束』がある。

 それを守れる自信はないけれど、先の事を考えすぎてもしょうがない。今はまず、料理人に戻らなきゃいけない。




「……分かりました。しばらくの間、板前としてお世話になります!」

 ぐっ、と握り拳を作りながら回答する。

 すると、樹も大いに破顔し、柊の背中を平手で軽く叩いてきた。

「よーっし、決まりな! んじゃ、朝飯のあとで、明日の献立考えておいてくれ」

「明日の献立……ですか。昼や夕食の献立じゃなくて?」

「ちげえよ。俺達じゃなくて、明日の客の献立だ。言ってなかったっけ? またあやかし客が泊まりに来るんだが、これまた気難しい奴でな。広島料理を食いまくりたいらしい」

「き、聞いていませんよー!?」

「慌て者が。……という設定にして、稽古しておけってこった!」


 なんなん、もう。


 あちゃあ、とズッコケそうになる柊であった。

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